映画「アアルト」で知る名作を生んだ建築家の素顔。妻アイノとの生涯。
デザイン・ジャーナル 2023.10.10
フィンランドに生まれた建築家のアルヴァ・アアルト。約300棟もの建築を実現し、実現しなかった計画も200を超えたという、20世紀の代表的な建築家です。そうしたアアルトの生涯と活動を、公私ともにパートナーだったアイノ・アアルトとの関係にも目を向けながらひもとく映画が、日本でも今週10月13日に公開されます。
周囲の人々との知られざる交流など、アアルト夫妻をこれまで以上に深く知ることができると同時に、彼らが手がけた名作誕生の秘話に触れることのできる興味深い内容です。
アルヴァ・アアルトは1898年フィンランド、クオルタネ生まれ。ヘルシンキ工科大学(現アアルト大学)で建築を学び、1923年、ユヴァスキュラにアルヴァ・アアルト建築事務所を設立。1976年他界。アイノは1894年、ヘルシンキ生まれ。アルヴァと同時期に同大学に入学し、1924年にアアルト事務所で働きはじめた。二人は1924年秋に結婚。アイノは1949年、54歳で他界。photography: ©Aalto Family
「アアルトベース」(1936年)。映画「アアルト」より。©IF2020-Euphoria Film
アアルト設計事務所のオフィスとして1955年に完成したアトリエ/スタジオ、映画「アアルト」より。©IF2020-Euphoria Film
アイノにあてたアルヴァ・アアルトの手紙から、映画は始まります。
知性に溢れ、社交的でチャーミングな人柄で周囲を魅了したアルヴァと、妻、母としての立場とともに建築家、デザイナーとしての仕事を両立し、「アアルトらしさ」や「アルテックらしさ」をかたちにするうえで欠かせぬ存在だったアイノ。互いを尊重し、刺激や影響を及ぼしあった関係があったからこそ、時代が変わっても愛され続ける建築や家具を実現できたのだと、本映画を目にして改めて感じました。
本映画を手がけたヴィルピ・スータリ監督は、「アルヴァ・アアルトの映画をつくりたい」と長く考えていたそうです。彼女は子ども時代、学校での授業が終わると、アアルトが設計したロヴァニエミの図書館で時間を過ごし、「図書館に並ぶ本以上に、その建物の持つ雰囲気のとりこになっていた」そう。「幼い頃から無意識のうちにこの控えめな美しさに触れていたのです」
「真鍮のランプ、皮革の椅子などの質感も大好きでした。...... 映像を制作するようになって考えるようになったんです。アアルトの空間になぜ私は温かみを感じたのだろうかと。何であったのかを探ってみたい気持もあり、映画で表現したいと思いました」
ヴィルピ・スータリは1967年生まれ。夫のマルティ・スオサロは俳優で、本映画でアルヴァ・アアルトの声を担当していることも興味深い。映画「アアルト」の制作は4年ごしに。本作品はフィンランドのアカデミー賞と呼ばれるユッシ賞にて音楽賞と編集賞を受賞している。
映画のなか、美しい曲線を描くヴィープリの図書館の手すりに触れる子どもたちの姿がありましたが、スータリ監督も同じようにアアルト建築に触れてきたのでしょう。建築や家具のディテールに対するまなざしがうかがえるのも、監督がまず全身でアアルト建築を感じとってきたからこそ......。
「アアルトのつくりあげた空間は、知らず知らずの間に身体に刻まれている。それこそが、私がこの映画で描きたいと考えたことです」と監督。「同時に、アルヴァ・アアルトとは何者なのか。人生をともにした二人の妻はどんな人物であったのかを探究したいと思いました」(映画のカタログより抜粋)
このような監督自身の体験や想いを背景として建築の専門家や家族、知人など、多くの関係者の証言を丁寧に収集、家族の手もとに残されている貴重な写真、映像をまじえながら、ドキュメンタリーの手法でアアルト夫妻の人物像が浮き彫りにされていきます。インタビューは7か国にも及んでいます。
映画「アアルト」より、ヴィープリ(現ロシア、ヴィルボルグ)の図書館。天井には空から光が注ぐようなスカイライト(照明)。映画では手すりのディテールも目にできる。©IF2020-Euphoria Film
20世紀の建築、デザインの動きを振り返る点からも貴重な内容となっていることはいうまでもありません。映画のなかでニューヨーク近代美術館のピーター・リードは語っています。
「曲げ木の家具は新鮮で、バウハウスのスチールパイプの椅子とも好対照だ。モダンであるか否かは素材の問題ではなく、使い方やアプローチなのだ」
建築家 ユハニ・パッラスマーのことばも抜粋しましょう。
「アアルトはすばらしい『語り手』だった。すべての部屋には独自の雰囲気があり、次の部屋にはまた別の雰囲気がある。本に『章』、演劇に『幕』があるのと同じだ」
「我々フィンランド人は、森を夢みる傾向がある。その夢をアアルトは建築に織り込んだ」
映画「アアルト」より、アアルトの最高傑作となるマイレア邸。1939年竣工。©IF2020-Euphoria Film
映画「アアルト」より、パリ郊外に建てられたルイ・カレ邸。1959年竣工。©IF2020-Euphoria Film
