エトワール任命から20年、マチュー・ガニオが3月1日にパリ・オペラ座にアデュー。

このインタビューのために訪れたオペラ座内、次から次へと入る取材リクエストの日程調整をプレス担当者と行うマチュー・ガニオ。いよいよ彼のアデューの時が近づいてきていると実感させられずにはいられない。

パリ・オペラ座の現役エトワールの中で男女含め、もっともエトワール歴の長いのが彼である。入団3年でスジェに昇級した2004年の春に彼はアニエス・ルテスチュと『ドン・キホーテ』の主役を踊り、20歳と2カ月でエトワールに任命された。パリ・オペラ座のエトワールだった母ドミニク・カルフーニと同じく、プルミエ・ダンスールの位を経ずにスジェからの飛び級任命である。父親がパリ・オペラ座バレエ学校で学び、マルセイユのローラン・プティのカンパニーのプリンシパル・ダンサーだったドゥニ・ガニオであることから、任命を語るフランスのメデイアはマチューを"ダンス界のサラブレッド"と紹介していた。ダンサーとしてキャリアを積む間、その端正な容姿と気品あふれるパフォーマンスから彼は"オペラ座の貴公子"、"最後のダンスール・ノーブル"と呼ばれるように。その彼が、来年3月1日に『オネーギン』でアデュー公演を行う。42歳というオペラ座の定年規定より1年前倒ししてのことだ。オペラ座サイトではこの日の公演チケットは、一般発売開始後30分もしないうちに売り切れとなった。

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オペラ座バレエ学校で2年学び、最終年の学校公演ではピエール・ラコットの『コッペリア』で主役を踊る。2001年にバレエ団に入団。03年にコリフェ、04年にスジェに昇級。その年の5月、『ドン・キホーテ』のバジリオ役を踊り、飛び級でエトワールに任命される。©James Bort/OnP

定年を1年早めて行うアデュー公演『オネーギン』

オペラ座を去るのだということを彼が実感し始めたのは、かれこれ数年前だという。まずは心の中で準備が始まり、そして定年より1年早くキャリアを終えるということや、ではどの作品を最後に踊るか、といったことを考え、『オネーギン』が最後の演目と決まったところで、とても具体的なこととなっていったのだ。

「この日に向けて、いろいろとオーガナイズしてゆかねばならず。本当にオペラ座を去るのだ、ということに自分が予想していた以上の感動を覚えるようになったのは今シーズン2024/25に入ってからです。3月1日まで1年もなく、月単位で数える時期に入っていましたから。そしていまや、オペラ座のステージで踊る公演の回を数えるのに両手の指が必要ではなくなっています」

すること全てが"これが最後"という状況にあって、複雑だったのは今シーズンのデフィレである。毎シーズン、ガラの際に一度行われるのが通例の行事なのだが、今回はガラに加えて、シーズン開幕公演『ウィリアム・フォーサイス/ ヨハン・インゲル』の最初の3晩もデフィレで開幕となったからだ。

「いつものようにガラだけなら、"最後のデフィレ!"と明快なのですが、4回あったのでちょっと感動が分散されたような感じもあって......。デフィレそのものはあっという間に終わってしまいますが、最後に出る僕は後ろで待っている時間がとても長いんです。これは毎度のことなのだけど、今回は僕より先にデフィレに出てゆくダンサーたちが待っている僕に、"最後だね、君がいなくなったら寂しくなるよ"というように言葉をかけてくれて、ハグを交わして。これにはとても感動しました」

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2023年のデフィレより。ニコラ・ル・リッシュの14年の引退後、マチュー・ガニオが最年長エトワールとしてデフィレのトリを務めた。

彼にとって『オネーギン』は2009年5月の公演が初役となるはずだったが、稽古の途中で怪我をしてしまった。その2年後の11年12月、イザベラ・シアラヴォラをパートナーに初役で踊り、その次は18年の2月。この時のパートナーだったリュドミラ・パリエロが、今シーズンの『オネーギン』でもパートナーを務めるそうだ。

「アデュー公演にこの作品を選んだのは、踊るのが好きだった作品のひとつだからです。オネーギンという人物は感じが良いとは言えないにしても、ストーリーを語れる全幕作品を最後に、というのは美しい出発の方法だと思うのです。踊るたびに喜びを得ることができたこの作品を、再び踊る機会があればと願っていました。テクニックやプレッシャーといったことに妨げられることなく、人物に入り込んで僕が語れる何かがあるのが、この作品です。また、パートナーとの関係がとても強い作品なので、最後にステージ上でその時間を強く生きることができます。それはオペラ座を去った後に僕が恋しく思うことだと思うので、最後に存分にそれを味わいたいと思っています」

