職業はオペラ座のダンサー。パリジェンヌ、アデルの素敵な生き方。

オペラ座バレエ団のダンサーの暮らしというと、毎日が自宅とガルニエ宮の往復で終わり、夜は自宅で翌日に備えて……そんな印象があるのでは? バレエ団のダンサーとしての規律正しい生活と並行し、外部の活動も積極的に行い、ふたつをバランスよく両立させている若い女性ダンサーがいる。今年24歳になるアデル・ベレムだ。母はオペラ座のエトワールで現在はナンテールにあるバレエ学校で最終学年を担当しているキャロル・アルボ、父もオペラ座のダンサーで現在はパリ国立コンセルヴァトワールの教授であるベルトラン・ベレム。もっともこうした紹介は、職場として選んだオペラ座バレエ団とその外の人生を両立させ、自分の道をしっかりと切り拓いて歩んでいる彼女には不要だろう。

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Adèle Belem(アデル・ベレム)。2009年にパリ・オペラ座バレエ団学校に入学。2016年から期限付き雇用契約を経て、2021年カンパニーに正式入団する。photo:Léo de Busserolles

12月にパリ・ガルニエで踊られたピナ・バウシュの『コンタクトホーフ』でアデルは光り輝いていた。ブルーのビスチェドレスに包まれた姿はモード誌から抜け出したかのようにスレンダーでシック! ユーモラスにシリアスに、表現豊かに舞台上で女優ぶりを発揮し、彼女の名前を知らない観客にもアーティスティックな仕事で大きな印象を残したのだ。

「昨年に正式入団するまで契約団員(CDD)でした。その間踊っていたのはクラシック作品のコール・ド・バレエ。コンテンポラリー作品を踊りたくても配役に恵まれず。『コンタクトホーフ』のオーディションで求められたのは演劇面、自分が何者であるのか見せることでした。その結果、かつてピナのカンパニーの偉大なるダンサーで、アーティスティック・ディレクターであるジョー・アン・エンディコットが私にこの素晴らしいチャンスをくれたんです。以前から演じる仕事をしたかったので、『コンタクトホーフ』のステージは信じられない体験だった。私だけじゃない。配役された大勢のダンサーがこの作品で舞台に立って、喜びを得ることができたんです。私、ずっと祈っていたんですよ、自分自身をステージ上で表現する機会がありますように、って。『コンタクトホーフ』でその夢が叶ったの」

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さまざまなブランドからモデルの依頼が

彼女のインスタグラム(@adelebelem)を開いてみると、オペラ座でのステージ写真が見つけられる。それと同時に彼女がどれほどオペラ座の外でダンス以外の仕事をしているかを知ることもできる。

「たくさんのプロジェクトに参加してみたいと常に思っていたの。それには最初インスタグラムがすごく役立ったのよ。すぐにコミュニテイが築かれて、オペラ座のダンサーと仕事をしたいというブランドから声がかかるようになり、仕事をすればするほど依頼が増えていって……。いちばん初めはケーウェイ。インスタグラムでメッセージが届いたんです。ケーウェイを着て路上でダンスしているところをビデオに撮りたい、って。2017年のことだけど、いまでもよく覚えているわ。初めてギャラを受け取って、これって信じられないことだわ!って思った。たくさんはないけれど自由時間を活用して、オペラ座の仕事をしながら、このようにほかのこともできるのだと気付きました。ブランドがダンスに興味を持つようになった時期で、タイミングも良かったんですね。シャネルとも過去に2回仕事をしています。マリーヌ・ヴァクトがエジェリーを務めたキャンペーンではダンスのレッスンのシーンに参加したのよ」

身長が169cmなのでファッションショーには小柄すぎると語る彼女だが、コシェの2018年秋冬コレクションでモデルも務めている。パリコレ時のイベントに招かれることも多く……モード関連の活躍はここに書き切れないほど豊富である。

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クローディ ピエルロのクリスマスシーズン用コレクションのための撮影から。©︎ Claudie Pierlot

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プランタン・デパートで販売されている創業1821年のジュエラー、ヴェヴェール。左はイヤーカフの「Elixir」、右は「エミリー、パリへ行く」で主役のエミリーがつけたリング「Gingo」だ。

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ジュエリーの撮影にしなやかな腕と手の動きが美しさを醸し出す。右はエンゲージリング・コレクション「L'Amour Vever」。photos:©︎ Vever Paris

