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バスキア展☆Fondation Louis Vuitton
昨年10月より“Fondation Louis Vuitton”(フォンダシオン ルイ・ヴィトン ルイ・ヴィトン財団美術館)で始まった“JEAN-MICHEL BASQUIAT”(ジャン=ミシェル・バスキア展)は、好評につき1月21日まで会期延長に☆
予約して出かけたのものの、既に長い行列で予約時間の40分遅れで入館。
バスキアと同じ27歳でこの世を去ったエゴン・シーレ(Egon Schiele)展と同時開催で見応えのある展覧会☆
(関連ブログ→ https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/fondation-louis-vuitton-1.html )
バスキア展は4フロアを使い、11のギャラリー(!)で構成という大規模なもので、これまで一般公開されたことのない作品を含め、1988年に生涯を閉じるまでの8年間の活動期間の中で描かれた約120点が集められた、一言で言うなら「圧巻、壮絶!」な展覧会でした。
私自身はこれまでバスキアの名前といくつかの作品をテレビや雑誌等で知る程度だったので、本物作品たちを、しかもこんなに大規模展覧会で対峙するのは初めてのこと。
すっかり魅了されてしまいました。
思わず引き込まれてしまった作品の多くは「タイトル無し」。
なので細かく見れば見るほどに込められた想いや意味は深そうで自分の中でもあれこれ反芻するも、とにかく本展では作品数が多く、初めてちゃんと観た私は途中でいい意味でお腹いっぱい的な疲れも感じました。
バスキアはその短い生涯のうちに絶えず描き続けたそうで、1500枚のドローイング作品、600枚の絵画、彫刻等の制作、手当たり次第に色々な素材に直接描いたそう。
この機会に彼のバイオグラフィーもざっくり知ることができました。
1960年にNYでプエルトリコ系移民の母親とハイチ系移民の父親の間に生まれたバスキアは、幼い頃から芸術の才が見られ、母親や教師の勧めで絵を描いて育つ。
7歳の時、交通事故に合い、腕を骨折し、内臓も破裂する大怪我で脾臓除去手術を受ける。
その療養中に母親が渡したヘンリー・グレイの『グレイの解剖学』がきっかけで、バスキアは人体の解剖学に関心を持つようになり、バスキアの将来の芸術観に大きな影響を与えた。
17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始め、高校を中退してからはTシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。
1976年、友人のアル・ディアスと「SAMO」というユニットを結成し、匿名下でグラフィティ作品の制作を始めマンハッタンの下層地区の建物に塗装スプレーを使ったグラフィティ・アートを多数描く。
徐々に彼の描いたスプレーペインティングは評価されるようになり、ニューヨークで個展開催。
一時期結成していたノイズバンド「GRAY」の名は交通事故の際、母親が渡した『グレイの解剖学』が由来。
1983年にはアンディ・ウォーホルと知り合い、作品を共同制作したりするように。
(↓ バナナのウォーホル!? 笑)
1987年にウォーホルが亡くなるまで2人はお互いに刺激し合う関係に。
ウォーホルの死後、孤独を深め、ヘロインに溺れ、鬱状態が悪化。
1988年、ヘロインのオーバードースにより27歳で死去。
かなりざっくりの略歴ですが、27年の人生は凡人には想像できない生き急ぐような濃い人生だったのだろうと思います。
当時のニューヨークの社会的背景の中で自分のアイデンティティ、奴隷や植民地主義的な差別などからバスキアが感じ、思い、怒ったことははかり知れず…。
子供が描く絵のような率直さ、面白さが感じられ、それがまた心に直接響いてくる感じ。。
格好良さも。
どんな作品も教科書などで見るものと直接本物を観るとでは違ってますが、個人的にはバスキア作品は特にそのギャップが大きく感じられ、こうして本物を目にしたことはかなりの衝撃でした。
バスキア鑑賞初心者なので、まだまだ知らないことがたくさん!
本展をきっかけに新たな興味も湧いたので、今後もその作品や関連映画なども観てみたいと思います。
まずは購入した図録をじっくり眺めるところから。
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