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マチュー・ガニオ。『オネーギン』第1幕より。photography: Julien Benhamou/ OnP

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オペラ座の仕事を最優先した20年間

終わりではなく、新しい出発。アデューを直前に控えた多くのエトワールたちはこう表現するが彼の場合はどうだろう。 

「ひとつの新たなる旅立ちであることは確かですね。人生の新しい章の始まり。僕はそれを3月2日から書き始めるのです。3月1日にこのアデュー公演をきちんと行うことができたら、重荷から解放されて後悔なしに僕はオペラ座を去ることができる。これが僕には極めて大切なことなのです」

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『オネーギン』第2幕、レンスキーとの決闘のシーンより。photography: Julien Benhamou/ OnP

朝のクラスレッスン、オペラ座での舞台、よその劇場でのガラ......常にエトワールの肩書にふさわしくあることを念頭に置いて行動してきた彼。引退を1年早める決心をしたこともそこに結びつく。

「42歳まで続けるのは身体的に難しいと感じたからです。何度か怪我をしているので、これについてはじっくりと考えざるを得ませんでした。新型コロナ禍の時期ですね。はたから見て、あれがエトワール?というような終わり方はしたくない。怪我に苦しまされる前の時代の僕を知らない若い世代の目にも、エトワールの肩書にふさわしいダンサーとして去ってゆきたいのです。キャリアを振り返り残念に思うことがあるとしたら......それは過去に踊ったようにはもう踊れないと感じて、もう一度誇りを持って踊りたかった作品だけれど、悲しいながら再演の出演にノンと言わざるを得なかったことですね。たとえば『椿姫』。こうしたことには哀惜を禁じ得ません」

入団以来、彼が何よりも優先しているのはオペラ座での仕事である。それゆえにエトワール歴20年の割にはメディアへの露出やオペラ座外での活動をあまり活発には行ってはいないのだ。

「ここは僕のメゾンだし、僕の生計が成り立つのもここの仕事のおかげだし、それに僕に知名度があるとしたら、このメゾンゆえです。だからオペラ座の仕事を最優先するのは当然のこと。ここで仕事における最も大きな満足が得られているのです。よそに行って踊ることは大勢の人々に会えて、とても興味深く、とても豊か。でも仕事におけるクオリティについて言えば、ここでかけられるほどの時間はない。ここでは僕が提案することのための仕事を時間をたっぷりとかけてできるのです。オペラ座でのキャリアについて語る言葉を探すとしたら、最もふさわしいのは"感謝の気持ち"ですね。僕の人生はとても幸せなものだと思うので、僕ができたことを与えてくれた人生に感謝しています」

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『オネーギン』より、オルガ役のミリアム・ウルド=ブラームと。photography: Julien Benhamou/ OnP

そのキャリアのために自分が重ねた努力について彼は誇らしく思っているのではないかと傍目には想像するのだが、いま、パリ・オペラ座での時代を振り返り総括をしているという彼からはこんな言葉が返ってきた。

「自分のキャリアに与えることができたかもしれない広がりについて考えると、オペラ座での仕事を最優先したことだけではなく、僕はいささか引っ込み思案だったかなと......。そうでなければオペラ座の外で多くのことに自分を開くこともできたのかもしれない、より危険を冒すこともできたのかもしれないのです。もっとたくさんのことができたのかもしれないなって。でも心配性で、なんでもすべてにきっちりと計画を立てる必要があるたちなので......。怪我を言い訳にするつもりはないけれど、持ちかけられたプロジェクトを身体の負担を考えて断ったり、外部の人に会うためにオペラ座から積極的に出てゆくことをしなかった。それには僕の性格ゆえもあるのだけれど、エトワールという肩書でもっとたくさんのことができたのだろうなって。オペラ座で得た名声を存分には活用しなかった、ということは確かですね。いまの時代、若い世代のダンサーたちはソーシャルネットワークを外部との繋がりに上手に使っています。でも、いま僕が彼らと同じ世代だったら、果たして彼らのようにできるだろうか、それは自分にふさわしいことなのか......と考えます。エトワールとして僕がキャリアを築き始めたのはまだSNSが発達していない時代だったけど、自分の性格を思うと、それはおそらく僕には幸いだったのだと思います」

