塩田明彦監督が脚本から手がけたオリジナル映画『春画先生』は、春画の性表現への豊かさに魅了され、春画研究に人生をかける芳賀一郎(内野聖陽)と、彼との出会いに喚起され、春画の魅力に没入する女性、春野弓子(北香那)の一筋縄でいかない恋模様を描いた作品である。
企画の発端は、2015年9月、私立博物館である永青文庫で開催された『春画展』。3ヶ月の開催期間中、21万人もの人が押し寄せた展覧会には、本作の小室直子プロデューサーと、塩田監督の姿があった。『風に濡れた女』(2016年)でタッグを組んだふたりが、江戸時代には笑い絵と呼ばれ、子どもから大人までがフラットに鑑賞されていた春画が、明治以降は厳しい検閲でタブー視され、人々の性描写への意識も変えてしまったことを、春画先生こと芳賀一郎の解説とともに明かしていく。映倫審査で区分R15+の指定を受け、商業映画として全国公開される作品としては、日本映画史上初、無修正での浮世絵春画描写が実現した作品である。
一郎は春画の性描写には無制限の理解を示す識者である一方、自身の恋愛では妻亡き後、徹底的に禁欲を課し、好意を持ちながらも弓子からのアプローチをかわして行く難攻不落の男である。この一郎の亡き妻である芳賀伊都、そしてその双子の姉、藤村一葉の二役を演じるのが安達祐実である。弓子にとって、一郎の過去を知る麗しき女性、一葉の登場は心穏やかには居られない。一葉は硬直した一郎と弓子の関係にどんな影響を及ぼすのか。春画の愛好者でもある一葉役を通して、安達祐実に「表現とタブー」を演じた意図について聞いた。
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――安達祐実さんは『大奥』(03年)や『花宵道中』(14年)で江戸時代末期を題材とした時代劇に出ていらっしゃるので、この『春画先生』で取り上げられる江戸時代の春画や絵師などの表現についても、よくご存知だったのではないでしょうか?
確かに花魁を演じたこともありますけど、春画はそんなに詳しくなくて。おそらく一般の方々と同じように、春画ってじっくり見てはいけないもの、手にしづらいというイメージを持っていました。今回『春画先生』に出るにあたって、塩田明彦監督から事前にいろいろ説明していただいて。「春画というのは江戸時代、男同士、女同士、明るく鑑賞するもので、見てはいけないものではなかった」ということを伺い、それが私の中でちょっとした意識改革になったところがありました。撮影に入る時に「春画全集」も購入しました。
――塩田監督は東京藝術大学大学院で教鞭を取られていて、一郎さんと同じような、研究に没頭するところなど重なる部分があるような印象を受けましたが、撮影前に安達さんに熱弁された「『春画先生』が果たす役割」についてはどう語っていらっしゃいましたか?
基本的には、この映画はコメディなんで」とおっしゃっていました。撮影している時は、本当にコメディなのかなって感じだったんですけど(笑)、出来上がった作品を観ると、確かにじわじわおもしろい。「なんだこの映画! 観て観て!」と思いましたね。
――藤村一葉役を引き受けようと思われたのは、弓子に、彼女の知らない深遠なる世界へと導く、ナビゲーターとしての役割が大きかったからですか?
そこまでは考えていなかったですね。私が惹かれたのは、春画を取り上げる映画や企画のものってなかなかなくて、きっと今後もそんなには作られないジャンルの映画だろうな、ということでした。「もしかして、春画にまつわる劇映画って、最初で最後かも」みたいな考えもありました。ちょっとおもしろそうだからやってみよう、みたいな感じですね。
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――その気軽なスタンスがいいですね。一葉は、一郎と弓子が参加する春画の鑑賞の宴で登場し、一郎が探し求めていた逸品の春画を求めあうライバルでもありますが、その鑑賞会での場面で感じられたことを教えてください。
美術部の方が用意したセットがすごくおもしろくて、大人たちがレールを囲んでいて、卓上に乗せられた春画が、それぞれの座っている前を走っていくのを鑑賞するという。当初の想像では、テーブルに絵が置いてあって、その周りに鑑賞者が座って見るのかなと思っていたので、撮影現場に初めて入った時、ちょっとびっくりしました。あのレールの距離が絶妙で、春画が近づいてくることにわくわくするんですよね。「まだ来ない、まだ来ない」みたいな、ちょっとじらされる感じとか(笑)。
一郎さんが映画の中で言ってるように、春画とはいわゆる、いやらしい絵だという目線で見るものじゃなく、芸術としての美しさを細かく見ていくと、そこには絵師、彫師、摺師のすごい技術が集められていることに気付く。私も撮影を通して、素晴らしい絵だなと思いました。描き方であったりとか、細やかさであったり、これまでそういうところに目がいってなかったけど、 ひとつの視点じゃなくて、いろんな視点から春画を見ると、ぐんと世界が広がると感じましたね。
――おっしゃるとおりで、映画と似ています。人間の気持ちの昂ぶりの一瞬を切り取り、女優さんの表情、表現においても最もいい瞬間を記憶、記録し、永遠のものとして残す。劇中の一郎さんの春画の解説を聞いていると、映画表現の原点を見出すことも出来ます。話が飛びますが、安達さんは一郎、弓子、一葉の三角関係をどう感じましたか?
