台湾の友人、小慢(シャオマン)の話。

フィガロの連載「旅と料理」の1回目の旅先は台湾。
この台北の旅で台所をお借りしたのは、国立師範大学近くで中国茶のお店とギャラリーを営む友、謝小曼です。謝が姓。小曼が名。彼女のお店の名前でもある「小慢」(シャオマン)と、いつも呼ばせていただいています。

大通りを曲がり、雑貨店や飲食店が並ぶ通りに沿って歩きながら、3本目の筋を入ったところに、シャオマンのお店があります。お店の玄関脇の地面からは、大きな木が空に向かってせり出すように伸びており、その枝にはいつも繊細な緑の葉がたくさん茂っています。彼女のお店の前と、隣の建物の4階にある彼女の家のテラスだけが、こんもりとした、でもどこか涼しげな緑で覆われているのです。そして、私は、いつもその風景を眼にした瞬間、ああ、台北に着いたな、と思うのです。実際、何度となく訪れた台湾でシャオマンに会わなかったことはほとんどありません。いつもその歌うような柔らかな声と、小柄だけれども力漲る体、そして、優しさと鋭さの入り混じった瞳で迎えてくれる彼女のことを、私はだんだんと台湾の家族のように感じるようになりました。

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台北の裏路地の至る所に、ブーゲンビリアが花を咲かせている。

家族と感じているもう一つの理由には、シャオマンの息子である、ユーウェンの存在も大きいかもしれません。学生時代に専攻したインテリアと同じくらい、料理が好きだというユーウェンに、ぜひ亜衣の手伝いをさせたいというシャオマンからの強い推薦で、台北に始まり、松本、多治見、熊本、京都など、本当に色々な場所で手となり足となりお手伝いをしてもらっています。息子であってもおかしくないほど年の離れた彼は、朝早くから夜遅くまでの仕込みや、買い物まで全てを助けてくれ、私のことをいつも優しく気遣ってくれる頼りになる片腕です。私はまさか外国の青年に料理の手伝いをしてもらう日が来るとは思ってもいませんでしたが、黙々と二人で作業をしながら台所で過ごす時間を重ねるたびに、心地よさが増してゆくのがわかります。一人娘を育てるだけでも精一杯の私ですが、ユーウェンと過ごしていると、ああ、息子もいたらよかったのになあと思うようになりました。とはいえ、すでに立派に育った、母をよく手伝ってくれる息子、というかなり身勝手な希望ですが……。

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台北に行くと、必ず茶でもてなしてくれるシャオマン。

さて、シャオマンは台北にはお店の他、二軒の家を持っていて、私は訪れるたびに、あちらこちらの台所で料理をさせていただいています。イタリアで暮らしていた頃は、ホームステイ先や、友人の家、料理学校の学生寮、自分で借りたアパートなどの台所で料理をしていましたので、外国の家で料理をするのには、慣れている方だと思います。ただ、アジアでは日本以外で初めて料理をしたのはシャオマンのところでした。

これまで、三谷龍二さんや矢野義憲さんら、日本の工芸の作家の方々の展示会に合わせて料理を作ったり、台北に暮らす台湾や日本の方たちのために料理教室をするなど、たくさんの機会をいただいてきました。とびきりおいしい朝ごはん屋さんでの朝食に始まり、市場での買い物に至るまで、シャオマンは必ずいつも一緒に来てくださいます。そして、一仕事を終えた夜は、選り抜きのおいしいお店に連れて行っていただけるのが、また、大きな楽しみでもあります。おしゃべりをしながら、たくさんの大皿を囲み、お酒を飲み、おいしいね、と言いながらたくさん笑ってお腹いっぱいになるまで食べる。その時間に学ぶことは少なくありません。私は、まさに目を皿のようにして皿の中の料理を見つめ、口に運び、咀嚼し、記憶に刻み込みます。そうやって蓄積された記憶の襞から、旅のかけらを取り出すようにして生まれる料理は、私自身にとっても、私を日本で待ってくれている人たちにとっても多分、一番鮮烈で心ときめくものなのではないかと思っています。だから、私は家族や友人への旅のおみやげは、いつも”料理”と決めています。

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小慢の茶器の見立ても美しい。拾った枝を、お茶菓子用の楊枝として。

