「普通の夫婦」の40年の歩みが心に響く、『エセルとアーネスト』。

インタビュー 2019.09.21

『スノーマン』『風が吹くとき』などで知られる絵本作家、レイモンド・ブリッグズ。自身の両親の人生を描き出した原作が、長編アニメーション映画『エセルとアーネスト ふたりの物語』になった。メイドだったエセルと牛乳配達員のアーネストが出会った1920年代から、この世を去る70年代まで――。激動の時代を生きた市井の人の暮らしを、ディテールにまで愛情を込めて丁寧に描き出したアニメーションだ。

長い時間をかけて完成へと至った道のりについて話を聞いたのは、プロデューサーのカミーラ・ディーキン(監督・脚本のロジャー・メインウッドは、本作完成後の2018年9月に亡くなった)。原作について語りながら涙を見せる姿からは、原作者と映画スタッフの幸福な関係性が垣間見えた。

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メイドだったエセル(左)、牛乳配達員のアーネスト(右)、そしてふたりの子どもレイモンド(中央)の物語。

――原作者のレイモンド・ブリッグズさんは、完成した映画をとても気に入っているそうですね。

『風が吹くとき』や『いたずらボギーのファンガスくん』にもレイモンドの両親をベースにしたと言われているキャラクターが登場しますが、『エセルとアーネスト ふたりの物語』は両親が本当の姿のままで描かれている作品です。スタッフの誰もがレイモンドを尊敬していたからこそ、この仕事に責任を感じ、誠実に全うしたいと思っていました。原作に込められた感情をどうやって映画にしていくのか、みんなで心して取り組もう、と。そんな思いで作った映画なので、彼が気に入ってくれたと聞いた時は、とても幸せでしたね。

――レイモンドさんはエグゼクティブプロデューサーも務めています。どのような形で映画製作に関わったのでしょうか。

安心して意見を出しながらこの映画に貢献してもらいたいと思い、私たちからエグゼクティブプロデューサーを務めてほしいとお願いしました。ロジャー・メインウッド監督は脚本についてレイモンドに相談することができましたし、アニメーション監督とアートディレクターも、キャラクターデザインや背景、衣装や家具のことまで細かくレイモンドに相談することができました。

レイモンドが家族のアルバムを提供してくれたおかげで、エセルとアーネストがどんな生活をしていたのかということを知ることができたんです。住んでいた家の見取り図も彼自身が描いてくれて、部屋のレイアウトまでアニメーションの中に取り入れることができました。

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自宅の裏庭で写真に映るレイモンドの両親。アニメーションの力でふたりは、映画の中で生き生きと動く。

――壁紙や食器まですべてが細かに描き込まれていますね。

見取り図を見た時に気付いたのですが、私自身が住んでいる家にそっくりなんです。建てられた時期もほぼ同じですし、ロンドン郊外の典型的な家なのだと思います。実際にレイモンドたちが暮らしていた家には老夫婦が住んでいるため、家の中に入ってディテールを確認することは難しかったんです。それで私の家の玄関タイルの模様などの写真をアニメーターに渡して、参考にしてもらいました。レイモンドは両親が残した家具や食器のいくつかをいまも使っているので、それを絵にしたシーンもあります。

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ともに、制作の過程で作られた舞台設定のスケッチより。エセルとアーネストが暮らす、イギリスの典型的な低層集合住宅(テラスドハウス、タウンハウス)とその内装。プロデューサーのカミーラにとっても馴染み深いものだった。

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――手描きのアニメーションは、現代のイギリスの観客にとっては親しみやすいものなのでしょうか。

かつては手描きアニメーションがほとんどでしたから、90年代までは人気がありました。多くの国と同じようにイギリスもピクサーなどに席巻されてCGアニメーションが強くなり、伝統的な手描きの方式は消えていったんですね。

私たちのルーパス・フィルムズには2Dアニメーションをリバイバルしたいという思いがありました。企画を進めようとしていた『エセルとアーネスト』の資金繰りが十分ではなくてプロジェクトが止まっていた頃に、公共テレビ局のチャンネル4から『スノーマン』の30周年を記念して続編を作りませんか?という申し出があったんです。ちょうどチャンネル4の30周年という大きなプロジェクトでしたが、かなりの費用がかかることを説明しました。チャンネル4が私たちのビジョンを信じて資金を出してくれて、そこからスタッフを集めたんです。というのも実は手描きアニメーションの仕事を辞めたスタッフがとても多くて、たとえばデジタルアニメーションの仕事に移ってしまったり、庭師のようなことをしていたり……という状況でした。