一葉が初めて弓子の前に登場した時、弓子は一葉のことを敵と言いますか、ライバルみたいな感じで捉えるんですけど、実は一葉は一郎を慮って、弓子に気付きを与える存在である。そこがおもしろいし、一葉としては、一郎さんへの愛情があるからこそ、彼の恋が成就するように手助けするという。実は一葉は愛情深い人だなと思いながら演じていたんですけど。どこかで、一郎から大切な妹の記憶の呪縛から解き放さないといけないという思いもあるだろうし、切ない役ではあるなと思いながら演じていました。
――顔貌がそっくりであるなら、妹の伊都の代わりのポジションにも入れるはずなのに、入らない。物理的な側面と、心理的なものは違うんだと。塩田監督の映画は他人には伺い知れない特殊な鍵穴を持つ人々の話が多いです。
塩田監督は、一郎と一葉の関係性には「本当のSと本当のMには合う、合わないがある」という話をされていましたが(笑)、一葉は一郎にとっては、そういう存在ではなかったっていうことなのかなって。これは私の解釈ですけど、最初からMの自覚がある一葉は一郎さんにとっては違う相手だったんでしょう。潜在的にはそういう資質を持っているけれど、まだ花開いていないというところで、弓子に惹かれていったのかなと思っています。そういうサドとマゾの性的嗜好も可愛らしく、お茶目に見えてくるのが塩田監督の作品なんでしょうね。それがこの映画のおもしろいところかな。
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――この作品は喜多川歌麿の『歌満くら』や鈴木春信の『風流 艶色真似ゑもん』の真似ゑもんなど、素晴らしく芸術的な春画が数々無修正で登場しますが、春画の中の登場人物の着物や柄、その部屋の調度品の書き込みも本当に美しい。それに合わせて、一葉のお召し物も、着物やレース素材のドレスなど、春画の世界を愛でることの素晴らしさを引き上げる役割を果たしています。
そうですね。気高いというか、一葉はそういう雰囲気を持った人じゃないといけない。弓子をはじめ周囲を圧倒する何かがある人という役どころなので、衣装も色やスリットの入り方など、打ち合わせは結構細かくやりました。これ以上だと下品になる、けれど、これ未満だと艶が出ない、そういうところを考えました。春画を傷めないように、鑑賞の時はハンカチで口元を隠して観るのですが、そのときのハンカチの色や持ち方なども細かく気にしながら演じましたね。
――『春画先生』を観て感じたのは、春画の世界には表現に対して制限もタブーがないこと。性器も隠すものではなく、美しいものとして技術を尽くして表現されていて、観る側もおおらかに観ている。ただ明治維新後、西洋からの性に対して厳しい思想が入り込んできて、政府によって厳しく検閲し、破棄されていく。いま、私たちの性への価値観には、江戸時代の感覚がまるで消えてしまっているのだと痛感しました。同時に、昨今、表現に対してストイックに糾弾する空気も強まっているような気がします。観る前から正義感で作品を論じる空気や、作り物の世界としての前提があるのに、現代社会のコンプライアンスで作品の評価を決めるような流れを、安達さんはどう感じていらっしゃいますか?
子どもの頃からメディアの世界に身を置いてきましたが、当時からするとまったく違う世界になったっていうのはひしひしと感じています。表現において気を付けなければいけないことが増えました。フィクションとして作られたドラマや映画の世界であるにもかかわらず“やってはいけない”ことがすごく増えた。時代が変わったんだなというのは、表現の仕事をする中、感じていることです。もちろん、昔の時代劇などに出ると、身分の差別や偏見、女性軽視の描写などは当然出てくる題材で、そこへの眼差しはやっぱり変わっていくべきでしょうね。
ただ、なぜ、その表現はやってはいけないのかというところまで、話し合い、深く理解せずに禁じられている項目があるような気がします。やってはいけないと言われている項目の中にも、造形の美しさや俳優の演技から生まれるニュアンスを載せることで、情緒が出て、語るべきこととしての良さを伝えることができるんじゃないかと。そういう表現にチャレンジできないことが増えてきたことに、もどかしさを感じることもあります。何が正しいかはわからないけど、もっと深く、時代背景や、当時の市民のモノの見方を、いまとは違ってこうなんだと理解していけば、自分たちが現在思いこんでいる価値観とは全然違うものだったっていうことがわかるのかもしれない。表層的な部分で、この表現はダメだと判断されてしまうのは残念だなと思ったりします。『春画先生』に出演した理由には、こういうことも関係しているかと思います。
●原作・監督・脚本/塩田明彦
●出演/内野聖陽、北香那、柄本佑、安達祐実 ほか
●2023年、日本映画 R15+
●114分
●配給/ハピネットファントム・スタジオ
●2023年10月13日(金)より全国で公開
Ⓒ2023「春画先生」製作委員会
https://happinet-phantom.com/shunga-movie
text: Yuka Kimbara photography: Mirei Sakaki styling: Shota Funahashi(DRAGON FRUIT) hair & makeup : paku☆chan(Three PEACE)