
没後50年 藤田嗣治展☆
パリの1枚。
そのカラフルなアパルトマンですっかりフォトスポットになった12区のRue Crémieux。
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もうすぐ会期終了!
と、慌てて只今「東京都美術館」で開催中の「没後50年 藤田嗣治展」(Foujita: A Retrospective ― Commemorating the 50th Anniversary of his Death)へ行ってきました。
藤田展といえば、この夏パリのMusée Maillol(マイヨール美術館)で開催された“Foujita, peindre dans les années folles”(フジタ、狂乱の20代展)を鑑賞したのも記憶に新しいところ。
(関連ブログ→ https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/20.html )
マイヨール美術館での展覧会は1913年から1931年の創作活動に焦点を絞ったものでしたが、本展は「風景画」「肖像画」「裸婦」「宗教画」などテーマを設けて、最新の研究成果等も盛り込んだ100点以上の作品を展示した史上最大級規模の、没後50年に相応しい大展覧会。
彼の全人生を追うかのように鑑賞する精選された代表作品の数々は見応え満点、フジタファンとしてはとてもエキサイティングな経験でした。
自画像。
何度見てもこのヘアスタイルはユニークで当時も斬新でインパクト大だったに違いない。
そしてロイド眼鏡に金のピアス。
すっかりそれらを自分のトレードマークにしたところなど自己プロデュース力にも感心してしまう。
パリに暮らした富裕な米国人女性を描いた「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」。
約90×146センチの大きな作品ですが、その大きさの中で緻密に衣装やソファの模様、その質感が感じられました。
金箔を好んで使用した藤田が背景を銀箔で覆った珍しい作品。
藤田といえば「乳白色の下地による裸婦」「猫」が代名詞なので、こういった風景画(フルール河岸、ノートル・ダム大聖堂)はとても新鮮に感じました。
宙に14匹の猫が大胆にアクロバティック舞う「争闘(猫)」。
猫が大好きだった藤田はパリの街角の捨て猫を可哀想に思い次々に連れて帰ったそう。
猫はおとなしく、おしとやかな反面、怒ったり猛々しくなったり、その二面性に惹かれ、猫と女性は全く同じと。
カラフルな色を追求する画家が多い中、藤田は「白」という色の持つ魅力を表現。
そこで生まれた乳白色の下地、肌色は彼のトレードマーク。
本展ではその裸婦像が数多く展示されていましたが、中でも5人の女性が様々なポーズを取る「五人の裸婦」が特に印象的。
この一枚「私の部屋、目覚し時計のある風景」が1921年のサロン・ドートンヌに出品され話題となり、パリでのブレイクのきっかけ。
静物画としては林檎や花はすでに他の画家たちがたくさん描いていたので、そうではない自分の身の回りのお気に入りを集めてこの静物画を描いたところ評判を得たそう。
パリに来て苦労したのは2年くらいと本人も言っていたそうで、比較的早くにパリで成功したことからもその後の作品がどれもその瞬間瞬間を楽しん生き、描いたように感じます。
その一方で人生の中で日本でもパリでも戦争に遭遇し、自分の人生には常に戦争がついて回ったと回顧する言葉を聞くと(オーディオガイド)、パリでの成功の裏で大変な経験もされていたのだと思います。
第二次大戦中は日本軍に命じられ、国民の戦意高揚のために描いたという兵士で埋め尽くされた「アッツ島玉砕」は壮絶で、この絵の前には長くはいられませんでした。
本展のヴィジュアルにもなっている、個人的にも一番好きな作品「カフェ」は実はパリではなく、ニューヨーク在住中に描かいたものだと知って驚きました。
当時再びパリに渡ることを願い待ちわびながら手持ちの銅版画をもとに制作したそう。
戦後再びフランスに渡り帰化し、洗礼を受け、ランスの教会の装飾を精力的に描いたレオナール・フジタ(洗礼名)。
この作品「礼拝」にはレオナール・フジタと奥様君代さんも描き込まれた晩年の代表作で画家の集大成。
また、本展の最後のコーナーで「藤田の手仕事」というコーナーがあり、彼が作ったお皿や洋服も展示されていたのですが、そういった日常生活に使うものを自ら楽しんで手作りし、生活を彩ったこと知り、これまた知らなかった画家の一面を知り素敵だな〜と。
そんな絵皿のレプリカがお土産コーナーで売っていたので欲しかったのですが、鑑賞前に手荷物をコインロッカーに入れてしまい、手元に財布無し。。
気になるグッズのあれこれが全く買えませんでした。残念…。
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