マチュー・ガニオ、『マイヤリング』と東京のガラを語る 苦悩を描き、若き愛人と心中へを遂げた皇太子を『マイヤリング』で熱演。
パリとバレエとオペラ座と 2022.11.10
11月24日~27日に東京文化会館で「スーパースター・ガラ 2022」が開催される。パリ・オペラ座からは今シーズンレパートリー入りした『マイヤリング』と12月の年末公演『白鳥の湖』の合間を縫って、マチュー・ガニオが参加する。まずは11月12日まで舞台が続く『マイヤリング』から。
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ケネス・マクミランが英国ロイヤル・バレエ団に創作した名作バレエ『マイヤリング』がパリ・オペラ座のシーズン2022~23にレパートリー入りした。本来は2020年5月の公演予定で稽古も始まっていたが、ロックダウン中の劇場閉鎖に伴い今期に延期されたのだ。主人公の皇太子ルドフル役には前シーズンにアデュー公演を行なったステファン・ビュリオンがゲストとして参加し、男性エトワール4名が配役された。マイヤリング村の狩猟館で17歳の愛人マリー・ヴェッツェラ男爵令嬢と心中したオーストリアの皇太子という実在の人物と史実にインスパイアされたバレエで、暴力、セックス、麻薬といった日頃バレエ作品にはなじみの薄い要素に主役ダンサーは向き合うことになる。骨太で逞しさを感じさせるダンサーを誰もがイメージする役で、公演前これがマチュー・ガニオに合う役だと思うバレエ通は多くはなかった。しかし彼同様にノーブル・ダンスールでありプリンス役に多く配されるエトワールのジェルマン・ルーヴェは、この役は自分向きではないと明言する一方、マチューはすでに過去において好感の持てない人物役も作り上げる演技力を示していることを指摘した。そして結果はまさにそのとおり。人物像を掘り下げ、その心に入り込み、悲壮で強烈な印象を残すルドルフを演じているのだ。暴力的なシーンでは暴力を感じさせるよりも、恵まれなかった親の愛情などその裏に潜む苦悩、悲しみ、もがきへと観客の心を導き、第3幕のマリー・ヴェッツェラとの心中にいたる主人公の心を生きる彼。ケネス・マクミランが亡くなって30年にあたる10月29日でも舞台に立ち、説得力のある肉厚の公演で観客から大きな拍手を得ていた。4年後に引退を控え、円熟の極みという言葉がふさわしい踊りと演技でルドルフ役に取り組んでいる彼に話を聞いてみよう。
第2幕、父である皇帝の誕生日パーティの後、ラリッシュ伯爵夫人の計らいでマリー・ヴェッツェラ(リュドミラ・パリエロ)が初めて皇太子の居殿を訪れる。photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris
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「オペラ座のレパートリーに入ると知り、バレエ仲間とロイヤル・バレエ団の公演を見に行ったんですよ。この作品はロイヤルにゲストで呼ばれない限り、オペラ座のレパートリーにはない作品なので踊る機会がないってその前は思ってました。ルドルフ役は男性的で、力強く、マッチョ……僕が持って生まれたものではありません。ロンドンに見に行った当時、あまりバレエについての知識はなかったのだけど、舞台を見て、この作品での男性ダンサーの仕事の豊かさに圧倒されました。公演後その晩主役を踊ったプリンシパルの平野亮一に会いに行ったところ、彼はヘトヘトになっていて自分の持てる全てを出し切ったということがヒシと感じられました。日本のガラで一緒になったロイヤル・バレエ団のフェデリコ・ボネッリからもこの作品について話を聞く機会があった時に、男性ダンサーのキャリアにおいて芸術面においても大切な作品であると彼が言っていて……ルドルフを踊ったダンサーの誰にでも強い印象を残す作品なんだ!って。『マイヤリング』にはすごく興味を持っていたんです」
配役され、舞台で踊る前にどのような役作りを彼はしたのだろうか。ルドルフをどのような人物として描いているのだろうか。