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小慢が扉を開けてくれた、茶の世界。

ところで、「小慢」には、彼女の厳しい舌と審美眼によって選ばれた、格別においしい茶と美しい茶器が並んでいます。そして、”亜衣ィ、お茶飲むゥ?何が飲みたいィ?”と、台湾風のイントネーションが混ざったような、独特の語り口で尋ねられると、たとえどんなに急いでいても、いただきます、と椅子に腰を下ろさずにはいられません。シャオマンがこだわって選び、淹れてくださるのは、自然生態茶と呼ばれる自然栽培のお茶で、それらを長い年月に渡り、確保するための努力は計り知れません。中国茶の世界を知らない人間にとっては、びっくりするような価値のある茶も少なくないのですが、いただくたびに、ああ、シャオマンの茶は、本当においしいな、と素直に思います。また、古い茶の木は、茶に関わる人たちにとっては、とても貴いものです。中国・雲南省で茶園を訪れた時には、樹齢数百年の茶の木が柵に囲われて大切にされているのを目の当たりにしました。

そして、シャオマンに貴重な茶を淹れていただいているにつれ、思うようになったことがあります。それは、茶そのもの、あるいは食事に合わせてお茶を愉しむだけではなく、茶葉を料理や甘味に生かすことはできないか、ということでした。「小慢」でのとある料理会にて、烏龍茶の香りを移した牛乳ゼリーに爽やかな黄色い柑橘で作ったグラニータをのせたデザートをお出しした時のことです。柑橘の酸味が茶の風味を邪魔すると聞いていたので、正直なところ、シャオマンが気に入ってくださるかどうか心配で仕方ありませんでした。でも、”これ、おいしいねえェ、亜衣ィ”と、その丸いお顔でにっこりと笑いかけていただいた時は、とてもうれしかったのと同時に、なんというか、一つの冒険心のようなものが私の中で花開いてゆくのがわかりました。

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小慢と三谷龍二さんが企画した展示会「台灣茶文化&日本生活器物美學」へ。日本の作家とのつながりも深い小慢。ピーター・アイビーさんや村上躍さん、ハタノワタルさん辻和美さんの作品などが美しく展示される。

香りを重んじ、煎を重ねるごとに変化してゆく中国茶には、食材としての大きな可能性があるのではないか?だとしたら、いつか、茶葉や淹れた茶そのものをいろいろな形で使った料理を作ってみたらどうだろう?日本に帰り、中国茶の会を開いている友に相談に乗ってもらい、どのお茶がどんな料理に合うのか、あるいは邪魔をしてしまうのかを教えてもらいながら、自分なりの”茶葉料理”を考えては試行錯誤を繰り返しました。

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”京都小慢”にて開いた冬茶會。

そして2019年1月、私にとって記念すべき時が訪れました。シャオマンが2018年に京都御所の北側に位置する京町家を改装して開いた「京都小慢」にて、二人で、冬茶會を開くことになったのです。茶人はシャオマン、彼女の淹れる茶のために私が料理を作らせていただく。なんという幸せでしょう。その時、迷わず選んだ料理の主題は、”茶と料理”でした。茶の繊細すぎる香りや味わいをどうしたら料理の中で生かすことができるのか、考えを巡らせます。「創作に走ってはいけない」という、私が料理をする上でいつも大切にしていること。それも一つのキーワードでした。シャオマンが選び、淹れてくださる茶の価値やおいしさを知れば知るほど、茶を殺してはいけない、という気持ちが強まります。

茶會の前日、用意していただいた何種類もの茶を、シャオマンとユーウェンと3人で、味わいます。まず、茶束に盛った乾いた茶葉の香りを嗅ぎ、次に茶壺の中で湯を含んだ茶葉の香りを嗅ぎます。何煎か口に含み、舌に残る味わいと鼻に抜ける香りを感じます。そして、最後に茶杯の残り香を、ぐっと吸い込んでみます。すべてを目一杯、自分の中に封じ込めながら、熊本の家で考えてきた献立の、どの部分にどの状態の茶を組み合わせるのかを考えました。乾いたままの茶葉、淹れたての茶そのもの、何度か湯を通して柔らかになった茶殻、それぞれの段階を、どんな風に、どの料理に合わせるのがいいのだろう? 

私は、普段から一つの料理に多くの要素を盛り込むことを避けるようにしていますが、それは、使う素材の輪郭をはっきりとさせたいからです。”茶と料理”を考えるにつれ、その思いは、より一層強くなりました。茶を生かすには、自ずと様々なものを省いてゆく必要があると感じたのです。

シャオマンと茶會をするにあたって、真っ先に作りたいと思ったのは、私流の”台湾的な”料理でした。ただ、何度旅を重ねたところで、私に台湾の人が作るような料理が作れるようになるわけではありません。それを十分承知の上で、あえて、台湾の食卓にも、自然と溶け込めるような料理を作りたいと考えました。幾度となく連れて行ってもらった台北の食堂の味。ともに旅をした、台南や台東、花蓮、新竹などの街で食べた数え切れないほどの料理。各地の市場で出会った、台湾ならではの食材。様々な味がぐるぐると頭の中を駆け巡り、思いついた料理がありました。そして、シャオマンが目の前で淹れてくださった茶を前に、再び考えます。「京都小慢」で冬茶會を行うにあたって、京都の冬の素材をどんな風に料理すればいいのだろう?

