【犬山紙子】私の、自尊心に対する礼儀

文:犬山紙子

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photo : Kamiko Inuyama

ソン・ウォンピョンの『三十の反撃』を読んでいたら「自尊心に対する礼儀」という言葉が記されていた。主人公は半地下住まい非正規雇用の30歳の女性。贅沢はできない暮らしをしている。けれど、「自尊心に対する礼儀」として月に一度映画館や展覧会に出向き外食をする。いつか文化関連の仕事をやりたいという夢を持つ彼女にとって、切実な出費だろう。

何よりも大切なものなのにこれまで気がつかなかった概念のような気がする。似て非なる言葉、「自分へのご褒美」はこれまでしっくりきていなかった。否定するつもりは全くなく、これは私の感じ方の話なんだけれど、ご褒美というと与えてもらう感が強く、自分がなんだか安く感じられてしまうのだ。いわゆるご褒美的な、一粒300円するショコラを3粒選んで食べるのも、昼まで寝過ごすのも、高いと躊躇していた図鑑を買うのも、上から下に与えるものじゃなくて、横から横。自分から自分への行為なのに、つくづく私はめんどくさい。でも、自分に礼儀を払いたかったんだなと思うとすごくしっくりくる。誰しもが、まず最初に礼儀を払うべきは自分なのかもしれない。

人権が無視された環境に身を置かないとか、そういった構造や通念に反対の声を(あげられるのであれば)あげるとか、つらい時に逃げることだとか、好きなことを楽しむ時間は「贅沢」ではなく「礼儀」として確保するとか、傷ついた時自分で自分の気持ちを傾聴してあげるとか。これまで点在していた私が大切にしてきたことはみな自尊心に対する礼儀なんだと思う。

でも、追い詰められたり、余裕がなくなると最初に自ら削り取ってしまうものも自尊心への礼儀だったりもする。本当はそんな時こそ必要なものなのだけど。だからこそ、こうやって言語化されたことが本当にありがたいのだ。ふわふわとしたものではなく、言葉でその時に思い出せるから。

大好きな友人たちの自尊心への礼儀ってどんなことだったりするんだろう。根本は似ているかもしれないけれど、その先端は一人一人違うはず。そして、彼女たちが大切にしている聖域のような文化に、友人として立ち会える瞬間がこれまで何度かあった。絶対に土足で踏み込んではいけないところに招いて貰うのだ。それは馥郁(ふくいく)たる時間で、人と人が交わる喜びの原液がそこにあるのだと思う。

イラストレーター、エッセイスト。1981年、大阪府生まれ。2011年『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス刊)にてデビュー。

日本テレビの「スッキリ」をはじめ、コメンテーターとしても活躍。2017年に1月に長女を出産。

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