
蔵出しコレクション☆草間彌生展
帰国直後に法事の為、新潟帰省した某月某日のこと。
と言うわけで今日はパリでも東京でなく、気分転換の新潟ネタ。
夫「なんだこれ?」
K「これこれ!知らないの?数年前から限定的に上越新幹線として走ってる現美(げんび)新幹線!「現美」は「現代美術」の略ね。外観は蜷川実花さんデザイン☆」
「日本三大花火」のひとつ『長岡花火』(←これ見て育ちました。魂揺さぶる実に素晴らしい花火大会よ!毎年8月2日、3日に開催です)のイメージだそう。
K「本物を見るのは私も初めて!かっけ〜♡」
と、鉄子気分でパシャパシャ撮ったり、中の様子を眺めてテンションアップ♬
中のインテリアは、小牟田悠介さんや松本尚さんが手がけているそう。
(↓JR東日本オフィシャルサイトより)
この日乗車できた訳ではないのですが、新潟駅に停車していたGENBI SHINKANSEN(現美新幹線)にすっかり興奮してしまいました。
さて、帰省の度に立ち寄ることが多い『新潟市美術館』。
『蔵出しコレクション 草間彌生 + アメリカに渡ったアーティストたち』展が開催中でした。
これまで現代アート展など草間彌生作品のいくつかを鑑賞したことはあるものの、個展を鑑賞するのは初めて。
言わずと知れた「前衛の女王」と呼ばれる日本を代表する現代アーティストで、その世界的人気からパリでも東京でも個展はもちろん、彼女の作品前は大混雑。
昨年夏の“Fondation Louis Vuitton”(ルイ・ヴィトン財団美術館)での混雑ぶりも記憶に新しいところ。
(関連ブログ→ https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/louis-vuitton.html )
私自身は彼女のトレードマーク的なカボチャや水玉の作品は知るものの、その経歴や人生についてはほとんど知らなかったので、本展を通じて知ることは色々でとても有意義でした。
しかもラッキーなことにほぼ貸し切り状態という贅沢鑑賞で、じっくりゆっくりひとつひとつの作品に対峙。
まず最初の広い展示ルームに堂々な迫力の巨大なオブジェ作品『流星』は、新潟市美術館所蔵。
新潟市美術館は、この幅8.4m、高さ3.2mの大作「流星」(1992年)はじめ、初期のパステル画「線香花火」(1952年)など貴重作品を収集し、近新作による個展「草間彌生 永遠の永遠の永遠」(2012年)でも、その作品を世界に紹介。
本館と草間彌生にそんな関係があったとは知らなかった…!
そのコレクションの中でも新潟県南魚沼市出身の版画刷り師、木村希八とコラボしたエッチング作品59点は、鉄筆で刻み付けた生々しい線描で自伝的テーマを表現し、他の素材・技法にはない「知られざる草間」を味わえる作品群だと。
本展では新潟市美術館所蔵の草間作品全85点を初めて一挙公開。
これまで知らなかった経歴をざっくり確認。
1929年、長野県松本市で種苗業を営む裕福な家の4人兄弟の末っ子として生まれました。
ということは、現在91歳。
6歳から(と解説で読んだ記憶ですが、うろ覚えです…)絵を描き始め、草花などをスケッチするように。
早い時期、少女時代に統合失調症という精神病を病み、幻覚や幻聴に襲われるようになり、それが草間作品に大きな影響を与えるように。
京都都市立美術工芸学校で日本画を学ぶも、厳しい伝統と思想に縛られた旧弊な日本画壇に失望。
松本の実家へ戻り、毎日数十枚以上を描き、制作に没頭し、松本市で23歳の時に初個展を開催。
閉塞感を感じた日本から飛び出し27歳で渡米。
NYでは全裸の男女に水玉を描いて屋外でパフォーマンスやインスタレーションを披露する過激な「クサマ・ハプニング」は、ニューヨークで高い人気を得ました。
反対にバッシングも相当あったようで、その中でも自分の制作スタイルを貫いた強さに私のような凡人はただただすごいな…と驚き感心するばかり。。
本展で一番好きだったのは、『自己消滅』と言うタイトルのこの作品↓。
これも大きな作品です。
「自己消滅」というタイトルではあるけれど、そのひとつひとつは毎日の日常的な調度品を赤い水玉で積み重ねたポップな可愛さも感じるもの。
日常の取るに足らないようなことも、それらが失われたら自己消滅かも…とシューズを見ながら思った。。
「レーダー天文学・シャボン玉セット」と題された、アメリカ人のジョセフ・コーネルのボックスアート。
これまた本展で知ったのですが、草間彌生にとってジョセフ・コーネルは恋人のような親しい存在だったそう。
二人の出会いは1962年。
なかなか自作を手放したがらない引き籠もりアーティストのコーネルを説得するために画商が草間をコーネルに紹介したことが二人の出逢い。
26才差の二人でしたが、特にコーネルの草間への想いは熱烈で、出会った翌日にはメールボックスがはちきれるほど自作の詩を送り、毎日のように電話。最晩年は草間のヌード写真を素材に箱作品を作る構想を練っていたそう。
二人の関係は、出会ってから約10年間のコーネルが亡くなるまで続く。
1973年にコーネルが亡くなり、その後草間は精神的な不調が続き、日本に帰国し入院。
その後、再び活動が活発になったのは90年代頃から。
1989年にニューヨークの国際現代美術センターで開催された「インフィニティ・ミラーズ」や1993年には第45回ヴィネツィア・ビエンナーレで日本館から参加し、注目を集め、世界的に再評価熱が高まりました。
最後に展示されていた携帯電話ケースの「私の犬のリンリン」、
「宇宙へ行く時のハンドバッグ」は、リアルに欲しくなりました♡
様々な作品を巡って「クサマワールド」を大満喫しました!
その興奮のままに鑑賞記念に、とお土産にカボチャのクッションを購入。
早速自宅のリビングに飾ってますが、かなり存在感を放ってます☆
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