ミュージカルのような大熱量だった、「(生)林檎博' 24-景気の回復-」
Music Sketch 2024.12.26
椎名林檎の「(生)林檎博' 24-景気の回復-」を11月23日にさいたまスーパーアリーナで見た。「(生)林檎博」を冠したアリーナツアーとしては約6年ぶり、今回は全国7会場で計10公演を開催し、この日は8公演目にあたる(最終日は12月15日の福岡)。誤解を恐れずに言ってしまうと、コンサートは壮大なミュージカルを堪能した心境になった。椎名の他にステージに立ったのは最新アルバム『放生会』(2024)に参加した中嶋イッキュウ(tricot、ジェニーハイ)、Daoko、もも(チャラン・ポ・ランタン)、そしてダンサー2人組のSIS、ツアーメンバーの名越由貴夫(G)、伊澤一葉(Key, G)、鳥越啓介(B)、石若駿(Dr, Perc)、さらには斎藤ネコ(Cond)率いるフルオーケストラ銀河帝国軍楽団である。
なかでも印象深かったのは、かなりの歌詞を字幕で紹介していたことだ。これまでも英語やフランス語で歌うその和訳を中心に歌詞をスクリーンに映してきたが、今回は特にその数が多い。中盤に入る前に、新若旦那(椎名の小学2年生の息子)がナレーションで、「さて、母といえばサウンドについて考えるのがいまだにおもしろいようです。かたや、作詞している時の母は実に苦しそうです。(中略)母の場合、書くべき題材や内容自体の迷いはなく、いつもはっきり決まっており、その分、ひとことも間違えたくなくてナーバスになるのでしょうか」と語っていたが、説明するまでもなく、椎名はデビュー時から大和言葉と漢字、レイアウトまで徹底的にデザインしてきた。それだけに字幕でも歌詞をしっかり伝えるにあたり、早い段階からこの舞台にはストーリー性が色濃くあると確信できた。
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未確認飛行物体から俗世へ降り立った椎名林檎が修行を始める。
宇宙船のアイドリング音が止まると、会場に永平寺の般若心経が響き渡り、「鶏と蛇と豚」がスタートし、5人の僧侶の姿が現れる。産まれたばかりの(赤子の)三毒(三つの煩悩)を未確認飛行物体のなかから見つめる椎名。彼女が、地球外生命体として人類の営みを学ぶためにこの地へ降り立つ物語、その序章である。椎名と同じ午年生まれの男性ヴォーカリストを迎えた前作『三毒史』(2019年)に対し、最新アルバム『放生会』へは、7人の歌姫を迎えている。放生会(ほうじょうや)とは、椎名の出身地である博多の三大祭のひとつで、「万物の生命を慈しみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝するための祭り」。そのことを念頭に置きつつ、「(生)林檎博」の真意を追うべく、舞台に注力した。
椎名が坂本真綾に提供した「宇宙の記憶」を歌いながら、「地球のみなさん、ごきげんよう」と挨拶すると、続く東京事変の「永遠の不在証明」では、"ああ仮初の人生を愛し合うのも啀み合うのもつまり各自選ぶ相棒同士次第どうして間違えるのか"と問いかける。そして、"今沢山の生命が又出会っては活かしあっている(中略)元々の本当の僕はどこへ"と歌は続く。真紅の外套を脱ぎ捨て、黄金の王冠を外すのを合図に、いよいよ椎名は俗世へ降り立ち、修行を始める。
舞台は東京の夜の世界へ。「静かなる逆襲」が始まると、背後に『景気の回復』の文字が現れる。アレッサンドロ・ミケーレやミウッチャ・プラダのアイテムに身を包んだ椎名とダンサーのSISふたりが、"いいひといないかしら現地調達よ ああもう痺れたいのGUITAR"と歌い踊り、ブルーズあふれるギターソロや扇情的なホーンセクションなどドラマチックな演奏が会場を満たす。この曲に字幕はなかったものの、とんでもない熱量で叫ばれることで、また人生の核たる目的が次々はっきりと語られることで、景気=経済をそのまま指すのではなく、椎名演じるひとりの女、すなわちひとりの人間としての生命力を示唆していることがわかる。途中で演奏家のクレジット映像が流れ、「林檎博」に初回から参加している世界的に有名な打楽器奏者/作曲家・高田みどりの名前も確認する。当然、演奏家たちからもエネルギーが存分に伝わってくる。
ここから舞台は椎名のひとり芝居に。快感に溺れていく「秘密」のスウィング、性愛を覚えていく「浴室」のテクノと肉感的なビートが続き、特に後者ではリンゴを切る動作とピアノの八分刻みがシンクロし、肉体という境界をなくして融け合ってみたいと訴える。最後にはピンクのドレスを脱ぎ、椎名は肌着姿のまま床へころがる。続くピアノのアルペジオとともにはじまるバラード、東京事変の「命の帳」では、一転、他人同士の肉体を、ひいては皮膚を、どう取り扱うべきかが語られ、主人公のささやかな成長を思わせる。肌色のエレキギターSGを肩から下げるが、その重さが彼女のバランスの危うさを示す細かい演出もあった。間髪入れず低音の弦楽リフと共に「TOKYO」へ。アンサンブルは途中からフルオーケストラになり、"短く切り上げて消え去りたい。飲み込んで東京"と叫ぶ椎名を、青いレーザーの大波が飲み込む。
