モンマルトルでヴァラドン・ユトリロ・ユッテル展
久しぶりにモンマルトルへ。
いや〜やっぱり坂が多くて息が上がるモンマルトルエリア。
後ろから子供たちが坂道なのに、寒いのに、元気に駆けてきて抜かれ、あっという間に見えなく
なってしまった...。
ゼーゼー言いながら己の体力低下を感じつつやってきたのはMusée de Montmartre(モンマルトル美術館)。
只今開催中の" Valadon,Utriro et Utter"(ヴァラドン、ユトリロ、ユッテル)展を観に行ってきました。
ヴァラドンとユトリロは親子だけど、Utter(ユッテル)って誰だっけ?と思いながら出かけたのですが、
André Utter(アンドレ・ユッテル)は、シュザンヌ・ヴァラドンの夫となった人でした。
今回の展覧会はSuzanne Valadon(シュザンヌ・ヴァラドン)生誕150年の記念展覧会。
まず1階には彼女の代表作で、ユッテルをモデルにした「網を打つ人」の絵があったのですが
その大きさ、迫力にちょっと圧倒されました。
人物をほとんど描かなかった息子ユトリロとは逆にヴァラドンの絵のテーマの多くは人物。
その絵は力強く、活き活きしたものが多い☆
(↑アダムとイヴ)
本名は、マリ・クレマンティーヌ・ヴァラドン。
じゃ、シュザンヌって?と思ったら、それは当時の恋人だったロートレックが、他の画家のモデルを
辞めず、裸でポーズを取る彼女に嫉妬し、旧約聖書の中で老人に水浴を覗かれる「シュザンヌ」という
女性に重ね、皮肉を込めて呼んだそう。
(↑一時ヴァラドンと恋愛関係だったエリック・サティの肖像画)
5歳の時に母親とパリにやって来たヴァラドンは、様々な職業を転々とした後にサーカス団に入るも
怪我でサーカスを退団し画家のモデルに。
そして自らも絵を描いてみたらロートレックやドガに絶賛され、シュザンヌ・ヴァラドンと名乗り
画家として生きました。
18歳でユトリロを産んだものの父親の名前は明かさず。
恋多き女で恋人は途切れず、子育ては祖母に任せっきり、資産家と結婚して自分は制作に没頭。
ユトリロは母の愛情に飢え、精神不安定に...。
気持ちを落ち着けるために10代からお酒を飲み、20歳でアルコール依存症になった彼が治療の一環で
始めたのが絵を描くこと。
という二人の略歴を読みながら作品を見てゆくと、ヴァラドンとユトリロの作品は対照的というか
全くテーマも画風も別物なのもわかるような気がしました。
奔放に恋をし、ひたすら自分が好きなことに没頭する母と満たされない息子は世の中の見え方
も全く違っただろう...と。
こんな勝手なおかん嫌いになるでしょ...と思ったのですが、ユトリロは絵を描くことで母が
自分に興味や感心を持ってくれるかも...と願って絵を描いたのかもれないな...とも思いました。
そこはかとなく寂しさが漂う絵が多いユトリロ。
これまで私の中ではユトリロと言えば白い絵というイメージだったのですが、この展覧会では
色彩豊かな絵も多数あり、新鮮な驚きがありました。
(左からヴァラドン、ユッテル、ユトリロ)
ヴァラドンの私生児として生まれたユトリロは、彼が7歳の時にスペイン人ジャーナリストの
ミゲル・ウトリーリョ・イ・モルリウスに息子と認知されてモーリス・ユトリロに。
ヴァラドンは、ユトリロが連れて来た親友で画家のアンドレ・ユッテルに出会い、恋に落ちる♡
この時ヴァラドン44歳、ユッテル23歳。
にしても、自分の友達を紹介したら、おかんと結婚しちゃうって...子供心としてはやっぱり複雑
だっただろうと...。
なのにユトリロは自分の作品には生涯を通じて"Maurice Utrillo.V."と母のイニシャルVを加えたサインを
残していることが私には興味深かったです。
子育て放棄な母だったのかもしれないけれど、ユトリロにとってはずっと求め、追い続けたい
存在だったのかも...と思いました。
それから本展では、ヴァラドン、ユトリロ、ユッテル3人が使っていたアトリエも公開☆
ここで制作活動をしていたのか〜と思うと、やっぱり感慨深いものも感じました。
本展は好評により当初2月15日までの会期予定でしたが、延長され3月13日までに☆
おまけのパリは「トリコロール」をBelle et Bonneで
⇒ http://belleetbonne.blog.fc2.com/blog-entry-898.html
à demain(^.^)/~~
<info>
Musée de Montmartre(モンマルトル美術館)
*シュザンヌ・ヴァラドン、ユトリロ、ユッテル展は2016年3月13日
2-14 Rue Cortot, 75018 Paris
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