度重なる苦難を乗り越えて『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』

この映画『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』は、ブラジルを代表するピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスの半生を描いている。彼はリオ・パラリンピックの開会式で、ブラジルの国旗掲揚の際に屈曲したままの指でブラジル国歌を演奏していた。

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ジョアン・カルロス・マルティンスを演じたアレクサンドロ・ネロ。この作品の映画化にはクリント・イーストウッドも興味を示したという。


リオ・パラリンピックの開会式。ジョアン・カルロス・マルティネスは36分頃から登場。

9歳でバッハ協会主催のコンクールで優勝。

ジョアンは1940年6月25日にサンパウロで生まれた。病弱だったものの、かつては音楽家を目指していた父親の英才教育によって、ピアノの才能が開花。8歳の時に音楽大学の教授ホセ・クリアスにピアノを習いはじめ、その翌年にはわずか9歳で、ブラジルで開催されたバッハ協会主催のコンクールで優勝する。

13歳からブラジルではプロとして活動し、18歳の時にプエルトリコで開催されたカザルス音楽祭にラテンアメリカ人として初めて招待される名誉を得た。次第に海外での演奏が増え、アメリカでのデビューは、21歳の時にエレノア・ルーズベルト(第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻)が主催するワシントンD.C.で開かれたプレゼンテーション(バチアナ財団のHPによる)。その後はカーネギーホールでのデビュー・コンサートのチケットを完売にするなど、アメリカへ移住して不動の人気を獲得していく。

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指を痛め、流血しても左手だけでも弾き続ける。

映画の見どころは数多く、これでもか!というほどに波乱万丈の人生に引き込まれていく。北米や欧州のオーケストラをバックに、テクニックを要する難曲に次々と挑んでいく姿もさることながら、ピアノ一筋だった純朴な少年が女性を知ってから、美しい奥さんと子供に恵まれながらも遠征先でプレイボーイぶりを発揮していく、後先を考えない過ごし方。彼の演奏を絶賛した新聞評を自ら切り抜いて父へ送る場面も、その場で気に入った女性に声を掛けて誘い込む姿も、自分の才能や名声、魅力を確認するために行なっているようにも見える。

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幸せな結婚生活を送るかと思ったが……。写真左から、最初の妻(フェルナンダ・ノーブル)とジョアン(ロドリゴ・パンドルフ)。 

なかでもいちばんの見どころは、指が動かなくなろうとも音楽に身を捧げ続ける、その生き様である。たとえば、公演スケジュールがぎっちり組まれた最中の、ニューヨーク滞在中での出来事。憧れのサッカー選手であるポルトゲーザが練習をしているのを見つけ、合流して一緒にサッカーをしているうちに、ジョアンは右腕の神経を損傷してしまう。それがきっかけで手の指が筋萎縮となるが、彼はリハビリをし、特製のギプスをはめ、激しい演奏には流血しながらも超一流のピアニストの座から転げ落ちぬよう奮闘するのである。

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演奏中に流血しながらも芸術的な表現を続けるジョアン(ロドリゴ・パンドルフ)。 

そして一度は演奏することを断念したものの、再びピアノを弾きたい情熱に駆られてリハビリを開始し、40歳間近から45歳の間にバッハの初期作品のレコーディングを行っている。

その後も運命に弄ばれ続けるが、右手が動かないなら左手だけで演奏したり、指揮者に転身したりするなど、ジョアン・カルロス・マルティンスは常に音楽への献身を欠かすことはなかった。現在は次世代を育成する教育活動の一環として設立した、バチアナ財団を中心に活動している。彼の業績と貢献からすれば、リオ・パラリンピックでの演奏は国を挙げてのスタンディングオベーションにふさわしいものなのである。

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音楽を愛したゆえの波乱の人生が、彼の音楽を豊かにする。

映画を観ていると激情を露わにしたダイナミックな演奏や指揮棒を振る姿が印象に残るが、その一方で“20世紀最も偉大なバッハの奏者”と異名を取るだけあって、一瞬のうちに引き込まれる優美な演奏にも心が安らぐ。映画で使用されている演奏は、すべてジョアン・カルロス・マルティンス本人によるもの。彼がいちばん愛しているのは、苦難も栄光も共にし、人生で最も長い時間を一緒に過ごしてきた音楽なのである。

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写真左から、手術を繰り返しながら演奏を続けるジョアン(アレクサンドロ・ネロ)と妻カルメン(アリーン・モラエス)。

とはいえ、エリック・クラプトンのドキュメンタリー映画『エリック・クラプトン〜12小節の人生〜』や、エルトン・ジョンを描いた『ロケットマン』、アンドレア・ボチェッリを描いた『アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール』と同様に、現在も活躍中の本人が関わっている映画だけに何らかのフィルターはかかっているだろう。資料にも「企画の当初はジョアン自身のパーソナルな部分や過去の恋愛関係に焦点をおいた脚本を作っていたが、ジョアン本人からもう少し音楽家としての功績などにフィーチャーしてほしいというリクエストがあり、脚本の方向性を修正していった」とある。

しかし、これだけの怪我を乗り越えてきた、まさに不屈のピアニストであるだけに映画のラストシーンには大変感動した。「事実は小説より奇なり」というが、このような人生を歩んできたからこそ、これだけ繊細さと大胆さが共存したような情感豊かな演奏ができるのだと思う。観終わってから、また少しおいて観たくなるような、生きるための強さを教えてくれる映画である。

『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』
●監督・脚本/マウロ・リマ
●出演/アレクサンドロ・ネロ、ダヴィ・カンポロンゴ、アリーン・モラエス、フェルナンダ・ノーブルほか
●2017年、ブラジル映画
●117分
●配給/イオンエンターテイメント 
●9/11(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開
http://my-bach.jp

※新型コロナウイルス感染症の影響により、公開時期が変更となる場合があります。最新情報は各作品のHPをご確認ください。
 

*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
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