人生に差す温かな光を描く、『エンパイア・オブ・ライト』

いま、『エンパイア・オブ・ライト』のサウンドトラックを聴きながら原稿を書いている。

この映画の舞台は1980年代初頭、イギリス南東部のケント州に位置する海辺の町、マーゲイトにある映画館エンパイア劇場だ。ここは地元に愛される映画館だが、いつもは静かな町も、厳しい不況とそこから生じる経済的不安に苛まれ、人種差別が激しくなるなど、一触即発的な空気が漂っている。というのも60年代には、映画『さらば青春の光』(1979)で有名なブライトンと同じくして、モッズとロッカーズの衝突が起きているし、実際80年代には、スキンヘッズによるトラブルが起きているのだ。

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(左から)スティーヴン(マイケル・ウォード)とヒラリー(オリヴィア・コールマン)。

主人公ヒラリーの前に、ある日、黒人ゆえに夢を諦め、映画館で働くこと決意した青年スティーヴンが現れる。過酷な人生を強いられてきたふたりは、これまで生きてきた人生の長さや肌の色の違いなど関係なく、鳩の世話をきっかけに心を通わせ始める。思えば、この鳩の存在は平和そして希望を示唆していたのだろうか。

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人生に差す温かな光を映像はもとより、音楽でも表現。

映画のタイトルにもなった光の映像は、担当したロジャー・ディーキンス(『ブレードランナー2049』ほか)が第95回アカデミー賞の撮影賞にノミネートされたくらい素晴らしくて、必見だが、音楽の存在も重要だ。いまやナイン・インチ・ネイルズとしての活動よりも、映画音楽での活躍が顕著なトレント・レズナー&アッティカス・ロス(『ソーシャル・ネットワーク』ほか)。このコンビによるサウンドトラックは、かつてなく音数の少ない優美な音楽を響かせ、まさに映画館の最上階に差し込む光のようだ。そして、希望に向けての一筋の明かりのようであり、心の平静を保つためにヒラリーとスティーヴンの心の中に流れている音楽のようにも感じる。また、ふたりと時間を共にする職場の仲間が醸し出す優しく温かな空気感のようにも感じられる。

しかしスクリーンからは、映画館で働く人々の秘密、隠してきた姿や過去が次々と明かされることによって、いかに人生がたやすいものでないかを思い知らされる。特にベテラン映写技師のノーマンは、実生活がうまくいかなかったからこそ、映画の放つ魅力的な世界観に身を委ね、狭い映写室で人生のほとんどの時間を過ごす。これら登場人物や流れる映画のワンシーンをきっかけに、つい観る側も過ぎ去った日々に思いを馳せるかもしれない。

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映画館エンパイア劇場の従業員たち。ジャニーン(ハンナ・オンスロー/写真中央)はスージー&バンシーズのスージー・スーを想起させる髪型だ。

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スペシャルズの音楽は現実社会よりも先に人種差別を否定していた。

レズナー&ロスの音楽が一筋の光を象徴しているとするならば、劇中に流れるジョニ・ミッチェルの「You Turn Me On, I’m A Radio」やスペシャルズの 「Do Nothing」などは、登場人物の心の声を反映しているといっていいだろう。皮肉なのが、この映画でも描かれているように、ワーキングクラスの若者は人種差別的暴行を行う一方で、当時流行っていたのは、スペシャルズを筆頭とした黒人と白人の混合バンドによるスカ系の音楽だったことだ。混合バンドはその頃はまだ珍しく、その音楽は現実社会よりも先に人種差別を嫌い、社会意識の強い歌詞と独自の楽曲でクリエイティヴな作品を生み出していた。スティーヴンが夢中になるのも当然だろう。

1977年にイングランドのコヴェントリーで結成されたスペシャルズは、60年代にジャマイカで流行したスカや、レゲエに、パンクの粗雑さやスピード感をミックスするなどした音楽で、一世を風靡した。イギリスにはジャマイカなどカリブ系移民が多かったので、生まれるべくして生まれた音楽といっていい。バンドのリーダー、ジェリー・ダマーズが設立したインディペンデントレーベル「2トーン・レコーズ」からは、セレクターやザ・ビートといったバンドを輩出し、まさに2トーンという音楽ジャンルにまで発展した。なかでも、マッドネスの人気が特に高かった印象がある。

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オリビア・コールマンは自分のために描かれた役を熱演!

もちろん劇中では、キャット・スティーヴンスの「Morning Has Broken」ほか、既存曲の使い方もうまいなぁと心に沁みるし、アルフレッド・テニスンなど、イギリス詩人のポエトリーの差し込み方も秀逸だ。なかでもフィリップ・ラーキンは、XTCのアンディ・パートリッジが影響を受けたと公言している詩人だが、ラーキンの「The Tree」の使われ方には泣けた。

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(写真左)映画の支配人ドナルド・エリス(コリン・ファース)とスティーヴン。

『エンパイア・オブ・ライト』には、イギリス南東部のバークシャーに生まれた、サム・メンデス監督(『アメリカン・ビューティ』『007/スカイフォール』ほか)の思いが強く込められている。発案はコロナ禍におけるロックダウンを経験したことで、「映画館がなくなってしまうのではないか」という懸念から、「いまこそ映画館への愛を形にするべきだ」と考えたことに起因している。そして脚本を書くにあたり、“現代社会に通じる分断と激動の日々”を盛り込むべく、自らが経験した80年代初頭に時代を設定し、主人公のヒラリーには最初からオリビア・コールマンを当て書きしたという。確かにヒラリーの描き方は、彼女のこれまでの人生を想像させるという点でも、実によく考えられている。そして、その監督の期待に応えたコールマンの熱演も深く強く印象に残る。そのため、この映画は世代に関係なく楽しめるうえに、特に仕事を長年コツコツと頑張ってきたFIGARO女性読者にはグッとくる部分があるのではないかと思う。

『エンパイア・オブ・ライト』
●監督・脚本/サム・メンデス
●出演/オリヴィア・コールマン、マイケル・ウォード、コリン・ファースほか
●2022年、アメリカ映画
●115分 PG12
●配給/ウォルト・ディズニー・ジャパン 
TOHOシネマズ日比谷ほか全国で公開中
©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
www.searchlightpictures.jp/movies/empireoflight

*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
Twitter:@natsumiitoh

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