苦い思い出、忘れがたい思い出、そして幸せな思い出。最後にパリ・オペラ座での3種の思い出を上げてもらうことにしよう。

「最近のことで言えば、苦い思い出は2021年10月の『赤と黒』のステージ上で起きた怪我ですね。この作品の準備には大層な時間をかけ、膨大な仕事がありました。物語のある全幕作品の第一配役を創作者ピエール・ラコットから託されていたので、僕の世代の痕跡を残したいと思い、また彼にとって最後の創作となるだろうと言われたこの作品をしっかりこなしたかっただけに、これにはとても複雑な思いが残っています。忘れがたい思い出、それはやはりエトワール任命ですね。幸せな思い出。それはたくさんあります。たとえば、ステージで作品を踊っている最中にとても強い何かを感じ、誇らしさがあり......ステージ上の一種の恍惚ですね。そしてそれが終わった時に訪れる安堵。カーテンコールでは、僕のそうした舞台上での体験が観客の反応にも感じ取れて......再度言いますが、そこにはこの体験ができたことへの感謝の気持ちがあります。幸せな思い出です」

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ルドルフ役を熱演した『マイヤリング』を語る

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『マイヤリング』第3幕より、心中の前のマリーとの最後のパ・ド・ドゥ。©Maria-Helena Buckley

最後のシーズンである2024/25。彼はデフィレで始め、そしてケネス・マクミランの『マイヤリング』を4公演踊った。おそらくこの公演もそんな幸せな思い出のひとつに違いない。もっとも、この作品が2022年にパリ・オペラ座のレパートリー入りした際、ルドルフ役を彼が踊ることについてミスキャストではないかと言う声があったのだ。

「こういう状況で踊るのは、より快適なんですよ。もし"君こそがこの役にぴったり"と誰もが言うような時に人々の想像の高みに至れなかったら、そこには失望が生まれますね。それとは逆に誰も僕をルドルフという人物に投影していないというのなら、もし良い出来栄えを見せれば、心地良い驚きを与えることができるのですから。初役で踊った時、ハードルは高くなかったと言えます」

もちろん彼は見事な役作りで好演し、"心地良い驚き"を観客に与えたのである。その2年後に同じ役に取り組む彼に対して"ミスキャスト"という声はもはやなく、その逆に観客には彼の熱演を再び!という大きな期待があるだけだった。ハードルはとても高く上がっていた?

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『マイヤリング』より。今回もエロイーズ・ブルドンがルドルフの母親のエリザベス皇后役を好演した。愛を求める息子と、愛し方がわからない母親の心痛むパ・ド・ドゥをふたりは披露。©Maria-Helena Buckley

「ハードル云々より何より、今シーズン僕が踊るのは『マイヤリング』と『オネーギン』だけなので、観客の期待を裏切りたくないという気持ちが......」

今回、エロイーズ・ブルドンの母エリザベス役以外は、前回とはパートナーが異なっていた。ラリッシュ伯爵夫人は美しきナイス・デュボスク、妻ステファニー役は才能豊かなイネス・マッキントッシュ。予定ではマリー・ヴェツラ役は前回同様にリュドミラ・パリエロだったが、彼女が怪我をしたことによりレオノール・ボラックが踊った。実は新型コロナ禍ゆえにこの作品の2020年のレパートリー入りが延期されたのだが、この時のマリー役はレオノールで、22年の初演時は彼女が出産休業中だったという経緯がある。バレエ作品でありながら、彼と新しいパートナーたちは驚くほど演劇性の高いステージを披露した。

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妻ステファニー役を踊ったイネス・マッキントッシュ(左)。巧みなテクニックにはすでに定評があるが、演技者としても達者であることをこの役で確認させた ©Maria-Helena Buckley