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豪華なオーケストラの演奏を存分に活かして歌い上げる。
場面は深い海の底へと変わり、人魚となり声も脚も失った椎名の姿。過去を見つめ直す「さらば純情」では、なけなしの声で最後の一節を歌い、明るいトーンを響かせる管弦楽とともに、やがて"生の実感"を取り戻していく。ここからは斎藤ネコ(Cond,Vn)率いる弦カルテットを中心とした室内楽セットに。深海の貝殻に横たわったままの人魚が、密やかに「おとなの掟」を唱え終えると、前述のナレーションで椎名の作詞作曲秘話が語られる。そして弦楽四重奏の刻みのみによるイントロから、レベッカの不屈の名曲「MOON」が奏でられた。続いて、この曲の二次創作として書かれたという、「ありきたりな女」へ。どこにでもある親子の命のリレー。そのバトンがひとつ受け渡されたとき、あたりは赤道直下の陸地になっていた。そこからバンドもSISも椎名も装い新たに登場。「生者の行進」では、映像のAIと生身の林檎が、"一切お前は自由"と子を突き放して見せ、ドラムスとホーンズは速いテンポで掛け合い、親としての葛藤を表した。そして、辺り一帯照り付けていた太陽に月が覆い被さっていく。
日食を背に始まったミュージカルナンバーは「芒に月」。元は伊澤一葉のピアノトリオの楽曲で、この編成に合わせてアップサイジングし、リリックも椎名は新たに書き直している。椎名は歌いながら黄色いスーツに着替えて見せ、SISとともにオーケストラピットの前まで出てきた。チャールストンのステップを踏む場面も八小節ほどあったものの、基本的にはあらゆる楽器のアクセントと連動しながらなんらかの日常的な動作を見せていくパフォーマンス。まさにミュージカルだった。呼吸は後半やや荒くなるが、それが逆に生々しく刺さる。ピアノとハープの演奏に運ばれるようにして最新シングル「人間として」へ。これは椎名からの最新のメッセージとして受け取るべき歌だろう。ティンパニの見せ場から、NODA MAPへ提供した銀河帝国軍楽団のテーマ曲「望遠鏡の外の景色」へと雪崩れ込み、編曲担当の村田陽一(Tb.)始め、ピット内の演奏家全員が銀幕のスターのように丁寧に紹介された。ステージが派手やかなだけに、クールな映像も印象に強く残った。
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後半は、『放生会』に参加した女性シンガーが次々と登場!
ここから最新作『放生会』での世界観を展開していく。番傘を手に喪服姿の椎名が、アルゼンチンの語彙とフィーリングを取り入れたスペイン語で「茫然も自失」を歌う。石若によるラテン訛りのビートがもの哀しさを増長させる。大切な存在が消えて拠り所のない心持ちのまま、同じく喪服の中嶋イッキュウを迎えて歌うのは「ちりぬるを」。歌に寄り添う楽器もトロボーンからフルートへと変わり、亡くなった相手へ想いを馳せる歌は続く。ふたりの表情や歌声に似た部分があるものの、中嶋の可憐な声が故人への愛着を物語る一方で、椎名の声にはどこか表裏一体の諦念がある。ふたりのハーモニーの余韻はハープに引き継がれ、その旋律を引き裂くかのようにサイレンが鳴り響く。それは終戦記念日をも想起させた。というのも、舞台は夏の甲子園を思わせる球場へと場面転換したからだ。
新しい学校のリーダーズとの共演で話題を呼んだ「ドラ1独走」では、LEDに映し出されたSUZUKAに代わって、椎名がギブソンのギターRDで見せ場を作る。キャストは全員グリーンのユニフォーム姿で、Daokoが「続きましてはセンター、ヴォーカル、Daoko。背番号34」と自ら場内アナウンスをしながら登場すると、高校野球の応援団のように管楽器と打楽器を前面に出して「タッチ」をパフォーマンス。気づくと、スコアボードにはサントリーと資生堂の広告を表記している凝り具合。これは、去る2020年、不要不急とカテゴライズされた国産ブランドとともに、催しを景気付けたいという主催側の意思表示だそう。
「代わりましてセンター、ヴォーカル、林檎、背番号51」というDaokoのアナウンスをきっかけに歌い出した椎名は、どこか山口百恵を思わせる、抑制の効いたヴォーカルを聴かせた。雨が降る中、ひとり取り残された椎名。かつてはカップリング曲として栗山千明に提供し、東京事変や椎名自身も長く歌ってきている「青春の瞬き」を、オーケストラをバックに"僕ら目指していた場所に辿り着いたんだ"と熱唱し、会場は聞き入る。最後は誰もいなくなった球場へ稲光が走った。