「いろいろなブランドとの仕事の中で、もっとも印象的なのはナイキとのコラボレーション。これは2019年からいまも続いているのよ。このプロジェクトでナイキのチームとロンドンにも行って……。クラシックではなくヒップホップやブレイクダンスなどのワークショップを開催するので、いろいろなダンスを踊ってみたい!というように私のエスプリも広がりました。ほかのブランドの仕事で私はモデルとして求められるけど、ナイキでは私をダンサーとして、アスリートとして登用してくれているの。自分の可能性を表現する場があったら!という願いが叶えられ、自分を見いだすことができたのでこのコラボレーションには感謝しています」

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5年間の契約団員時代があって、いまがある。

2021年にオペラ座でCDI(無期限雇用契約)を得るまでは意気消沈することもあったそうだ。毎年、CDIを目指してコンクールに参加しても、うまくゆかず……。その間期限付き契約団員としてコール・ド・バレエの仕事はしっかりとこなしていたので、オペラ座のディレクションが彼女の仕事に満足していることは感じることができていたものの、自問自答を繰り返す厳しい時期だったと振り返る。この間にオペラ座バレエ団のセバスチャン・ベルトーが創作し、バルマンのオリヴィエ・ルスタンによるパールをちりばめたコスチュームも話題となったネオ・クラシック作品『Renaissance』の22名のダンサーのひとりに選ばれたのはチャンスだったが。なお正式雇用される前にこのCDD(期限付き契約)を経由するダンサーは珍しくはない。たとえば現在プルミエール・ダンスーズのオニール八菜も正式契約を得るまで、2年間CDDだった。

「契約団員というのは、将来の保証が何もありません。契約がいつまで続くかもわからない……不安もたくさんでした。無期限雇用契約を求めてクラシックバレエへと自分をプッシュするけど、気持ちの中ではコンテも踊りたいし、演劇もしたい……と。自分の中にあるものがわかっているのに、それを取り出せる場所がないという状況。2021年にCDIを得るまでの間、自分ができることをあちらこちらで探し求めたのは私には極めて重要なことだった。この辛い時期が私にたくさんのことをもたらしてくれたと言えるわ」

オペラ座のレパートリーにはこの『コンタクトホーフ』のようにダンサーに演劇性を求める作品は、多くない。アデルの次の仕事は「パトリック・デュポンへのオマージュ」と題された公演内の『エチュード』で、その後は韓国ツアーの『ジゼル』でのコール・ド・バレエだそうだ。個性を発揮して演じた舞台を満喫した後に他者と一体化することを求められるコール・ド・バレエに戻るのは簡単ではないだろうが、アデルは「確かに『コンタクトホーフ』とは仕事が違うけれど、いつだってツアーに出られるのはうれしいことよ」とポジティブだ。愛するオペラ座でその仕組みを尊重しつつ、充実した外部活動を送る彼女に感じられる心の余裕が気持ちよい。

ICICLEのホリデーシーズン用ビデオにアデル・ベレムとして出演した。

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先に紹介したようなブランドのモデル、エジェリーという仕事をしているダンサーはほかにもいるけれど、アデルの場合はさらに一歩先へと進んでいる。しっかりと自分を持つ彼女の個性ゆえだろう。「Les Panacées(レ・パナセ)」というバスプロダクトのブランドとのコラボレーションでは、ドライオイルをクリエイトした。

「私はこのブランドのエジェリーを務めていて、ある時、ヘア&ボディ用の保湿オイルを一緒に作りましょう!となったの。工場から届く香りから私が選び、適切なテクスチャー、ボトルのデザインまで1年半もかかったのよ。『Essence d’été(エッソンス・デテ)』という商品です。私も毎日使っています。オペラ座の友だちに配ったところ、みんな気に入ってくれました。舞台に出る前につけると肌に輝きが与えられて……。オレンジの花とアルゴンの香りで、夏のヴァカンスを思い出させる香りです」

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Les Panacéesとのコラボレーションでヘアとボディのためのドライオイル「Essence d’été」をクリエイトした。

この香りについてデザインに関わったEléonore Wismes(エレオノール・ヴィスム)は画家であり、写真家であり、そして映画監督でもある。彼女とは短編映画を制作するプロジェクトが進行中だという。これにはオペラ座の仲良しダンサーのひとりである、ナイス・デュボスクも参加。ダンスにまつわる物語で、ふたりとの出会いからエレオノールはシナリオを準備したそうだ。女優はアデルの第2の夢。演劇に興味を持っている彼女は、この短編のために演技の個人レッスンを受けた。外の活動のために時間を捻出するのは簡単なことではないけれど、オペラ座の休みの日や、夜の公演がある日は17時からのクラスレッスンなのでその前のフリーの時間帯をオペラ座以外の活動、パーソナルなプロジェクトのために彼女はあてているのだ。こうしたオペラ座の外の多彩な活動に加え、私生活も大切にしている。

