八木山ベニーランドに行った話。
犬山紙子がいま思うこと 2022.06.11
文:犬山紙子
♪ヤンヤンヤヤ〜八木山の〜
知っている人はこの一文だけでピンとくると思う、仙台のローカル遊園地「八木山ベニーランド」のテーマソング。この昭和感たっぷりなCMソングは、耳にするとノスタルジーで胸がいっぱいになる名曲だ。
甥っ子の誕生日をお祝いするため久々に宮城の実家に戻った翌日、母が亡くなった。シャイドレーガー症候群という難病を患い、途中脳出血も患い、最後は乳がんも発症した。そして自宅で20年間闘病生活を送っていた母は、血圧の低下により眠るように私たちの腕の中で息を引き取った。
まだ、母の死については言語化も文章化もできない。20年の介護生活(とはいえ最後の6年間は子育てのため私はまったく介護に参加していない)たくさんのことがありすぎた。何を書いてもしっくりこないので日記だけただ書き連ねてある。その日記には「可愛いものが大好きな母が三途の川を渡るところは想像できない、白いドレス姿で小鳥達に運ばれて馬車で天に登ったと考える方がしっくりくるな」なんて現実逃避のような気持ちばかりが連なっている。
大人の私ですらこんなに混乱しているのだから、子ども達はさらに混乱しているのかもしれない。私の娘は亡き母に向かい「生き返ってね」と言っていた。初めて人の死を経験する彼女に「生き物は死んだら生き返らないんだよ」とすぐ言うこともできず、ただただ抱き締めることしかできなかった。甥っ子姪っ子たちはより辛いんじゃないだろうか。1日の出来事を母に報告して、「おやすみ」と手をギュッと握る毎日を過ごしていたのだから。私たち家族にぽっかり空いた穴をどうしたものか。母がいつもそこにいたリビングには、ベッドもなく、介護用品の出す機械音もなければ、ヘルパーさんの声もしない。
ひと段落ついてから、「子どものために」と誰かがベニーランドに誘った。家から車でそこまで遠くない、行くといつも楽しくて懐かしい気持ちになったベニーランド。そうだ、今はみんなでヤンヤンヤヤーするのがいいのかもしれない。
photo : iStock
あの時、私たちにはベニーランドが必要だったんだと思う。
姪っ子に至っては「べ」と書いてあるベニーランドキャップを被っている、とてもかわいい。赤ちゃんもいる。私の娘も姪っ子と手を繋いで嬉しそう。もちろん、背中がひとまわり小さくなった父も一緒だ。
「じーじ! ジェットコースター乗ろうよ!」とせがまれて何周もさせられる父。ゴーカートで、孫の運転する車に乗る父。私はというと動物のモニュメントにフラフープを投げるアナログな施設を一番楽しんだ。全然入らなかったけど楽しかった。
そういえば1度だけベニーランドでバイトしたことがある。ソフトクリーム屋さんだったのだが、お客さんがいない時間居眠りをしてしまい、怒られたのだ。自分が悪いのに怒られて凹んだ私は、迎えに来てくれていた母の車に乗り込んでからも無言でボーッと景色を見ていた。車の中はお母さんの匂いでいっぱいだった。
なんとなく、来年も命日が近づいたらベニーランドに行くような気がしている。どうかこの先もずっとずっと存在していて欲しい。毎年行きたいのだ。
イラストレーター、エッセイスト。1981年、大阪府生まれ。2011年『負け美女 ルックスが仇になる』(マガジンハウス刊)にてデビュー。
テレビのコメンテーターとしても活躍する。2017年に1月に長女を出産。