「準備にあたって、この史実にインスパイアされた映画もあるけれど、僕は主にルドルフについてのドキュメンタリーを参考にしました。これはリハーサル・コーチのカール・バーネットから教えてもらったんです。彼はマクミランについて多くを語ってくれました。マクミラン自身のこと、創作の過程……。この役を踊ったダンサーたちの証言も知ることができました。また現在オペラ座バレエ団でバレーマスターを務めるイレック・ムハメドフはケネス・マクミラン存命中の最後のルドルフを踊ったダンサーなので、彼から実に多くのことを継承してもらえたんです。ルドルフ像を思い描けるように、こうして少しずつあちこちから情報を拾い集めました」
コスチューム、舞台装置もバレエの見どころのひとつ。またオーケストラが奏でるフランツ・リストの音楽もドラマを盛り上げる大きな役割を果たしている。photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris
「この役に自分が向いてるか否かは僕が語ることじゃないですけど、この役が心から気に入ったことは確かですね。自分が得られた幸運を理解しました。なぜって、もしこの役にアクセスがなかったらそれがどれだけの価値を持つものか知らずに終わったわけですから。とてもエキサイティングな体験です。配役されなかったらがっかりしただろうけど、それは納得できることだったと思います。あまりにも人物が自分とかけ離れていると、その役を踊ることは関心を惹くことです。ヌレエフ作品では架空のプリンス役を多く踊り、今度は実在のプリンスを踊ることになったのだけど、これもおもしろいことでした。その仕事で得た王子の態度、アリュールをルドルフ役に役立たせたのですから。過去の経験を生かして役に豊かな色付けをしてゆく仕事はアーティストにとって本当にやりがいがあり興奮しますね。年齢的にもよいタイミングでこの役に接することができたと思っています。ダンサーとして成長し、準備ができていたといえるでしょう。これまでに得た技術的知識があり、それを武器に感情面の強さを追求して……。もっと若い時ではなく、いま、この役に配されたことにとても満足しています。もっとも若い時に配役される利点は、再演があれば、役の解釈をさらに掘り下げる機会に恵まれることです。僕にとって『マイヤリング』は今回が初で、そして最後かもしれません。毎回毎回、舞台を存分に味わうようにしています」
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「彼のハードな面を許すというのではないけれど、生まれた時から彼を取り囲んでいた状況を思うと、彼のように繊細な人間はこうした終焉を迎えることは避けようがなかったのではないかと思えるんです。彼は両親から完全に放っておかれ、母親の愛情が欠けたまま成長しています。僕にとって母親(注:ドミニク・カルフーニ)との関係はとても大切なものなので、ふと、もし母のサポートがなかったとしたら、僕もいまとは違う人間になっていたのではないかって……これは一例だけど、ルドルフを理解するべくこのように分析したり……。皇帝である父親は彼に愛情がないわけではないけれど、それを表現できず、常に強くあれ!と厳しい態度で接するだけ。母親も息子への愛があっても、彼の面倒を見たこともないし母性愛あふれる女性というのではない。こうしたことで彼には大きな苦しみがあり、刺々しい人間となっていくのだと舞台で演じていて感じます。僕の母親役を演じるのはエロイーズ・ブルドンで、彼女とは知らない仲ではないのにステージ上では常に彼女から拒絶され、逃げられ、避けられ……とっても奇妙な感じ。『友達なのだから、胸に受け止めてよ!』『ね、僕のほうを向いて何か言ってよ』ってつい言いたくなってしまいます(笑)。でも、これがいいんですね。不満、苛立ちを表現するのに役立つんですね。また彼は病いゆえに肉体的苦痛に常に苛まれています。頭の中でいつも何かが鈍い音を立てているようで、身体は疲弊しています。これはダンサーという職業には幸いか不幸か理解しやすいことなので、それを役立たせています。痛み、重みに攻められ、穏やかな状態でいられることは稀。そうした全てを忘れようと、極端かもしれないけど彼はモルヒネを常用するようになるわけで……こうして精神的崩壊へと導かれてゆくのです。3時間近い3幕作品で、踊る身に肉体的試練が1幕から3幕へと強さを増してゆき、とてもよく構成されているバレエです。最後には自分自身の疲労困憊を役に取り入れられるのです」
