【オニール八菜連載vol.6】パリ・オペラ座バレエ団で、外国人であることとは?

7月6、9、12日に『眠れる森の美女』のオーロラ姫を初役で踊るオニール八菜。パートナーのジェルマン・ルーヴェが5月末に『シルヴィア』の公演中に怪我をしてしまったのだが、幸い軽かったようで予定どおり彼と稽古が進行中。この作品は正団員になった年にコール・ド・バレエで踊っている。今回は主役。テクニックの大変さにリハーサルが始まった当初は苦戦し、落ち込んだりも。この公演でパリ・オペラ座のシーズンを終えた後、韓国のガラに参加し、次いで英国ロイヤル・バレエ団との共演による『バレエ・スプリーム』のために来日する。5月にはアメリカの2都市で行われたユース・グランプリのガラで、ジェルマンと『ル・パルク』、フリーデマン・フォーゲルと『オネーギン』のパ・ド・ドゥをガラで踊る機会に恵まれるなど、エトワールとしての活動の場を国際的に広げているようだ。彼女がパリをベースにして14年が経過した。ここまでを振り返り、パリ・オペラ座において外国人であるゆえのハンディキャップなどはあったのか......。言葉の問題も含めて、話してもらおう。(取材・文/大村真理子)


最近のパリ・オペラ座の団員はなかなか国籍豊かである。2011年に八菜さんが契約団員として働き始めた時は、団員のほとんどがフランス人。その頃とは大きな違いがある。それに外国人のエトワールもいなかったのではないだろうか。オペラ座のエトワールになるのが夢だったという彼女だが、当時、フランス人ではない自分がエトワールになれるのか、と不安や疑問に思うこともあったのでは?

「うーん、時々やっぱりダメかなと思うこともあったかもしれないけれど、あまりそういうことには影響されず......でも、おそらくオペラ座に来た当初は、エトワールになりたいという夢は頭のどこかにあったとは思うけれど、それよりも"自分がオペラ座にいるなんて夢のよう!"って感じだったので。その後やはり人間ですから、だんだんと欲が出てきて"エトワールになりたい"となっていったのですね」

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契約団員時代の最後、シーズン2011-12年を締めくくる『リーズの結婚』にコール・ド・バレエとして参加した時の写真。

アルゼンチン人で、オペラ座のバレエ学校では学んでいないリュドミラ・パリエロがエトワールに任命されたのは2012年だが、そんなわけで八菜さんには外国人がエトワールになった、といっても遠い話に感じた。もっともリュドミラの存在のおかげで、外国人でもパリ・オペラ座でキャリアを築いていくことが可能なんだ、ということが確認できたという。

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オニール八菜の2024〜25年の公演より。『マイヤリング』では主役のマリー・ヴェッツェラだけでなく、ユーゴ・マルシャン×ドロテ・ジルベールが主役の公演においてはラリッシュ夫人役(写真)にも配役された。photography: Maria Helena Buckley / OnP

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「外国人だから」という言い訳はしたくなかった。

「フランスの国立バレエ団で外国人であることがハンディキャップだったかどうか、毎日が必死だったので気がついていなかったのかもしれない......。でも、私は強いほうなので、自分ならできる!っていう気持ちがあったんですね。それに、負けたくないというのではないけれど、外国人だからということをエクスキューズには絶対にしたくなかった。だから、とにかく目立たないようにして、みんながするのと同じようにして、言われていることがわからなくても『はい!』って言って(笑)。目でしっかり周囲を見ていて、真似をして......。これはすごく勉強になったと思います。最初は大変で、えええ!って思ったこともたくさんあったけれど、でも、もし過去を変えられたら?と聞かれることがあったら、何も変えなくていい、って答えますね」

いまのパリ・オペラ座には八菜さんが入団した時に比べると、外国人団員が多い。2011年と2025年ではインターネットによる情報量も全く異なり、またフランス人も積極的に英語を喋るようになって時代も変わっている。

「最初の頃、舞台メイクの時間って結構長いのでメイクさんやヘアさんたちがいろいろなフランス語を教えてくれたんですよ。みんなとても優しい人たちで、彼女たちから"昔は全然喋れなかったのが、いまじゃペラペラになって......おもしろいわね"って言われるんです。とにかくみんなと同じように暮らしたいという願望が私にはあったので、多分おかげでいまではフランス語がちゃんと話せるようになったのでしょう。その時期、オペラ座の芯というか、そこから習っていったという感じがあります。どう言ったらいいのだろう、オペラ座というメゾンの重要さを最初からすごく私は感じていて、そのメゾンのために踊るという気持ちがあって......いまでもそのことに対しては強い意志を持っています」

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ピエール・ラコットの『パキータ』。初役でマチアス・エイマンとこの作品を踊ったのは2014年5月、スジェの時代である。photography: Maria Helena Buckley / OnP

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今回の『パキータ』のパートナーはジェルマン・ルーヴェ。photography: Maria Helena Buckley / OnP