幸いなことに、完成した続編「スノーマンとスノードッグ」は年間トップの高視聴率を記録して、批評的にもいいものを得ることができたんです。この作品がヒットしたことで、イギリスの国民はこんなにも手描きアニメーションを望んでいるんですよ!と投資家たちを説得することができて、『エセルとアーネスト』の資金繰りがいい方向に進むことになりました。

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制作過程で作られたスケッチより。手書きの風合いも本作の魅力だ。監督のメインウッドとプロデューサーのカミーラは、キャラクターデザインを決める前に高畑勲の『かぐや姫の物語』を一緒に鑑賞。その「スケッチのようにルーズな線」にも影響を受けたという。

――映画の中では描かれることがあまり多くはない、市井の人の日常のエピソードが丁寧に積み重ねられていますね。ドラマティックに脚色することなく、庶民と社会との関わりを描くことはチャレンジングなことだったのではないかと思います。

そのとおりです。現実を生きた人たちをベースにしているので、1920年代から70年代の歴史をエピソードごとに語っていくしかないと考えました。つまり通常の映画によくある、個を描くような強いドラマ性を選ばなかったということです。この姿勢について投資家が抵抗を示すこともあり、脚本にもっとドラマ性の強い要素を入れたらどうかという提案もありました。けれども監督のロジャーは、この映画は原作に忠実にやらなければならない、と断固反対したんです。レイモンド自身の実の両親の物語なのだから、事実ではないことを描くわけにはいかないと主張したんですね。

ロジャーはヨーロッパのアート系の映画や、マイク・リーやケン・ローチの映画にある静けさを愛していましたから、人間が立ち止まっている様を描きたいという強い思いがあったのだと思います。とても日常的で静かな映画でありながら、世界大戦が起こったり人間が月面着陸をしたりと、社会は激動の時代を迎えます。変わっていく社会と淡々とした暮らし、その対比も感じていただければと思いますね。

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教会で結婚式を挙げる、初々しいふたり。

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レイモンドが生まれて賑やかな一家の日常は、ほかの国民と同様に、戦争に大きな影響を受けていく。

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――“名もなき人々”になるかもしれなかったふたりの物語に、『エセルとアーネスト』というタイトルがついていること自体に大きなメッセージを感じます。この映画の中でカミーラさんが気に入ってるエピソードも教えてください。

原作でもこのページを読むといつも泣いてしまうのですが……、まだわずか5歳のレイモンドが地方に疎開するシーンです。私も母親なので、5歳の子をひとりで送り出すなんて考えられませんが、当時はたくさんの子どもたちがこうした経験をしたわけですよね。

もうひとつは、お母さんがレイモンドの髪の毛のことをいつもああだこうだと言うシーン。レイモンドは思春期には反抗しているけれど、年齢を重ねてクシを渡された時には、静かに受け取るようになる。心の中には、母からクシを手渡されるのもこれが最後かもしれない、という思いがあったのかもしれません。クシというモチーフでディテールに伏線を張りながら、人生や親子の関係を描き出している。こんなところにもレイモンドの作家としての才能が感じられます。

後は家族が一緒にいる時に、交通渋滞の話などをするシーン。家族って大事な時でも案外、天気の話なんかをすることがあるじゃないですか(笑)。そういう意味でも、この原作はとてもよくできているなと感じます。

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戦時中の疎開のため、パディントン駅で両親に見送られるレイモンド。

――くすりと笑いを誘うような、ユーモアを感じる会話もありました。

レイモンドが美術学校に行きたいと言ったときに、お母さんが「就職ができない」と大騒ぎをしたり、お父さんは「裸の女を描くのか」と心配したりしますよね。映画館でも笑いが起こりますし、アニメーションの映画祭などでも大きな笑い声が響きます(笑)。アニメーションで食べていこうと思っている人たちにとっては、身につまされるシーンなのかもしれません。

――夫と妻、母と息子、父と息子、それぞれの思いが重層的に描かれている作品ですよね。

レイモンドとお父さんの仲はよかったのですが、ひとり息子として溺愛していた母親に対しては、ちょっと息苦しさを感じていたそうなんです。エセル自身は大家族で育ってきて30代半ばでようやく結婚して、この時代としては遅めの出産をしています。その分、愛情がとても濃くて、レイモンドはそこに苦しめられたこともあったようです。

若い頃は父親の方が付き合いやすかったけれど大人になってからは心持ちが変わって、母親がいかに自分の人生を犠牲にしていたか、いかに自分を愛してくれたかを理解して、感謝の思いを持つようになった、と。母としての思いもわかりますし、レイモンドの気持ちの変化について考えると、涙が出てきます。

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ガールフレンドを自宅に連れてくるレイモンド。自立していく息子を、心配しながらも温かく見守るエセルとアーネスト。

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――両親のボイスキャストを務めたブレンダ・ブレッシン、ジム・ブロードベントの声について、レイモンドさんは何かおっしゃっていましたか?