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ナイス・デュボスク(赤)と。エレオノール・ヴィスムが短編映画のプレゼン用に撮影した写真から。photos  Eléonore Wismes

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オペラ座の中、オペラ座の外。2つの世界を持つ。

「私、人生をエンジョイしているわ。オペラ座内外の友だちとも時間を過ごすようにしています。ウィークデーにできないけれど、週末はクラブに行ったり、あるいは誰かの家に集まって踊ったり……。オペラ座の仕事だけの毎日というのは私には無理。外の暮らしがあってとても良い均衡がとれているの。オペラ座の外で知り合った友だちなど私がダンサーだって想像もしてなかったようで、“夜、外出が許可されてるの?”って驚いていました(笑)」

オペラ座の仲間と集まる場所として、彼女が挙げたのは10区のル・レヴェイユ・デュ・ディジエムという庶民的なビストロ。みんなが暮らしている場所の中央地点にあって、夜の集合が簡単なのだという。また彼女のパートナーがマネージャーを務める10区のシェ・ジャネットもよくゆく店のひとつである。ここは界隈の人気店で、ロワイヤン風ラビオリが名物とか。ボン・ヴィヴァンを自認する彼女は、食べ物についてあまり気にせず、食べたいものを食べているそうだ。体型に影響が出ないのは幸運である。

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オペラ座の仲間たちと夜集まることが多い10区のビストロLe Réveil du 10emeにて。プライベートのファッションは、シンプルな装いにエレガンスを欠かさず。photos:Mariko Omura

学校を卒業した2016年から、このように彼女はオペラ座内、オペラ座外のふたつの暮らしを営んでいる。ほかのダンサーたちの日常に比べると、ユニークに思える。

「確かにオペラ座のクラシックダンサーはこうあるべきというイメージと、私はかなり違っているとは感じています。両親がダンサーだったこともあって、この世界には魅了されています。小さい時から母の楽屋で時間を過ごし、舞台裏も知っていて……オペラ座の匂いだって、私の記憶にしっかりと刻まれています。クラシック・バレエの厳格さも好き。でもステージで自分を表現したいという願いがずっとあって、それは自分に運命づけられていることだって思ってるの。だから、オペラ座は好きだけど外のたくさんのプロジェクトに関わって、自分の人生を生きたいというふたつの間で引き裂かれるような感じがある。外の世界を持つことが私には必要なの。それによって自分を成長させることができている。私は自分が生きたいように生き、自由で快適だと感じていたい。そうすることでダンスも気持ちよく踊れるし、すべてがうまくゆくの」

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左:『椿姫』の衣装で仲良しのアワ・ジョアネ(左)、ナイス・デュボスク(中)と一緒に。 右: お気に入りのブランドNOO(@noo_paris)を着て。photos:Courtesy of Adème Belem

外部での活動はオペラ座にとっても良い効果をもたらすと語る現在の彼女だが、規律に満ちたオペラ座バレエ学校の寄宿生として10~18歳までの7年間をどう過ごしたのだろうか。ダンス以外のこともしたいという思いは小さいころからあったそうで、「だから大変でした。私、とても忍耐強く、自分に言い聞かせていました。未来を築くために、いまこうして学んでいるのだ。しっかりとダンスを学べば、将来自由が得られるのだ、って」

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自宅で焼きそばも作る日本贔屓。

アデルは日本とは特別な繋がりがある、と語る。13歳、15歳の時に両親が講習会を開催した際に同行し、日本にすっかり心を奪われてしまったそうだ。自宅には味噌を常備し、また焼きそばを作ることもある。オペラ座界隈で好きなアドレスも、筆頭にあがるのはお寿司を食べにゆく和食店『YOU』である。また彼女のパートナーは12歳まで親の仕事の関係で日本で育ったフランス人で、日本語が達者。彼からカタカナ、ひらがなを彼女は少し学んでいて、彼が日本語で話をしている時、何の話題かはわかるという。3年前にふたりで日本を旅した際は彼が通訳を務め、バレエの講習会を開催して滞在を満喫した。2022年の夏のバカンスはフィリピンで1カ月過ごしたふたりだが、2023年の夏は再び日本で過ごすことを予定している。フィリピンでは滞在の半分はリュクスに過ごし、残り半分は小屋のような場所で眠るというようにふたつのタイプの旅を楽しんだそうだが、さて、日本ではどんな滞在となるだろうか。

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フィリピンでのヴァカンス。photo:courtesy of Adèle Belem

editing: Mariko Omura

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