子どもの性教育。
犬山紙子がいま思うこと 2022.02.09
文:犬山紙子
性教育について考えることが多くなっている。
5歳の娘にどう伝えよう、そう思って調べ始める。でも、本を読み進めるうちに「思春期の自分がこれらの知識を持っていたらどれだけ良かっただろう」と毎回思ってしまうのだ。
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生理とか体の仕組みについてだけ学ぶもの、性教育をそういうイメージで捉えたまま大人になっていた。でも本当はそういったさまざまな知識を通して「自分と相手の心と体に敬意を払うために学ぶもの」だったんだと今知ったのだ。こう書いてしまうと綺麗事のような響きだけど、こんなにも生きていく上で必要な教育はないはず。
「女子の家に男子を入れたらそれはOKの合図」なんて価値観の時代。痴漢は今よりもっと軽々しく、エンタメとしてすら消費されていた時代。女性主体のセックスは語られず、男性目線を内面化した女性による「かりそめの本音」が多く語られていた時代。雑誌を開けば「相手をしらけさせない、嫌われないためにこう振る舞おう」といったような愛されテクが飛び出す、そんな時代に10代20代を過ごした。
でも当時だって「自分の体を大切にしなさい」とは何度も言われていたのだ。でもその言葉は響かず「はいはい」と言うだけだった。「学生はセックスするなってことでしょ、妊娠するなってことでしょ」とメッセージを受け取っていたからだ。
じゃあ身近な、信頼する人たちから繰り返し「あなたたちの体、めっちゃ尊いから」と何度も何度もメッセージを受けていたらどうなんだろう。「それは性的な価値が高いからという意味じゃないよ、子どもを産めるからじゃないよ、若いからじゃないよ、ヴァージンだからじゃないよ、健康だからじゃないよ、見た目も関係ない、条件なしに、自分の体は尊いものだよ、誰がなんと言おうと尊いよ」ってゴリ押ししてくれたら。そして実際尊いものとして接してもらえていたら。
それでもあの時の私に届くかどうかはわからない。伝え方は難しいし、伝える相手によってアプローチも変わってくるのだろう。
でも、自分を尊い者として扱ってくれる人には、こちらもリスペクトを持って接するはずだとは思うのだ。そして尊重されて初めて、自分の体が尊いと感じられるようになるのかもしれない。
お互いを尊重しあえる関係性を若い頃から作れていたら何が違ったんだろう。「おや、この人同意を取ろうとしない? この人は私のことを尊重していないぞ」というセンサーはもっと仕事をしただろうし、自分も相手を尊重しない態度を取って人を傷つけることは少なかったんじゃないだろうか。余計な傷がきっと減ったんだろう。傷の分強くはなるかもしれないけれど、治りにくい、要らなかった傷だってある。
例えば、思春期の恋バナで、恋愛に詳しいませた女の子が「あー、あんたのこと尊重しない男なんかいらなくない?」ってアドバイスする時代はもうきているんだろうか。それはもうどこかにはある気がする。
「お互い尊重しあうのが、人間と接する時の醍醐味でしょ」とか教えてくれる先輩は学校にいるんだろうか。「君のことを守りたい」という男子は「地球外生命体が万が一侵攻してきたら僕が何故か発揮できる超人的パワーで守ってやるぜ」という妄想ではなく「だから君の意見を知りたいし、同意を大切にするし、尊重するね」という意味で言ってたりしている時代だったりするんだろうか。
娘のため、なんて思ったけど大人にとっても「性教育」は響いている。
イラストレーター、エッセイスト。1981年、大阪府生まれ。2011年『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス刊)にてデビュー。
テレビのコメンテーターとしても活躍する。2017年に1月に長女を出産。