ドキュメンタリー『アダマン号に乗って』はどのように生まれたのか?

インタビュー 2023.04.26

『音のない世界で』(1992)や『ぼくの好きな先生』(2002)などで知られるフランスのドキュメンタリー界の重鎮、ニコラ・フィリベール監督。今年のベルリン国際映画祭で、クリステン・スチュワート率いる審査員団により、最高賞の金熊賞を授与された新作『アダマン号に乗って』が日本で公開される。

舞台は精神疾患を抱えた人々のデイケア・センターとして機能する、パリのセーヌに浮かぶ停泊船、アダマン号。このなんともフランスらしい情緒ある場所を訪れる、さまざまな人々の日常を見つめ、時には情感にあふれ、時にはくすっと笑いたくなるようなユーモアのある、人間的な温かみに包まれた作品を織り上げた。2010年に開設される以前からアダマン号のプロジェクトについて耳にしていたというフィリベール監督に、本作について訊いた。

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——1996年の『すべての些細な事柄』という作品で、あなたはすでに精神疾患を抱えた人々について作品を撮っています。今回アダマン号という特別な場所を舞台にドキュメンタリーを撮ろうと思った理由を教えてください。

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セーヌ川に浮かぶアダマン号。

精神医学の治療を、できるだけ人間的におこなっている稀有な場所だからです。今日の資本主義社会では、こうした場所はどんどん予算が縮小されています。特に精神医学の治療は時間を必要とする領域なので、成果がすぐには出ないため困難を抱えている。それにこの手の場所は、一般的に暗く非人間的で、患者が閉じ込められているといった印象があります。アダマン号はそんなイメージを覆す場所であり、人間的な治療が可能なのだということを示す奇跡のような場所なのです。

——映画を観ていると、患者たちの様子から、カメラがとても自然にその場に馴染んでいることが伝わってきます。彼らの信頼を得ることがまず必要だったと想像しますが、どのようにしてそれを得たのでしょうか。

おっしゃる通り、彼らの信頼を得なければこうした映画はできません。撮影すること自体は難しくないですが、難しいのは患者たちの信頼を得て、カメラがその場に溶け込む環境を作り上げることです。この映画の趣旨を理解し、賛同してもらうために、撮影前に何度もこの場に通いました。特にこの映画は、あらかじめどんな形の作品に仕上げるか決められたものではないことを理解してもらった。撮影を始める前に映画の具体的な構想があったわけではありません。ただ日々の患者さんたちとの関係の中で、そこで起こることをすくい取り、なりゆきに任せようと思っていました。

——彼らの反応はどのようなものでしたか。逆に患者たちの中には、撮影班から注意を向けられることがうれしいと思う方もいたのでしょうか。

私が感じた印象で言うなら、ほとんどの人が私たちの存在や関心を好意的に受け止めてくれたと思います。でも、実際にカメラを向けるのはまた別物です。多くはありませんでしたが、中には映されたくないという人や、アダマン号に来ていることを知られたくないという人もいました。でもそんな人たちを含めて、私たちスタッフは良好な関係を保つことができました。

ただ撮影期間は長いので、その間には難しい時もありました。もちろん、撮影中も私たちは細心の注意を払っていました。たとえば今週撮影に行ったら、来週はお休みとか。毎日連続で2ヶ月撮影などしたら、彼らにはプレッシャーだったでしょう。途中コロナの影響などもあり、撮影はゆっくりとしたペースで7ヶ月にわたりました。

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——映画は患者のひとりがフレンチポップスを熱唱する、印象的なシーンから始まります。このシーンを冒頭に置いた理由を教えてください。

あの歌は多くのフランス人が知っている、テレフォンというグループのヒット曲「La Bombe Humaine」(1979)で、歌詞がまさに精神医学の治療と重なると思ったからです。「あなたに語りたい、僕のこと、あなたのことについて」という一節があるのですが、私が思うに精神疾患は、誰にとっても多かれ少なかれ関わりのある問題です。私たちはみんな脆さや弱さを持っている。健常者やそうであるように見える人と、そうでない人の境界というのは、とても曖昧だと思うのです。

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カウンセリングなど患者たちの日々の暮らしを、カメラは丁寧に愛おしさを持って追っていく。

——先ほど精神医学の治療を取り巻く困難な状況についてお話しが出ましたが、あなたはそれに対する憤りを作品で表現することはせず、作品自体はとても優しい温かみのあるものです。こうしたアプローチを取るのはなぜですか。

社会を告発する作品というのはたくさんあると思います。もちろん、そういう映画を作ることもできますし、大切なことだと思いますが、私自身は「告発」するよりも「触発」するような作品を作りたいと思うのです。困難な状況のなかでも闘っている人がいることを見せる、ポジティブなことを表現する作品にしたい。また精神疾患を抱えた人々というのは往々にして危険と見られがちですが、彼らもまた知的で繊細で、時にユーモラスでもあり、とても心を惹きつける存在なのだということを見せたかった。彼らに対する型にはまったイメージを変えるために。

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——あなたの作品を拝見していると、人間に対する愛があり、人間がお好きなのだろうと感じられます。

私の心の底にある本心を言うなら、人間は理解を超えるようなひどいこともできると思っています。20世紀の歴史を振り返るだけで、それは証明される。でも自分が作る映画では、人間性を信じ、希望を生きる気持ちにさせたい。アダマン号のような場所が存在することが希望であるように、いまだ何かを信じることは可能であり、希望はあるのだということを伝えたいと思うのです。

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Nicolas Philibert/1951年、フランス生まれ。1978年からドキュメンタリー映画を主に手がける。『ぼくの好きな先生』(2002年)は第55回カンヌ国際映画祭の特別招待作品として出品、『かつて、ノルマンディーで』(07年)では第60回カンヌ国際映画祭のスペシャルスクリーニングで上映されるなど国際的にも評価の高いドキュメンタリーの旗手。©Jean-Michel Sicot
『アダマン号に乗って』
監督/ニコラ・フィリベール
2022年、フランス・日本 109分
配給/ロングライド
4月28日より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国で公開
https://longride.jp/adaman/

 

text: Kuriko Sato

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