ふたりの人物像に関しては次のような発言も紹介されています。「アルヴァは自由奔放なボヘミアンで、アイノがバランスをとっていた」。家族のコメントでは、アルヴァとアイノの娘 ヨハンナ・アラネンの発言も。「自宅での父の様子をよく覚えています。アトリエから出てきてコーヒーを飲み、鼻歌を歌って、戻って2〜3の線を引いてはまた居間に出てくる」
ふたりの手紙にも注目を。手紙は映画を構成する骨格のひとつとなっています。
アルヴァの創作活動においてアイノの存在がいかに重要であったのかという点では近年も展覧会として紹介されていますが、感情豊かに綴られた「ことば」の数々は、彼らの関係を生き生きと伝え、ふたりが今も生きているかのような錯覚を覚えてしまうほど......。
ある日の手紙でアルヴァは記していました。「僕らのチームはこの世で何よりすばらしい。君のおかげですべてが自然で明快で、まるで世界最高の建築だ」。そしてアイノは、「人生を完璧にするあなたの能力を信じます。あなたは賢く、気高く、すばらしい人」と。
アアルトを語るうえで欠かせないもうひとりの人物。アイノが他界した後、1952年に再婚したエリッサは1922年生まれ。ヘルシンキ大学の建築学科を卒業後、1950年にアアルトの事務所に入社。アルヴァが亡くなった後には設計図面や資料の保存・管理に注力した。photography: ©Aalto Family
ふたりと同時代の建築家やデザイナー、アーティストらとの関係からも気づかされるところが多々ありました。20世紀の大きな動きのなかで志をもった人々の交流がどうなされたのかを知る重要なものです。
一例ですが、アルヴァ・アアルトと同じく20世紀の巨匠建築家 ル・コルビュジエと出会った時の様子や、バウハウスで教鞭をとっていた重要人物、モホイ=ナジ・ラースローとの交流について。モホイ=ナジはアアルト邸に1か月ほど滞在してもいたのだそうです。モホイ=ナジの造形とアアルト建築の照明の造形との関係についての解説も含まれています。
今も多くの人々に愛されている「スツール60」(1933年)。1935年10月にはアルヴァとアイノがデザインした家具や照明器具の販売を目的とした「ARTEK(アルテック)」が誕生。写真は映画「アアルト」より。©IF2020-Euphoria Film
アルヴァやアイノがマイレ・グリクセン、ニルス=グスタフ・ハールと1935年に設立したアルテックの、当時を知る貴重な写真や家具職人とのやりとりの様子にも注目を。
家具の製造、販売に留まることなく、展示会や啓蒙活動によってモダニズム文化を促進しようというヴィジョンのもと、ヘルシンキにはアルテックストアも誕生。その上階にはデザイン室が設けられており、アイノは初代アートディレクターとして出社していました。
映画「アアルト」より、ヴィ―プリの図書館。講堂にはアアルト夫妻のデザインとして重要な「L-レッグ」の家具が多数納められた(1935年)。©IF2020-Euphoria Film
「アルヴァとアイノの建築、デザインの奥に深いストーリーが存在していることを知ると、彼らの作品が違って感じられるのではないでしょうか」と、映画公開を控えて来日したスータリ監督。
理(ことわり)のある造形であると同時に、各建築で過ごし、それぞれの家具と生きる人々のための造形を実現した偉大なる先駆者、アアルト夫妻。建築の魅力はその場で直に体感できることがもちろん重要ですが、この映画を目にしているうちにフィンランドを訪れ、アアルト・ツアーに参加しているような高揚感を感じるのは私だけではないでしょう。
映画全体を貫く凜とした音楽も、強く心に響いてきます。その音楽とともに紹介される雪景色のなかでのアアルト建築や、建物を包む北欧の柔らかな光など、心に刻まれるシーンの数々を前にしていると、自然のなかに生きる私たち人間もまた自然の一部、と語っていたアアルトの声が聞こえてくるようです。
アルヴァとアイノ、そしてエリッサ、家族、周囲の多くの人々との関係はアルトの人間的なモダニズムと切り離せないことを改めて考えます。アルヴァ・アアルトの生誕から125周年となる2023年、アルヴァとアイノの対話と活動に私たちが触れることのできる、すばらしいドキュメンタリーです。
映画「アアルト」より、パイミオのサナトリウム(1933年)©IF2020-Euphoria Film
「地球環境が危機に瀕した現代において二人の建築、デザインを改めて考える意味があることはもちろんのこと、彼らが大切にした人間性を考えることも今の時代にこそ大切な意味があると思います」(スータリ監督)
●2020年
●フィンランド
●103分
●配給:ドマ 、宣伝:VALERIA
●後援:フィンランド大使館、フィンランドセンター
●協力:アルテック、イッタラ
●10月13日ロードショー
10月13日より、ヒューマントラストシネマ有楽町、UPLINK吉祥寺
10月28日より、東京都写真美術館ホール ほか、全国順次公開
詳細は公式ウェブサイト https://aaltofilm.com
©Aalto Family ©FI 2020 - Euphoria Film
text: Noriko Kawakami