身体を「じょじょに燃焼させる」には? スリムなフランス人が実践している最も確実な方法を紹介。
Paris 2025.02.22
スリムなイメージが強いフランス人。彼女たちは、特別な運動をしたり食事制限をすることなくその体型を保っているという。ポイントは、身体を「じょじょに燃焼させる」ことだ。
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その方法を紹介した書籍『フランス人はなぜ好きなものを食べて太らないのか』(日本経済新聞出版刊)が話題だ。著者は、ヴーヴ・クリコの米国現地法人クリコ社の開設に携わり、のちに社長兼CEOをつとめるミレイユ・ジュリアーノ。彼女は10代の頃、1年間の米国留学のあいだに10kg増量し、帰国後にドクターの助言のもと「フランス流のやり方」で体質改善に成功した。フランス人が日常に取り入れている無理のない運動について、彼女に教えてもらおう。
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運動はどこでもできる
偉大な作家コレットは、アメリカ人の感覚でトレーニングをした最初のフランス女性だ。毎朝起きると、旅行のときも携行した新奇な装置で体を鍛えた。
だがほとんどのフランス女性にとって、その考えはあまり魅力的には感じられない。肉体的に努力することは、健康な精神は健康な肉体に宿るというモンテーニュの考えにまさに不可欠なものだが、汗をかくためにわざわざ身支度をするというのは、フランス人らしくないのだ。
ひとつには、ひどく骨の折れる楽しくない努力に思えるからだろう。一日のうち貴重な2時間を費やすのだ―移動、着替え、マシンの使い方を学ぶ、それを使う順番を待つ、シャワー、髪を乾かす、などなど。「しかも、そのためにお金を払わなくてはならないのよ!」友人のシルヴィーは鼻でせせら笑った。
高級なフランスのホテルでも最新の設備を目にするだろうが、観光客とビジネス客のためにしぶしぶ譲歩した結果なのである。フランス女性が、そうしたマシンを使ったり、リュクサンブール公園やチュイルリー公園をジョギングしているのを目撃されることはめったにない。
めったにないが、もしそういう女性に出会ったら、魅力的に見えるだろう。なぜならフランス女性は、心からしたいと思うことをしているからだ。わたしたち全員がとことん頑固な個人主義者なのだ。したがって自分でしたいことをしている限り、何をしようとかまわないのである。
多くはないが、フランス女性でもスポーツを楽しむ人々はいる。テニスやスイミングは楽しいし、体にもいい。けっこう。子供たちが公園で走り回っているなら、わたしたちは「楽しんでいる」というだろう。たんにワークアウトが強制的な労働だという見解に、不快感を覚えるだけなのだ。「骨折りなくして利益なし」というアメリカのルールは、わたしたちには受け入れられない。
アメリカ女性がときに実践しているようなバランスの崩れた運動量は、体重減少の目的をかえって妨げるかもしれない。もっと穏やかな運動と比べて、ほとんど、あるいはまったく得るところがないばかりか、過激なワークアウトは敗北主義に(「もうだめ!」)、さらにはより熱心に食べることに通じる可能性がある。
実際、わたしの知っている多くの女性は運動をした結果、肉体により多くの燃料を補給するために食欲が増してしまった。2時間の運動をこなした疑うことを知らない女性たちを待ちかまえている、ジムのカフェに常備されている「敵」と呼べる大量の食べ物を見るといい。砂糖たっぷりのフルーツジュース、250グラムもあるマフィン、高タンパクのエネルギーバー。ジムを出ないうちに、やったばかりの運動が帳消しになってしまうだろう!人生で長期間にわたって続けられないような厳しい摂生は必ず失敗すると、フランス女性は知っているし、食べ物ではなく、退屈こそ「敵」だと認識しているのである。
アメリカ女性にはふたつの状態があるようだ。すわっているか、くるくる回転しているか。フランス女性はもっと穏やかで、もっと規則的な運動を一日じゅうするほうを好む―ようするに、「じょじょに燃焼させる」のだ。しかも、わたしたちのアプローチ方法は、肉体だけではなく頭も使うものだ。がむしゃらな運動は、やみくもに食べることに劣らず悪い。わたしたちは日々の肉体的運動をできるだけ多様化するように努力し、それが第二の天性となるように訓練する。そして、その過程で自覚を養っていくのだ。
フランス女性は、運動を毎日における不可欠の部分だとみなしている。街着でやっている日々の行動は、全体的な健康のために必須のものであり、運動はジムに限定されたものではない。たとえば中庭を余分に歩いたり、仕事場まで自転車で行ったり、自分の服にアイロンをかけたりする。ようするに、一日のさまざまな場面で、できるだけ肉体を動かそうとすることが大切なのだ。
定期的に運動するという目標が与える精神的ハードルを越えるには、これがいちばん確実な方法である。手間をかけずに、利益を享受しよう。
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階段に夢中
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三次元方向の動きも忘れてはならない。
4階以下に住んでいる人がエレベーターを使うことに、わたしはいつも驚かされる。フランスでは、階段を上り下りすることは日常の一部になっている。たくさん荷物がなければ、3階まで上がるのにエレベーターを使うことは考えない。しかも、しばしばパリのようにエレベーターのない古い建物だらけだと、他に選択肢はない。
もちろん、ふつうの日に1時間も階段を上がることはしないが、こういうことを考えてほしい。肉体は眠っているときに1時間あたり60キロカロリーを消費する。泳げば、430キロカロリー以上を使う。だが、階段を上がることは、驚くべきことに1時間あたり1100キロカロリーも消費するのだ。階段万歳!