「両親が蘇ったのではないかと思って、部屋の中に姿を探してしまった」と言っていました。ブレンダはもともとのアクセントのままで無理はなかったと思うのですが、ジムは出身地のアクセントが違うので、修正してくれたんです。『風が吹くとき』がアニメーション映画化された時は、上流階級の人が無理に労働者階級のアクセントで話しているように感じたそうですが、今回はレイモンドにとっても自然だったようです。聞きながら「ティッシュをくれないか」と言っていて、ずっと泣き通しで感動していました。

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エセルを演じたブレンダ・ブレッシン(右、『秘密と嘘』)と、アーネストを演じたジム・ブロードベント(左、『アイリス』)。

――エンディング曲を書き下ろしたポール・マッカートニーには、どのようにオファーしたのですか?

ポールの「ボギー・ミュージック」という楽曲は、レイモンドの『いたずらボギーのファンガスくん』の影響を受けていると、インタビューで読んだことがありました。ポールは子どもに読み聞かせもしていたらしいんです。そこでレイモンドが『いたずらボギーとファンガスくん』の便箋と封筒のセットに綴った直筆の手紙を、事務所宛てに送りました。そして待ちわびていた返事が、なんとイエスだったんです!

レイモンドと監督と私は初めてのミーティングの時にとても緊張していましたが、ポールはとてもフレンドリーでナイスな人でした。ポールとレイモンドには、労働者階級で育ったということ、賢い子どもしか入学できないグラマースクールで学んだことなど、共通点がいくつかあります。イメージが湧きやすかったのか、ポールは最初のミーティングの時点で素晴らしい曲を仕上げていました。歌詞がまだでしたから、時々ポールから私に電話がかかってきていろいろなアイデアを提案してくれて、最終的にはいまの形になりました。とても美しくて感動的な歌詞は、14歳の時に亡くなった彼の母親へのトリビュートなんです。ドラムやギター、キーボードから歌まですべてポール本人が担当して、映画が完成する1週間前に録音したものに弦楽器のオーケストラを加え、ギリギリ映画の完成に間に合いました(笑)。

この映画の音楽を担当したカール・デイヴィスは80年代にポールと仕事をしたことがあり、音楽についての相談も非常にうまくいったんです。ポールの父であるジェームズはジャズバンドをやっていて、ポールも父の曲をエレキでカバーしているのですが、この映画の中では20年代が背景ということで伝統的な楽器に戻して録音したものを使いました。エセルとアーネストがデートしている時に、クラブから聞こえてくるジャズがその曲です。エンディングでポールの曲の後に父の曲を流したことも、意義深いことだと思っています。

『エセルとアーネスト』予告編

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カミーラ・ディーキン|Camilla Deakin

映画やテレビ業界で25年以上のキャリアを持つクリエイティブプロデューサー。2002年に、友人であり同僚のルース・フィールディングとルーパス・フィルムズを設立。手がけた主な作品に「スノーマンとスノードッグ」(12年)、「きょうはみんなでクマがりだ」(16年)。現在、無人島に住み着いていた旧日本兵とその島に流れ着いたイギリス人少年との交流を描いたマイケル・モーパーゴ原作『ケンスケの王国』の長編映画化を準備中。

『エセルとアーネスト ふたりの物語』

●監督/ロジャー・メインウッド
●原作・エグゼクティブプロデューサー/レイモンド・ブリッグズ(原作の日本版はバベルプレスから発売中)
●声の出演/ブレンダ・ブレッシン、ジム・ブロードベント、ルーク・トレッダウェイほか
●2016年、イギリス・ルクセンブルク映画 
●94分
●配給/チャイルド・フィルム、ムヴィオラ
●9月28日(金)より岩波ホールほか全国順次公開
https://child-film.com/ethelandernest

© Ethel & Ernest Productions Limited, Melusine Productions S.A., The British Film Institute and Ffilm Cymru Wales CBC 2016

texte et interview:MIKA HOSOYA

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