
Dolceacqua☆モネも愛した中世の町
<マルセイユ発バカンスブログ>
滞在するDolceacqua(ドルチェアックア)は、イタリア北西部リグーリア州に位置する小さな村で、その美しい景観と歴史的な建造物で知られています。
町の真ん中を流れるNervia(ネルヴィア)川沿いに広がる美しい中世の町。
その歴史は古く、12世紀には「Dulzana」(デュルザナ)というケルト起源の名前で記録されているそう。
この村に立って、真っ先に視界に入ってきたのは、高台にある村の象徴である『ドーリア城』(Castello dei Doria)。
12世紀に建てられた歴史的価値も高いお城です。
今回宿泊しているB&B 「Le Gemme」でいただいた町のガイドマップで、ざっくりと見どころと歴史をチェック。
(関連記事→ https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/dolceacquabb-le-gemme.html)
これによると、村には先史時代から人々が往来し、古代ローマの農場やケルト人の村が起源と伝わり、ローマ時代の占有の痕跡も見られると。
しっかり歴史に登場するのは、ヴィンティミッリャ伯爵家の支配下に置かれてから。
1270年にジェノヴァのドーリア家のものとなり、以後約500年間、ドーリア家の領地として発展。
彼らはドルチェアックアを中心に領土を拡大し、アプリカーレ、イゾラボーナ、ペリナルド、ロッケッタ・ネルヴィナなどの村々を統治下に置きました。
また、当時イタリアでは教皇派と皇帝派の争いが続いていましたが、ドルチェアックアは常に皇帝派に属し、ヴィンティミッリャ伯爵家やモナコのグリマルディ家と対立。
しかし、ルカ・ドーリアとフランチェスカ・グリマルディの結婚によって、この争いは集結。
17世紀になると、イタリアの支配を巡って各国の戦争が相次ぎます。
1634年のジェノヴァとサヴォイア公国の戦いでは、ドーリア家はジェノヴァ側につきましたが、ピエモンテ軍による包囲戦に苦しみます。
最終的にピエモンテに屈服することで、領土を取り戻すことができました。
1746年のオーストリア継承戦争では、オーストリア軍とフランス軍の衝突に巻き込まれ、村は再び戦火にさらされ壊滅的に破壊されました。
城も破壊され、以降、城は修復されることなく廃墟となりました。
その後、ドーリア家は城を捨て、教区教会の隣にある宮殿へ移転。
この宮殿では、フランス革命後の混乱の中、ナポレオンとその将軍マッセナが訪れたことでも知られています。
1902年、ドーリア家はついに途絶え、村は新しい時代を迎えることに。
現在、ドルチェアックアは美しい石畳の旧市街とアーチ型の中世橋、城の遺跡が魅力の観光地となっています。
人口は2000人ちょっとのとても小さな村ということで、歩いていても人が少ない印象です。
おそらく撮影スポット人気No.1と思われるのが、ネルヴィア川にかかる中世の橋「Ponte Vecchio」(ポンテ・ヴェッキオ橋)。
東側は古くから「Terra」(テッラ)と呼ばれ、一方、西側は街の城壁の外にあるため「Borgo 」(ボルゴ)と呼ばれています。
そのアーチ型の石橋・ポンテ・ヴェッキオは、 フランスの画家クロード・モネが描いたことでも有名と☆
ちなみにこちらが、モネが描いた作品のうちの1点。
モネもこの景色に魅了されたのね...と思うとまた感慨深い。
石造りの建物が立ち並ぶ狭い路地は、とにかく中世の雰囲気を色濃く残していて、散策するだけで歴史を感じまくりで、歴史好きにはたまりません(^o^)
夜になると川岸はライトアップ。
村は山間部なこともあり、この時期の川岸散歩はまだまだ寒く、歩いている人もほとんどいませんが、夏はかなり気持ち良さそう&川辺でのアペロは最高だろうな〜。
夜空に浮かぶドーリア城も幻想的な美しさ。
タイムスリップ感が大きく、現実を忘れてしまうひと時、これまたバカンスならではな体験です。
******プチっとパリ*****
Kちゃんからいただいた『東京ひよこ』。
そもそもひよこちゃんを食べるのが久しぶりですが、紅茶フレーバーなんて初めて!
パリでいただく東京土産は心和む〜♡
かわい〜!と言いながら頭からガブっ。
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