クリエイターの言葉 "ソウルの女王"を演じたのは、彼女本人が望んだ後継者だった...!

インタビュー 2021.11.25

アレサが私を望んでくれた! 憧れの女性を演じて。

ジェニファー・ハドソン|シンガー、女優

2018年に76歳で死去した“ソウルの女王”、アレサ・フランクリン。幼い頃から天才として注目を浴び、60年代にスターダムを駆け上り、80年代には女性として初めてロックの殿堂入り。そんな伝説のシンガーの半生を描いた映画『リスペクト』が公開される。主演は、生前にアレサ自身から指名を受けていたジェニファー・ハドソン。彼女との出会いは、アカデミー賞助演女優賞を受賞した映画デビュー作『ドリームガールズ』(06年)よりも前だったという。

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© 2020 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.
1952年、10歳にして歌唱力が評判となっていたアレサは、牧師の父に言われるがまま教会を回って歌っていた。レコードはまったくヒットしなかったが、アレサはニューヨークで再会したテッドと恋に落ち、父の反対を押し切って結婚する。しかし暴力を振るうようになったテッドから逃げるように、息子を連れて実家に戻ることに。監督は南アフリカ出身のリーズル・トミー。●『リスペクト』は、11月5日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開。

「オーディション番組『American Idol』で、私がアレサの『Share your love with me』をファイナル審査で歌って落ちた後、彼女のショーに呼ばれて歌わせてもらったんです。その2年後には、アレサの伝記映画で彼女の役を演じないかという話をもらいました。私は彼女へオマージュを捧げてきましたが、この映画はこれまでで最大の賛辞。アレサを演じることは夢が叶ったともいえますが、彼女自身に選ばれたからこそ、プレッシャーも大きかった。エキサイティングであると同時に、とても怖かったんです」

子どもの頃から教会のゴスペル隊で歌い、歌唱力を培ってきたジェニファーにとって、自身と似ているバックグラウンドを持つアレサは常にロールモデルだったという。

「女性として自分の持つ力を発揮して成功を掴み、さまざまな壁を乗り越えた黒人という点でも、尊敬できる憧れの人でした。できるだけ深く彼女の人生に関わりたかったので、映画のエグゼクティブプロデューサーもやりたいと申し出たんです」

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なんと映画で着用した衣装は85着! 60、70年代のファッションに身を包んで、「リスペクト」「ナチュラル・ウーマン」「アメイジング・グレイス」など、おなじみの曲を歌い上げるジェニファーのパフォーマンスは圧巻だ。しかし、レコーディングの裏やミュージシャンとしての成功の軌跡だけでなく、強権的な父親との確執やマネージャーでもあった夫テッド・ホワイトのDVなど、アレサの私生活での苦難に深く切り込んでいることもこの映画の魅力である。

「この映画に携わる前は、アレサがアクティビストであったことも、成功するまで8枚もアルバムを出していたことも知りませんでした。彼女のような天才は最初から苦労することなく女王になったのだと思いがちですが、自分の“声”を見つけて夢を追いかけるその道のりに、ひとりの女性としてもインスパイアされました。女性が闘わなければいけない時、どう強くあるべきなのか。この映画には、女性をエンパワーするものが多く盛り込まれていると思います」

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© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.
JENNIFER HUDSON/ジェニファー・ハドソン
1981年、アメリカ・シカゴ生まれ。聖歌隊のメンバーだった祖母の影響を受け、幼い頃からショーやミュージカルに出演。2008年には、映画『セックス・アンド・ザ・シティ』に出演し、歌手デビューも果たしている。

*「フィガロジャポン」2021年12月号より抜粋

 

text: Atsuko Tatsuta

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