「前回はリュドミラ、ローラ・エケ(ラリッシュ伯爵夫人)やシャルリーヌ・ジゼンダネ(妻の妹ルイーズ)など僕の世代のダンサーたちに囲まれた配役。同じ時代を経験し、レベルも同じで、と初めて取り組む作品において、これはひとつの安心材料となりました。今回はリハーサルの途中で予定されていた同世代のダンサーが次々と減っていき、すべてを新たに作り直す必要があり最初はいささか不安もありました。それに今回、僕が組んだ女性ダンサーたちは同じ役でほかの配役のルドルフとも踊っているので、このようなストーリーをクリエイトする作品において、僕がパートナーに語ることとは別のことをほかのルドルフ役のダンサーが語るわけで、それがちょっと奇妙な感じでしたね。今回のパートナーはイネス、アナイス、アンブル(・キアルコッソ/妻の妹役)など朝のクラスレッスンで顔を合わせる程度で一緒に踊ったことのない若い世代でしたけど、最終的にこれはとても幸せな体験となりました。オペラ座のこれからの歴史を綴る明日のダンサーたちの何人かと仕事を一緒にし、ポジティブな発見をして僕は去ることができるのですから。人間的にも彼女たちをとても気に入りました。御者役を踊ったのは最近プルミエール・ダンスールに上がった若いダンサー、ジャック・ガツォットで、彼は僕のプティ・フィスなんですよ。彼も含め僕のプティ・フィスが、カンパニー内でこうして進歩をし、成長をしてゆく姿を見ることができるのはとてもうれしいし、自慢したくなりますね。レオノールについていえば、マリー・ヴェツラという人物にパーフェクトに一致していたのは確かですね。彼女は創作したケネス・マクミランが抱いたアイデアを完璧に理解していました」

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マリー役のレオノール・ボラックと。©Maria-Helena Buckley

初役でルドルフ役に取り組んだ際のリハーサル・コーチだったカール・バネットが亡くなったため、今回はダナ・フーラスと彼は仕事をした。彼女はテクニック面よりイメージを多く語ってくれ、同じ役を踊るダンサーに対して全員に同じことを言うのではなく、人物のクリエイトについて各人にパーソナルタッチの余地を残すようなフレキシブルな方法をとったそうだ。

2年前の初役の時にはあまり感じさせなかったが、今回の公演では彼が演じたルドルフは、それから始まるドラマを予感させるかのように最初の登場時に苛立ちを身体から放ち、観客を作品に導き入れていた。モルヒネや病気で身体を蝕まれているルドルフが頭痛に苦しむシーンがあるが、今回はそうしたシーンを予兆するように、音楽には合っているものの、どこか身体の重さや鈍さを感じさせるように踊っていたようだ。いつも通り繊細な踊りながら、ルドルフが抱える病および心の重荷が込められ、役作りの細やかさが見事だった。

「これもダナとの仕事のおかげなんです。音楽を熟知していている段階にあったので、音楽が語りかけることに従う、音楽にぴったりと踊る、というのではなく、それと遊ぶことで表現に役立たせることができたのです。これまでの仕事を乗り越えて、先に進む......こうした仕事を彼女としました」

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ひとりで死ぬ勇気のないルドルフとの心中に積極的なマリー・ヴェツラ。レオノール・ボラックは目に狂気を宿して見事な女優ぶりを見せた。©Maria-Helena Buckley

『マイヤリング』の役作りのアプローチについて、マチュー・ガニオとエロイーズ・ブルドンをゲストに迎えたトークショーの模様。ちなみにオペラ座のオンラインプラットフォーム「POP」では、2年前に撮影されたドキュメンタリー『マイヤリングの舞台裏』を見ることができる。 

誠実に、謙虚に自身の美学を貫いてエトワールという肩書にふさわしい存在であるべくオペラ座の仕事に全身全霊で取り組むマチュー・ガニオ。ポエジーとエレガンスに満ちた踊り、深い役作りで観客を魅了してきた。3月1日、パリ・オペラ座という宝石箱からピュアに輝く宝石がひとつ消えてしまうようだ。

ジョン・クランコ『Onéguine』
Palais Garnier/Opéra national de Paris
上演:2025年2月8日~3月4日
料)170~10ユーロ
配役
オネーギン:ユーゴ・マルシャン、マチュー・ガニオ、ジェルマン・ルーヴェ、ジェレミー=ルー・ケール、フロラン・メラック
タチアナ:ドロテ・ジルベール、リュドミラ・パリエロ、セウン・パク、アマンディーヌ・アルビッソン、オニール八菜
レンスキー:ギヨーム・ディオップ、マルク・モロー、パブロ・レガサ、アレクサンダー・マリアノウスキー、ミロ・アヴェック
オリガ:レオノール・ボラック、オーバンヌ・フィルベール、ナイス・デュボスク、ビアンカ・スクダモア、ロクサーヌ・ストヤノフ
グレミン侯爵:ジェレミー=ルー・ケール、マチュー・コンタ、アクレサンドル・ガス、トマ・ドキール、ヤン・シャイユ

editing: Mariko Omura

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