ユーウェンと一緒に市場を歩きながら、レシピを少しずつ修正して買い出しをします。聖護院かぶら、壬生菜、畑菜…。うん、きっと合う。そんな思いで台所で手を動かしてゆくうちに、自分がいつになく油と塩を使ってないことに気がつきました。オリーブ油と塩を味つけの基本とするイタリア料理が料理の勉強の出発点だった私にとって、油と塩はどんな国籍の料理であるにせよ、とても大切なものです。台湾や中国を旅するようになって、その思いはさらに大きなものとなりました。しかし、茶を生かそうと思えば思うほど、使う油と塩の量は、本当に必要な分だけになってゆきました。それと同時に、改めて感じた水の力。水がなければ茶は成立しません。それは料理においても同じで、水(時にそれは湯であり、時に蒸気でありました)こそが、茶と料理を結びつけてくれるものだという思いが強くなったのです。

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シャオマンの台所を借りて作った青菜炒め。

茶會の朝、京都では雪が舞いました。お客様が足止めを食らってしまうのではという私の心配をよそに、みな無事にお揃いになりました。無我夢中で料理を一通りお出しし、みなさんが最後の茶を愉しんでいるのを眺めながら、はあ、まずは第一回、何とか無事に終えたな、と思った時のことです。「そういえば、シャオマンに今朝、献立を書くから何を作るか教えて、と言われたけれど、みなさんどこに献立をしまったのだろう?」お客様とシャオマンが囲む食卓に目をやると、ありました。和紙張りの食卓全体を覆うほどの、大きな韓紙に書かれた献立が、まるで風景の一部のように敷かれていました。そう、シャオマンは、習字も、歌も、見事にこなす人なのです。昨夏、一緒にフランスで茶會をした時には、硯で墨をすり、筆で、まるで美しい絵のような字を書き連ねてゆく姿に、また、台東の旅で原住民の人たちと星空を眺めながら、歌を歌い上げる姿に、ああ、彼女は一体どれだけの贈り物を周りの人たちにしているのだろう、と思いました。

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さて、茶會の献立をここに記しておきたいと思います。

揚げ菊芋とむかご・農民普洱
聖護院かぶと百合根の曬青山茶蒸し
鯛と清境貴妃茶のわんたん
白菜、壬生菜、つまみ菜の普洱茶油炒め
豚肉と黄白菜の梅干菜蒸し・黄白菜と白暑貴妃茶
茎烏龍茶飯
牛乳ゼリーと晩白柚・文山包種茶蜜

20代の初めに料理の道を目指し、ひたすらに料理を続けてきました。ああ、料理をしてきてよかったな、と思う瞬間は今までにも数多くありましたが、これほどまでに、料理とともに生きてきた自分を幸せに思ったことはなかったかもしれません。雪の降る京都でシャオマンとユーウェンと過ごした時間。茶と料理について、私なりに考えを巡らせ、手を動かし、自分の舌や鼻で感じた記憶は、これからの私の大きな支えになってくれるでしょう。

次は松本へ。そして、中国、インド、台湾、フランス、イタリア……。シャオマンと私の、茶と料理を巡る旅の夢は果てしなく続いてゆきそうです。年を重ね、旅をするたびに増えてゆく、国籍も年齢も違う、家族のような友。そして、彼らが暮らす家。それらは、私にとって、自分の家族や家と同じくらい大切な、かけがえのないものなのです。

”旅と料理”は、家と家族につながってゆく。そして、料理が結んでくれるものは、いつだって幸せに溢れています。

2019年2月17日   細川亜衣

小慢(シャオマン)
台北市大安區泰順街16巷39號
tel:886・2・2365・0017
営)10時~18時
休)月

photos:YAYOI ARIMOTO

大学卒業後にイタリアに渡り、レストランの厨房や家庭の台所など、さまざまな場所で料理を学ぶ。熊本に移住し、菩提寺の泰勝寺にて、マーケットや料理会、教室などさまざまな食関連の企画をしている。

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