オークション史上最高の510億円で落札された、ダ・ヴィンチの名画を巡るミステリーとは?

インタビュー 2021.11.26

アメリカの一般家庭の壁に飾られていた1枚の絵画が13万円で美術商の手に渡り、めぐりめぐってオークションにおける史上最高額510億円で落札された! レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の絵画とされる「サルバトール・ムンディ」を通して、アート界のからくりや闇に鋭く切り込んだノンフィクションムービー『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』。ジャーナリストとしても活躍する監督アントワーヌ・ヴィトキーヌに、その制作の裏側を聞いた。

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クリスティーズの競売にかけられたダ・ヴィンチ最後の一枚。その来歴をめぐるミステリーとは?(c)2021 Zadig Productions (c) Zadig Productions - FTV

あなたは元々政治的なテーマが専門だと思いますが、このアート界を騒がした「サルバトール・ムンディ」の絵画を巡るストーリーに興味を持った理由はなんですか?

おっしゃる通り、アート界は私の分野ではありません。しかし、世の中の権力構造に、“アートマーケット”というちょっと違った視点から迫れたらおもしろいと思ったのです。アート界を扱ってはいますが、私自身としては政治的ドキュメンタリーを作ったつもりです。この作品で扱っているテーマ、つまり「権力や政治、あるいは真実というものは、実は作り出されるものだった」といった事実は、今日の社会を映し出しているとも言えます。アートは、政治的あるいは外交的なソフトパワーになり得るのです。そういう面からすると、この作品もいままで私が関心を抱いてきた政治的なテーマと共通するのです。

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ルーブル美術館は「ノーコメント」と回答。

「サルバトール・ムンディ」に注目したのは、やはり2017年のオークションだったのですか?

実は、2017年の時点ではまったくアートの世界に関心がなかったので、あのオークションは気にもとめていませんでした。ところが2018年に、ドキュメンタリー制作のためにサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子を取材することになりました。その時に、この皇太子がダ・ヴィンチの絵画を史上最高額で落札したということを知ったんです。驚愕しましたね。サウジの皇太子がなぜ絵画をそんな高額で買ったのか、それがこの作品を撮るきかっけです。

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サウジアラビアの副首相や国防大臣などの要職を担うムハンマド・ビン・サルマン皇太子(中央、赤いスカーフを巻いて振り返る人物)。(c)2021 Zadig Productions (c) Zadig Productions - FTV

この作品には画商、美術界の権威、ロシアの富豪など、普段は表に出て来ないような人々も含めて、実名で顔出しで登場しています。どのようにキーパーソンにアプローチしていったのでしょうか?

私は、これまでも国際レベルの権力者たちにインタビューしてきました。目的と質問をあらかじめ明確にすれば、ほとんどの方はインタビューに応じてくれます。なぜなら彼らは、それぞれのインタビューに意味を見出してくれるからです。もっといえば、彼らにはインタビューに答えるメリットがあるんですね。そのメリットは人によってさまざまです。自分のエゴであるかもしれないし、自分の見解を擁護するためかもしれない。もしバッシングを受けていたとすれば、それに反論する機会を得るためかもしれません。今回でいえば、こういう世間の注目を浴びる事件に関与していることを誇りに思っている人もいます。

アプローチがいちばん難しかったのは誰ですか?

人ではなく、機関ですが、ルーブル美術館ですね。今回ルーブルの関係者はカメラの前で話していません。もちろん、それはとても理解できることです。ルーブルは国立美術館ですし、サウジアラビアの文化外交とも密接に結びついている機関ですからね。だから、映画中には彼らの「コメントは控えます」というメールを意図的に登場させています。「コメントしない」ということ自体、非常にこの問題が彼らにとってとてもデリケートな問題だということを雄弁に語っているのです。

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アート市場はなぜ投機の対象に?

「サルバトール・ムンディ」は、2013年には富豪ドミトリー・リボロフレフがスイスの美術商のイヴ・ブービエを仲介して1億2750万ドルで購入しました。その時の取引を巡って、ブービエとリボロフレフの間で訴訟問題になっている件も映画に登場します。彼らの闇でのアート取引きは、まるで『ミッション・インポッシブル』のようなスパイ映画のようにスリリングですが、彼らは、なぜ普段は「闇」で行われている行為を、顔出しでしゃべる気になったのでしょうか?

『ミッション・インポッシブル』にしてはアクションシーンがないですけどね(笑)。 ともかく、彼らも他の人と同様、出演することにメリットがあったのだと思います。スイスの司法は、一度はイヴ・ブービエに対して「詐欺罪には当たらない」と判決を下していますが、いまもまだブービエとリボロフレフは訴訟中です。確かに自分が右腕として雇っていた人間に対して、虚偽の発言をしたことは認めています。ともかく、彼らも他の人と同様に出演することで、自分の主張を訴えるというメリットがあったのだと思います。両者がインタビューを受け入れてくれてうれしく思います。非常にスペクタクルなシーンになったし、私のお気に入りのシーンですね。

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一般的な視聴者にはなじみの薄い、アート市場や絵画の闇取引きといったディープな世界を描き出す。(c)2021 Zadig Productions (c) Zadig Productions - FTV

「これまでは絵画に興味がなかった」とのことですが、アメリカの田舎の家の壁に飾られていた1枚の絵が13万円ほどで買い取られてから、500億円に化けるということについて、どのように思いますか? アート市場がこのような投資の舞台となることは、業界の外側からの視点で見て健全なことでしょうか?