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ジャンルを超越したヴァラエティに富んだ歌で、女の生き様を見せる。
そこからは、性急なバンド演奏とともに、軽やかな装いの中嶋イッキュウが、拡声器を手に「自由へ道連れ」を歌う。スレンダーな中嶋をさらに引き立てるように、大きなジャケットは左右でゴールドとシルバーにデザインされ、ボトムは同素材のペンシルスカートという出立ち。そこへ椎名も同じく拡声器を手にハーモニーに加わるが、中嶋はtricot結成時から椎名林檎のファンを明言していただけに、至福の瞬間だろう。しかも得意な曲調とあり、会場を動き回り、熱狂の渦をさらに掻き回していく。
続いてドレスアップしたDaokoとSISのふたりが登場。Daokoは以前のツアーに映像で登場したことがあるほど、椎名の評価は高く、「余裕の凱旋」ではふんわりとした甘めの歌声を聴かせかと思うと、後半は豊かなレンジで太く勇ましい発声を聞かせた。
パンチの効いたハスキーボイスで飛び出したももは、貫禄十分にこぶしも効かせながら「ほぼ水の泡」を。ウッドベースを唸らせるロマ音楽からのジプシー・ジャズ、そこからロカビリーも掠るなど、この猥雑なミクスチャーぶりは、民族音楽や大衆音楽を得意とするももの独壇場だ。パーティモードの賑わいの中、椎名林檎の肖像画が印刷された、本物と見間違うほどによくできた宇宙銀行の伍萬円札が盛大に降ってくる。そして舞台上には巨大な招き猫が鎮座していた。
本編最後の"しかし自分の本心への忠義尽くすことです"という歌詞が響く「私は猫の目」は、スカジャンで勢揃いしたゲスト総出で繰り広げられた。しかし、ここはゲストと呼ぶより、SISも含めて椎名林檎率いる、自分らしく生きるためのシスターフッドと呼んでもいいのではないか。椎名は2021年に一夜限定の女性バンドElopersをTV出演のために結成していて、その時の物凄い反響を思い出したが、会場で旗を振りながら彼女を応援し支持するファンたちは、この目の当たりにした団結パワーにさらに熱狂する。
楽団のスウィングに踊りながら、気持ちよく歌い上げる4人の歌姫とSISが銀橋という名の花道までやってきて、Daokoが「やや、あれは何だ?」と訊くと、中嶋が招き猫のほうを振り返り、「景気回復ビームだ!」と答える。気づくと猫は3匹となり、中央の招き猫の眼からレーザーが放たれ、大団円を迎えた。
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通常のコンサートを3本見たような、濃密な椎名林檎の博覧会。
アンコール1曲目はスクリーン内ののっち(Perfume)の第一声から始まる「初KO勝ち」。「アンコールありがとう、さいたま。もうちょっとだけお付き合いください」と挨拶する椎名は、特別誂えのボクシングのグローブを着けて登場。しかし、ミュージックヴィデオとは反対にこの夜は椎名がダウン。セコンド役のSISが観客を煽り、椎名は立ち上がり、最終的には勝利宣言へ。「今日はお目にかかれて嬉しかったです」と挨拶を挟み、同じく自身を鼓舞するテーマ曲「ちちんぷいぷい」へと進む。お決まりの観客からの "RINGO" コールに、椎名が閻魔大王のような地獄を這うような声で "yes" と応え、最後のSISとチャカを構える決めポーズから、「ARIGATO!」と叫び、舞台から消えた。
近未来の廃墟のディストピア映像に流れるエンドロールに用いられたのは、MILLENNIUM PARADEから椎名へ贈られ、椎名が作詞を担当した「2◯45」。2045年といえば、人工知能の性能が人類の知能を超えると予測されている2045年問題が頭に浮かぶ。しかし、ここまで歌われてきたのは人間らしい情動や不条理な陶酔などであり、「2◯45」の歌詞から考察するに、 "人間らしさ"といったものが消えた時に"生の実感や記憶"が"回復"する手がかりになるのではないか、ということが「(生)林檎博' 24-景気の回復-」では逆説的に歌われていると解釈できる。曲の制作時期についてはわからないが、個人的にはCOVID19のパンデミック期間に三密として接触を禁じられていた、緊急事態宣言の頃のことも脳裏を掠めた。
それにしても通常のコンサートを3本ほど一気に体感したような濃密な椎名林檎の博覧会であった。まだまだ考察は尽きない。
*To be continued
音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
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