左: 母エリザベス皇后役はエロイーズ・ブルドン。 右: 愛人のひとりミッツィ・キャスパーを踊るのは、11月5日のコンクールでプルミエール・ダンスーズに上がったブルーエン・バティストーニ。7月13日、アリス・ルナヴァンがアデュー公演『ジゼル』で怪我をした際、彼女が急遽ジゼル役を引き継ぎアルブレヒト役のマチュー・ガニオを相手に踊った。photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris
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『マイヤリング』はゲネプロが28歳以下の観客を対象にした公開公演で、その前のインハウスのゲネプロの際にルドルフを踊った彼。舞台を終えて楽屋に戻った時に、涙がこぼれたという。
「この役を踊るにはネガティブなことを探りますからね。病気、フラストレーション、麻薬、暴力、そして自殺……それもひとりの女性を巻き添えにして。終わった後、さあ、今晩の食事は何にしようか?というような気持ちになれる作品でなく、舞台の中でとはいえ人を殺すし……複雑です。気持ちを切り替えて楽屋を出るまでとても時間を要します。パ・ド・ドゥは技術的にとても難しいので、自分がしていることに集中し、冷静でいなければなりません。でも作品として出来のよいものにするためには、感情がこもっている必要があります。つまり感情に冷静さが負けてしまってはならないわけで、その塩梅がなかなか難しい。だから稽古が必要なのだけど、女性パートナーが5名いるので、稽古をするにしても僕はエネルギーを5等分するしかありません。普段は一対一で登場人物を作り上げてゆくので、彼女たちにしてみると、少しばかりフラストレーションとなってしまって……。僕とルドルフの共通点ですか??? うーん、ある種の感受性、不安定さ、影響されやすさ……といったところでしょうか。だから個人的警告というか、ワォー僕は幸運だって思いました。彼と同じように感受性が強く、精神的に脆い人間に悪い出会いが待っていたら、溺れてゆくのは簡単です。僕には磁石のようにぴったりとくっついた家族があり、ポジティブな交友に恵まれているという幸運があります」
その家族のひとり、妹マリーヌ・ガニオ(スジェ)も『マイヤリング』に配役されている。彼女はエトワールのポール・マルクがルドルフを踊る回で妻ステファニー役を踊り、マチューがルドルフの回では妹ヴァレリー役を踊っているのだ。もう少し兄妹関係を役立たせ、掘り下げた作品だったらとマチューは思うものの、初めて兄妹という役柄でステージに立ち、ほんの少しだが一緒に踊るシーンもあり楽しんでいる。
ベルギーの王女ステファニーとルドルフの結婚式から幕を開けるバレエ。photo:Ann Ray/ Opéra national de Paris
この作品において彼にとって幸運だったのは、配役にも恵まれたことだろう。マリー役がリュドミラ・パリエロ(エトワール)、ラリッシュ伯爵夫人がローラ・エケ、母エリザベス皇后(シシー)役はエロイーズ・ブルドン。踊りが素晴らしいだけでなく、芸術面で優れた役作りをするダンサーたちばかり。いまのオペラ座ではこれ以上選べない最高の配役かもしれない。彼が作り上げるルドルフ像と彼女たちの役がまるで歯車のようにぴったり噛み合って回転し……といった感じに、彼の演技が空回りすることなく、そして彼女たちの演技で肉付けされて3幕が説得力を持って進行。彼を支えたリュドミラ、ローラもマチュー同様に引退までさほど年数が残っていない。もしオペラ座で『マイヤリング』の再演があるのであれば、この配役で再び踊られるようにぜひ早いうちに!と望みたい。
editing: Mariko Omura