思うことはあなたと同じです。市場が加熱していることは知っていましたが、まさかここまでとは私も思っていませんでした。ただ、この話をするときに気をつけなければいけないのは、アート業界とアーティストは別のものです。この映画が語っているのはアート市場についてです。アート市場は投機の対象になっていることは明らかです、とりわけこの数十年、とてつもない資産をもつ富豪が世界的に増えてきて、アートはその余剰金の投機対象となってきました。そうして富豪たちが経済的な目的で文化財を商品として取引している。なので、驚くような金額で芸術品や文化財が取引されるわけです。ただ、本来は「サルバトール・ムンディ」のような古典的な作品は、投機の対象になるということはなかった。それが今回、特殊なケースとなっている理由のひとつでもあるのです。

少し前には、ウォールストリートに象徴される経済界におけるマネーゲームが批判の対象でした。今回のケースでは、芸術品が対象なだけに、このようなアート市場が投機の主戦場のひとつとなっている現状に関して批判的に捉える人も多いですが、どう思われますか?

この質問に対してきちんと答えるのは難しいのですが。アート作品が高額で落札され、一旦プライベートコレクションになってしまうと、美術館がそれを入手することは難しくなりがちです。本来は世界中の人たちに鑑賞して欲しいような傑作であっても、展示される機会がなくなるのは問題だと思います。実際にお金は、アーティストのクリエイションに対する影響力もありますしね。たとえば、最近ダミアン・ハーストの「桜」をテーマにしたエキシビションをパリで見ました。ダミアン・ハーストは、世界中で作品が最も高額で取引されるアーティストのひとりです。彼とアトリエが107枚のほぼ同じ作品をを作りましたが、ひとりのアーティストが同じ題材で107枚の作品を作るというのは「大量生産」ともいえます。「桜」というテーマですから、日本人コレクターにも好まれるかも知れませんね。おそらく展示される前から、ギャラリーやコレクターに買われているのだと思います。こういう風にアートマーケットが機能しているのは事実です。先程も言ったように現代アートに関しては、すぐに金額に換算される傾向があります。

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この作品は、はたして本物だったのか?

このアートを巡る長い旅を終えて、この作品はダ・ヴィンチが描いた「サルバトール・ムンディ」であると思いますか?

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映画のひとつの主眼は「この作品は本当に本物なのか?」という点に置かれている。(c)2021 Zadig Productions (c) Zadig Productions - FTV

私自身、エキスパートではないので見解を述べる資格はないと思いますが、今回の映画のための調査を終えて思うのは、これはダ・ヴィンチのアトリエが関わっていることは疑いがないと思います。ダ・ヴィンチがこの絵画の制作にどれだけ関わっているかは、その割合を図るのは難しい。技術的なところから判断すると、ダ・ヴィンチと彼のアトリエが制作した、というのがいちばん正しい表現ではないかと思います。もちろん、専門家の中にはダ・ヴィンチが描いたという人いますし、弟子のサライ(ジャン・ジャコモ・カプロッティ)やボルトラッフィオが描いたという言う人もいます。映画にもこのあたりの事情は描かれていますが、いずれにしろ断定はできないでしょう。憶測の枠は出ないと思います。

ロンドンのナショナル・ギャラリーで展示された時に、イギリス人の絵画の権威がカタログに「ダ・ヴィンチ作」と紹介文を書きました。彼が本物であるとお墨付きを与える、しかも天下のナショナル・ギャラリーのカタログに載っていたりすると信じてしまう。つまり、専門家の「お墨付き」であっても、疑問の余地があるという事実をこの映画では告発していますね。これはあなたの意図したところですか?

その通りですね。それは意図して描き出したもので、テーマのひとつでもあります。「サルバトール・ムンディ」のような、数世紀経っている作品の帰属が非常に複雑だというのは事実です。科学的にはエキスパートたちが喧々諤々やったうえで、ひとつの見解に達するというやり方が理想的です。しかし今回は、外交的な問題、商業的な問題が入ってきたために、権力の中で「ダ・ヴィンチの作品であるほうが好都合」な人たちが生まれてしまった。通常であれば展示する芸術作品は、ディスカッションがあって、プロセスを経て決定するもの。今回は、そのプロセスが失われてしまったことが大きな問題なのです。

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アントワーヌ・ヴィトキーヌ Antoine Vitkine/1977年、フランス出身。パリ政治学院を卒業し、国際関係学で修士号を取得。その後、ジャーナリストとして活躍。2001年以降、大手フランス放送局製作の23本のドキュメンタリー作品の監督を務め、そのほとんどが世界各国のテレビ局で放送される。ほかにも、11カ国語に翻訳された『ヒトラー『わが闘争』がたどった数奇な運命』(永田千奈訳/河出書房新社刊)など、3冊の書籍も執筆している。
「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」
●監督/アントワーヌ・ヴィトキーヌ
●2021年、フランス映画 
●100分
●配給/ギャガ
●TOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開中
©Zadig Productions - FTV
https://gaga.ne.jp/last-davinci

text: Atsuko Tatsuta

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