民衆の敵☆
パリの1枚。
パトロールエリアにあるこてこてのアール・ヌーヴォーのアパルトマン。
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今年最後の観劇は渋谷Bunkamura・シアターコクーンでの「民衆の敵」となりました!
原作は、ノルウェーの大劇作家ヘンリック・イプセンの傑作戯曲。
イプセン作品を観劇するのは、「ヘッダ・ガブラー」に続いて2度目。
(関連ブログ→ https://madamefigaro.jp/paris/blog/keico/post-842.html)
主演は、堤真一さん、段田安則さん、安蘭けいさん、谷原章介さん、木場勝己さんをはじめとする豪華キャスト。
本作はおもいきり社会派ドラマ!
温泉だけが頼りという小さな田舎町の「不都合な真実」を告発した男の受難物語。
ざっくりなストーリーは(ほぼネタバレです!)オフィシャルサイトより引用。
(舞台画像はオフィシャルサイトより)
温泉の発見に盛り上がるノルウェー南部の海岸町。
その発見の功労者となった医師トマス・ストックマン(堤真一)は、その水質が工場の廃液によって汚染されている事実を突き止める。
汚染の原因である廃液は妻カトリーネ(安蘭けい)の養父モルテン・ヒール(外山誠二)が経営する製革工場からくるものだった。
トマスは、廃液が温泉に混ざらないように水道管ルートを引き直すよう、実兄かつ市長であるペテル・ストックマン(段田安則)に提案するが、ペテルは工事にかかる莫大な費用を理由に、汚染を隠ぺいするようトマスに持ち掛ける。
一刻も早く世間に事実を知らせるべく邁進していた、新聞の編集者ホヴスタ(谷原章介)と若き記者ビリング(赤楚衛二)、市長を快く思っておらず家主組合を率いる印刷屋アスラクセン(大鷹明良)は、当初トマスを支持していたが、補修費用が市民の税金から賄われると知り、手のひらを返す。
兄弟の意見は完全に決裂し、徐々にトマスの孤立は深まっていく。
カトリーネは夫を支えつつも周囲との関係を取り持とうと努め、長女ペトラ(大西礼芳)は父の意志を擁護する。そしてトマス家に出入りするホルステル船長(木場勝己)もトマスを親身に援助するのだが……。
トマスは市民に真実を伝えるべく民衆集会を開く。
しかし、そこで彼は「民衆の敵」であると烙印を押される……。
この戯曲が書かれて130年以上が経つというのに違和感も古さも感じないのは、現代のどの国のどの街でも起こり得ること、今現在起こっている問題に感じられとてもリアルでした。
そして「正義」や「真実」がないがしろにされる状況は今もまったく変わっていないと言うこと。
印象的だったのは、主人公(堤真一)がかなり差別的で傲慢な言い方で、正義や真実をダメにする、敵はバカな大衆と言うくだりのクライマックス。
そんな大衆の多数決で決められることが正しいわけがない、と。
ふむふむと頷いてしまったけれど、その一方で主人公の自分だけが賢いとか正しいと信じて疑わないところがちょっと滑稽。
それぞれの立場や言い分、利権も絡み、正しいことを正しく主張しても人々の心に響くとは限らない?!
民衆一人一人はそれほどの影響力を持たずとも集まってマスとなって動き出した時の怖さ。
真実や将来性を見つめる以前に、私利私欲、既得権益が侵されるとなると大暴れする(しかない)民衆はもはや暴徒。
マスコミはその時々の世論と権力者に合わせた報道で民衆を先導。(コロコロ変わる)
そんな社会問題や大衆心理を描いた舞台でした。
なんだか最近の世界中の色々な問題を包括したかのようなお芝居で、繰り返しになりますが、これが100年以上前の作品であることにただただ驚きました。
民衆の敵とは誰か?何か?を問うバリバリの社会派ドラマで、鑑賞後は自分の中での答えの出ない堂々巡りになってしまいました。
と言うわけで2018年ラストの観劇は、私にはなかなか難しく考えさせる問題色々の作品でした。
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