パリの学生生活3年目に、南仏の美しい町でほぼ過ごしている画家に、アパルトマンの留守を預かってほしいと頼まれる幸運に恵まれた。彼女は広いアパルトマンを自由に使う許可ばかりか、専用の部屋も提供してくれた。わたしは大きなパーティーを開く計画を立てた。
というのも、ソルボンヌ大学と、貴重なクリュニー美術館の隣にある美しいパンルヴェ広場を見晴らすカーブしたテラスがついていたからだ。夢のような場所だった。カルチエ・ラタンやサン・ジェルマン・デ・プレの界隈なのだ。ただひとつ問題があった。エレベーターなしの建物の6階だったのである。
引っ越したとき、交換留学生としてアメリカにいたあいだに増えた体重はすでに落としていたが、もし減っていなくても、留守番の仕事によって、ほどなくその問題は解決していただろう。そのつもりはなくても、どんどん体重が減っていくのがわかった―とりわけ5月から6月の試験の期間は、一日じゅう階段を上ったり下りたりしていた。小さなパンルヴェ広場で勉強するために下りていき、昼食のため、あるいはトイレに行くため、あるいは必要な本や角を曲がったところの大学の授業に出るためにノートをとりに、また上がった。89段の階段を(それを勘定することはひそかなゲームになった)一日に6回から8回も上り下りしたのだ。
夏のはじめまでに、服がゆるくなった(毎日のチョコレートとパンと、友人たちとの頻繁なレストランでの食事にもかかわらず)。7月にビキニを着たとき、すばらしい階段のおかげで、スタイルはうっとりするほど変化していた。これ以上バランスのとれた脚と臀部は、コーチについても作りだせなかっただろう。そのときから、わたしは階段に夢中になり、ほとんど宗教的な熱心さで階段を探している。
ニューヨークに引っ越したとき、最初に住んだのはウエストヴィレッジのブラウンストーンの建物の4階だった。ドアを開けて、初めてのディナーの招待客を招き入れたときのことは忘れられない。
年齢にかかわりなく、全員が3階分の階段を上ったせいですっかり息を切らしていたのだ。最近は15階建ての建物(エレベーターつきだ)の15階に住んでいるので、訪ねてくる人たちは階段を上がってくる必要はない。しかし、不思議がっている隣人が証言してくれるだろうが、週に何度か、わたしは階段をらくらくと上り下りしているのを目撃されている(125段ある―今も数えているのだ)。
2003年の8月の大停電は、いろいろと考えさせられた機会だった。わたしは6階や8階や10階で休んでいる25歳や40歳の人たちを追い越していったものだ。つけ加えておくなら、この建物には居住者向けのジムが併設されている。フィットネスの信奉者がどういう結果になるかという、もうひとつの例だ。
それはアメリカのパラドックスのように思える。これほど多くのすばらしい運動選手を輩出し、スポーツにのめりこみ、運動の科学技術を熱心に研究している国なのに、なぜかフィットネスに通じる簡単で地道な方法を避けているのだ。ジムにあるマシンは、ピューリタニズムの名残にちがいないと思うこともある。車に乗ったり、食べすぎたりする個人的な罪を償うために、自分を鞭打つための道具なのだ。フランス女性は幸せにも、そうした善や悪の極端な行為に悩まされることはない。健康とはバランスのとれた灰色の領域なのである。
階段の数段をつけ加えることは簡単に思えるかもしれないが、何かの理由で実行できないか、医者の忠告に背くことかもしれない。運動に関しては、常に医者の言葉を優先しよう。その場合、同じような効果を発揮する日々の消費カロリーを増やす方法なら、他にもある。たとえば家の掃除は気分を高揚させてくれる。日々の仕事がますます複雑になり、プロジェクトが何週間も続く世界にいると、掃除はひとつの仕事をしたという達成感があるし、簡単に満足感を得られる。
日常的な運動は、過激なトレーニングには年をとりすぎているか、虚弱すぎる人のためのものだというアメリカ的な考えにだまされてはならない。あらゆる年齢の女性が、日頃の運動で大きな恩恵を得られるのだ。目に見える結果によって、それを増やしたり減らしたりできることも忘れてはならない。フランス女性のように生きるには、継続的な微調整が必要だ。練習すれば、何も考えなくても調整できるようになるだろう。
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『フランス人はなぜ好きなものを食べて太らないのか』
ミレイユ・ジュリアーノ 著(羽田詩津子 訳)
¥990(日本経済新聞出版刊)
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