オペラ・ガルニエ、『鷹の井戸』で杉本博司の世界を堪能。

9月20日、恒例のオープング・ガラでシーズン2019〜20をスタートしたパリ・オペラ座バレエ団。350周年の記念年である今季の初演目は、10月15日まで公演が続く『杉本博司/ウィリアム・フォーサイス』だ。フォーサイスの『Blake Works Ⅰ』は2016年に創作され、すでにオペラ座のバレエファンの間では再演が待たれる作品のひとつである。いっぽう、杉本博司がオペラ座でバレエ作品を演出するのは初めてのことである。彼とオペラ座のコラボレーションが発表されて以来、パリでは初演を首を長くして待つアートファンが大勢。バレエにはあまり縁がないけれど、彼の芸術家としての仕事に興味あり、という人は多いはずだ。これを機会にパリのオペラ座に舞台を見に行くことにしてはどうだろうか。

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杉本博司。パリでは『ジャポニズム2018:響き合う魂』にて、彼が構成と美術を担当した『ディヴァイン・ダンス・三番叟』が昨秋に上演された。©Odawara Art Foundation

杉本博司が演出、照明、空間演出を担当したバレエ作品『At the Hawk ‘s Well/鷹の井戸』は、アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツの原作による。 ケルトの神話や伝説に惹かれていた神秘主義のイェイツは、日本の能の形式、古の死者の霊を舞台に呼び戻す幻想劇にケルトの神話と響き合うものを直感したという。ちなみにイェイツが能を知ったのはエズラ・パウンドによって、そしてパウンドはアーネスト・フェノロサによってである。彼は能にインスパイアされて戯曲『鷹の井戸』を書き、それは1916年にロンドンの富豪のキュナード邸で舞踏劇として初演されている。日本では、戦後に能形式の曲『鷹姫』として改作されて上演された。アイルランド、イギリス、日本……と巡ったイェイツの魂を、今回、パリ・ オペラ座の舞台に呼び戻すことを杉本博司は試みたのである。能について、杉本博司は公演プログラムに次のような言葉を寄せている。「能とは時間の流動化です。時間は過去から未来への一方通行ですが、能は時間から自由なのです、タイムマシンのように。夢がその乗り物として機能する、夢幻能と言われています」

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オペラ・ガルニエのバレエ作品に能楽師がゲスト出演。能は超自然を題材とするという点、クラシック・バレエの“バレエ・ブラン”に通じるものがある。photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris

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イェイツによる『鷹の井戸』は次のような物語だ。その水を飲むと永遠の命が与えられるという井戸を求めて、ケルトの王子クーフリンが絶海の孤島に到着する。その井戸は鷹の精たる女性が守っていて、井戸の脇には50年前から水が湧くのを待ち続けている老人がいた。50年の間3度水が湧いたものの、そのたびに鷹が舞い、彼は眠りに落ち、それで水を飲むことが叶わぬままなのだと老人は王子に語る。その瞬間、鷹が叫びをあげて舞い始めるのだ。クーフリンが鷹を追い払い、そして……。この物語をベースに、杉本博司は鷹の精、若者、老人役の3名のダンサー、そして男女合計12名のコール・ド・バレエが踊る40分の作品に仕上げた。振り付けを担当したのは、かつてウイリアム・フォーサイスのコラボレーターだったアレッシオ・シルヴェストリン。衣裳はリック・オウエンスによる。コール・ド・バレエについてはダンサー全員黒いロングヘアのウイッグをつけ、パンキッシュでジェンダーレスのコスチュームである。プロタゴニスト3名のコスチュームはメタリック素材がメインで、その扱いもダンサーの所作に重要な役割を果たすというボリュームのあるデザイン。池田亮司による電子音楽は作品にマッチし、ときに雅楽と錯角させるほど時代を超越しているのが興味深い。

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ロングヘアで踊るダンサーたちに、リック・オウエンスの姿をつい重ねてしまう……。photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris

舞台上、つぶされたオーケストラボックスにまたがるようにT字型の木の舞台が観客席に向かって渡されている。 青、赤……と変化する背景。奥深い井戸を想起させるかのように、上方からまっすぐに長い照明がステージに落ちる。 ミニマルな舞台装置だが、魅力的な色と光の仕事が観客をすぐさま作品の中に誘い込む。

鷹姫の出現する赤のシーンは強烈であり、さらに最後、古典劇のデウスエクスマキナよろしくゲストの能楽師(観世銕之丞あるいは梅若紀彰)が白い衣裳に面をつけて登場するというドラマティックな展開。この時舞台上にまぶしいほどの白い光が満ちて、その光は舞台との境の劇場の金色の装飾を幻想的に浮かび上がらせる。ガルニエ宮ならではの見事な視覚的効果が幻想的で美しい。暗闇の劇場空間の中央で白い光にあふれるこの和欧の美の共演は、後方席の方がステージ近くの席より堪能できそうだ。老いを象徴する能楽師と若者の対峙は実に力強く、緊張の持続の中で公演の幕が下りる。『鷹の井戸』は杉本博司が作り上げた世界に浸る作品。バレエというより演劇……次はたとえば『魔笛』のようなオペラをぜひとも彼の演出で見てみたい、という気にさせられる。

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第一配役で鷹姫役を踊るリュドミラ・パリエロ。左右に翼のように袖が長くのびたボレロを脱いで舞う鷹姫。華奢な身体のダンサーだがユーゴ・マルシャン同様、大いなる存在感の持ち主である。彼女が出演するシーンは短いが、それだけに鮮烈な印象を残す。photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris

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第一配役で若者を踊るユーゴ・マルシャン。第二配役には、スジェのアクセル・マリアーノが抜擢された。photo:Julien Benhamou/  Opéra national de Paris

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老人役のアレッシオ・カルボーネ。第二配役ではオードリック・ブザールが踊る。photo:ulien Benhamou/  Opéra national de Paris

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『鷹の井戸』にダンスへの期待をすると、物足りなさを感じるかもしれない。が、30分の幕間後に踊られるウイリアム・フォーサイスの『Blake Works Ⅰ』によって、ダンスへの空腹感は簡単に解消される。2016年の創作時のダンサーも配役されているが、新たに配役されたダンサーたちも少なくなく、21名が一体となって実に素晴らしいステージを作り上げているのだ。ポール・マルク、パブロ・ルガザ、マリオン・バルボー、ビアンカ・スクダモア、ナイス・デュボスク……身体から踊る喜びを発し、舞台狭しと踊る未来のエトワールたち。『鷹の井戸』では演技者としての力量を見せたユーゴ・マルシャンが、この作品では“ダンスの王者”といった貫禄でステージ空間を食い尽くす姿も頼もしい。また、PUT THAT AWAYのパ・ド・トロワをマリオン・バルボー、カミーユ・ボンとともに踊るパブロ・ルガザは、フォーサイス作品はこう踊るべき、という身体能力を発揮。ステップのたびに指先からは空気を切る音が聞こえるようだし、脚の動きも身体のひねりも、何もかもが目に快適である。『鷹の井戸』の40分もそうだが、『Blake Works Ⅰ』の30分もあっという間に過ぎてしまう 。

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photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris

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photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris

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ジェレミー・ルー・ケール(後方)とフロラン・メラック。photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris

『Hiroshi Sugimoto / William Forsythe』
開催中〜10月15日
Opéra Garnier
Place de l’Opéra
75009 Paris
料金:10〜110ユーロ
www.operadeparis.fr/en/season-19-20/ballet/hiroshi-sugimoto-william-forsythe
大村真理子 Mariko Omura
madameFIGARO.jpコントリビューティング・エディター
東京の出版社で女性誌の編集に携わった後、1990年に渡仏。フリーエディターとして活動した後、「フィガロジャポン」パリ支局長を務める。主な著書は『とっておきパリ左岸ガイド』(玉村豊男氏と共著/中央公論社刊)、『パリ・オペラ座バレエ物語』(CCCメディアハウス刊)。
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