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日本人とニュージーランド人の間に生まれ、8歳の時に父の国ニュージーランドに引っ越した彼女である。フランス語がままならない時代、逆にパリ・オペラ座において自分の英語力を幸運に思ったこともあるのではないだろうか。彼女が努力を重ねる中で時々ホッとすることができたのは、海外からのリハーサルコーチやコレオグラファーがオペラ座にやってきた時だという。「いつもは私が20%くらいフランス語がわからないところがあるというの対して、英語となればほかの団員に比べて私は100%理解できるので」と語る八菜さん。もっとも、いまでは英語よりフランス語のほうが楽に出るそうだ。『オネーギン』のパートナーのフロラン・メラックが稽古中に怪我をした際に、彼女はロンドンに赴き英国ロイヤル・バレエ団のリース・クラークとリハーサルを進めた。役柄のことなど、やはり英語でパートナーと語り合えたのではないかと想像するのだが、

「バレエ用語はフランス語ということもあって、彼との稽古の最中、とっさの時にはフランス語になってました。最近では英語で話す時って、フランス語より話す前に考えてしまいますね。それに、フランス語で言いたいことに相応する単語が英語にはないこともよくあって。だから疲れていて考えたくない時は、フランス語になってしまうんです。よく祖母が言っていました。英語は語彙が少ない、って。フランス語を学ぶうち、確かにそうだなあと思いました」

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『パキータ』の第3幕より。photography: Maria Helena Buckley / OnP

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国籍が違っても、大切なのはオペラ座のスタイルを護ること。

パリ・オペラ座団員の国際化が進んでいるだけでなく、昨年創設されたジュニア・バレエ団もダイバーシティを意識していることもあり、採用された18名の約半分が外国籍のダンサーたちである。

「いま、クラスレッスンが一緒なんですが、聞こえてくる彼らの会話は英語なんです。それって外国人が多いから、共通の英語でやり取りするせいでしょうね。学校の生徒のプティ・ペール、プティト・メールというシステムに対し、ジュニアバレエ団はメンターのシステムなんです。私はインディアというニュージーランド出身者とジャクソンというオーストラリア出身者のメンターに指定されました。イタリア人にはイタリア人の、韓国人には韓国人のメンターがつくんです。私はいろいろな国籍の人がいるのは悪いことじゃないと思う。どうしてオペラ座に来たか、ということを忘れないことが大事なんです。オペラ座ならではの素敵な部分。パリのオペラ座だけが持つほかとは微妙に違う"フランス的趣味"というのでしょうか......若い子たちがこれについて考えないとしたら、とても残念です。時々、そこまでこだわらなくてもいいのでは、って自分でも思うのですけどね。私の好きなパリ・オペラ座のままであってほしいんです。でも、ここに限らず世界的にバレエ界も変わってきていますから......。5月にニューヨークやボストンに行って、ああ、私はやっぱりオペラ座のスタイルが好きって思いました」

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初役で『オネーギン』のタチヤーナ役。稽古中の怪我から回復し、フロラン・メラックがオネーギン役を踊った。photography: Maria Helena Buckley / OnP

2023年にバレエ団の芸術監督に就任したジョゼ・マルティネスはスペインの出身である。過去には確かにセルジュ・リファールやルドルフ・ヌレエフもいたけれど、1990年以降芸術監督はフランス人が務めている。彼女が入った時の芸術監督はブリジット・ルフェーヴルだった。

「彼女に対して英語で話しかけるダンサーはいませんでした。フランス語で話さなければ、話せないで終わってしまいます......。でもジョゼは英語もスペイン語も話せて、それが悪いというのではないけれど、彼とコミュニケーションをとるためにはフランス語を話せなければ、という努力はいらなくなってるのでしょうね。私は目を使っていろいろな人を見ながら、とっても勉強になったと思っています。いまの世代はフランス文化に自分をなじませるために、そうした努力をしなくてもなんとかなる。そういう時代なんですね」

かつてマルティネス芸術監督はオペラ座団員のダイバーシティが進むことについて、オペラ座のアイデンティティのために国籍や肌の色の違いは問題ではなく、フランス派の踊りができることを求めると語っていた。それを知り、「あ、それは私も同じ意見ですね」とニッコリした八菜さんだ。

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『オネーギン』より。7月に『眠れる森の美女』のオーロラ姫役を踊って、今シーズンを終える。photography: Maria Helena Buckley / OnP

さてインスタグラムで本人たちも紹介していたが、たとえばベルギー人のトマ・ドキール(プルミエ・ダンスール)は、ベルギー国王夫妻がフランス訪問をした際に大使邸での食事会に招待を受けている。またフランスにおけるブラジル年の今年、ブラジル大統領を迎えてのエリゼ宮の晩餐会には、ブラジル出身のルチアナ・サジオロ(コリフェ)が招かれていた。パリ・オペラ座の外国人ならではの栄誉だろう。いつか、たとえば日本の皇室関係者や要人のパリ訪問があり公式ディナーなどが催されることがあったら、パリの日本人を代表して八菜さんが招待されることがあっても不思議はない。

「そんなことがあったら、ドキドキしちゃいます(笑)! "礼儀正しくしなさい"とか"礼儀正しくできるの?"とかママに言われそう」

editing: Mariko Omura

東京に生まれ、3歳でバレエを習い始める。2001年ニュージーランドに引っ越し、オーストラリア・バレエ学校に学ぶ。09年、ローザンヌ国際バレエコンクールで優勝。契約団員を2年務めた後、13年パリ・オペラ座バレエ団に正式入団する。14年コリフェ、15年スジェ、16年プルミエール・ダンスーズに昇級。23年3月2日、公演「ジョージ・バランシン」で『バレエ・アンペリアル』を踊りエトワールに任命された。

photography: ©James Bort/Opéra national de Paris
Instagram: @hannah87oneill

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