【犬山紙子】美を引き出すMameの魔法
犬山紙子がいま思うこと 2021.08.07
文:犬山紙子
長野県立美術館でやっているMame Kurogouchiの展覧会に先月行ってきました。ブランド10周年ということで、これまでのコレクションやその発想源・スケッチだったりと、手持ちのMameがより愛おしくなるような、長く大切に着ようと思わせる、そんな空間。私と娘もMameを着て、他のお客さんたちもMameの着用率が高く、そこにいる人たちの愛込みで完成するんだなと思わされる展示です。デザイナーの黒河内さんのスケッチやスナップからは「多様な人や多様な物に美を見出し、愛が溢れている。美を感じる回路が途方もなく豊かな人だな」と改めて感じます。モデルのような体型でない私だってどうどうとこれからもMameを着ていいし、それは美しいことだと思えたのも素晴らしいことでした。
Mameって同じアイテムを体型の違う人が着ても、それぞれその人らしい美を引き出す魔法がかかっている服なんです。私の友人にもMameラバーはたくさんいて、同じアイテムを買うことも多々。そしておそろいのアイテムを友人が着ている姿から「こんなパーソナルな魅力の引き出し方がなされているのか」と、同じ服だけど私とは違う魅力でいっぱいの彼女を見て思うわけです。柔和さがひきたつ友人、凛とした空気がひきたつ友人、人によって強くも、優しくも、繊細にも、大胆にもなる。共通しているのは「その人本来の良さがひきたっている」というところです。あれだけ確固たる世界観のある服なのに、誰が着ても似合う。それは服に物語があり、物語のない人はいないからかもしれません。Mameはこのブランドを着ていると箔がつく、みたいな付け焼き刃ではないのです。
それで思い出したのが、20代の頃夢中になって読んだ「トラベリングパンツ」という小説。古着屋で買ってきた1本のジーンズが、体型バラバラの仲良し四人組全員に魔法のように似合ってしまうというお話。そのパンツは彼女たちの間でバトンのように受け渡され、思春期の大切な日々を四人分ともに過ごすわけです。シスターフッドの具現化のようなものかもしれません。
私にとってのMameもトラベリングパンツのような存在です。さすがにサイズはバラバラですが、互いに「よく似合っているね」と心から伝え合い、その魔法に感嘆するわけです。魔法、と簡単に言うけれどそれは黒河内さんが実際に旅をして、美を拾い集めて、思考して、日本の工場を訪ねて、そんな努力が魔法になっているわけで。
10年前は誰かと服がかぶると「嫌だな」と思っていたのにいまはどこか「連帯」を感じる。美学のある服というのは着る人同士を繋いでいく、そしてそれは他者の美を祝福したくなるような、そんな感覚。Mameを愛して8年。初めて袖を通したときめきはそのままに着続けていますが、これからも長く愛し続けるのでしょう。
イラストレーター、エッセイスト。1981年、大阪府生まれ。2011年『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス刊)にてデビュー。
テレビのコメンテーターとしても活躍する。2017年に1月に長女を出産。