シスターフッド感満載、背中を押してくれるハイムの『I Quit』
Music Sketch 2025.07.01
ハイムの4枚目のアルバム『I Quit(アイ・クイット)』は「私、やめます!」「もうやってらんない!」と、上司に辞表を突き出したような潔さを感じさせるタイトルだ。とはいえ、勇ましいというより、肩の力の抜けた音楽になっていて聴きやすい。恋愛についての切実な内容の歌詞がある一方で、ハイムらしくウィットに富んだフレーズも多く、クスッと笑えるのも嬉しい。
(左から)アラナ・33歳(ヴォーカル、リズムギター、キーボード、パーカッション)、ダニエル・36歳(ヴォーカル、リードギター、ドラムス)、エスティ・39歳(ヴォーカル、ベース)というハイム3姉妹。カリフォルニア州のサン・フェルナンド・ヴァレー出身。両親と家族でバンドを組んだ後、2007年に3姉妹で結成。テイラー・スウィフトと親しいことでも知られ、アラナは家族で出演したポール・トーマス・アンダーソン監督作品『リコリス・ピザ』(2021年)で、主演女優としても活躍している。
アルバムタイトルは、トム・ハンクスが脚本・監督を担当した映画のセリフから。
たとえば1曲目「Gone」で、ダニエルが元パートナーに対して「あなたは私の荷物をまとめたけど、どれも私が必要なのはなかった」と歌う箇所は、いろいろなシーンに当てはまるだろう。しかも、ジョージ・マイケルの大ヒット曲「Freedom!'90」(1990年)のサビの部分をサンプリングしている気持ちよさ。演奏も、リハーサルスタジオで鳴らしているそのままの音のような感覚をもたらしてくれる。そしてこのアルバムは歌の対象が彼女たちの長年の、あるいは短い期間のパートナーであろうと、最終的にはこの3人が揃ってボスになっているのが面白い。この姉妹バンド、ハイムにおいては、それぞれが三位一体のボスたちなのだ。前作でインタビューした時でも、アラナが「私たちは常に自分たちで舵を取って決めてきたし、私達自身の会社のCEOだった」と話している。
前作『Women in Music Pt. III』(2020年)の時のインタビュー記事
この"I Quit"というワードは、トム・ハンクスが脚本・監督を手がけた、バンドのドラム奏者を主人公にした音楽コメディ映画『That Things You Do!』(1996年)での重要なシーンでのセリフからつけたという。この映画の大ファンという3人は、このセリフをバンドのマイクチェックの際に「I quit, I quit」と繰り返したり、ファイルの仮タイトルに付けたりするなどして、内輪ネタによく使っていたそうだ。
アメリカの人気番組The Tonight Showに出演した時のもの。アルバムタイトルの由来に加え、5分22秒あたりからの3人のノリの良さに是非注目を!
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「もう、やめるわ!」と、本当にやめるべきなのは考えすぎること。
アラナはこのアルバムのテーマを、Consequence.netのインタビューで「自分自身に賭けて、自分のためにならないものを手放すこと」と話している。エスティは「これは一種の"心のあり方"なの。意識的に取り組まないとできないことなのよ。頭の中を切り替えるのって、簡単じゃないからね。でも、"物事を考えすぎないようにしよう"って自分に言い聞かせて、そういうエネルギーで動いていると、確かに人生が少しずつ良くなる気がするの。私が本当に"やめるべき"なのは、考えすぎることなんだと思う。そうすれば、もっと生きやすくなるはずだから」と話す。
そしてこのタイトルの力強さが意味するように、アルバムに収録されている曲のほとんどが、決断と自立を讃えている。また、ダニエルが10年ほど付き合っていた恋人と別れて、18歳のとき以来アラナと同居することになり、高校時代に姉妹で愛聴したモデスト・マウス、キャット・パワー、ザ・ストロークス、アニマル・コレクティヴ、ライロ・カイリーなどの青春時代のお気に入りを聴き直すことで、原点回帰。サウンドがよりシンプルになり、ステージ上で常に示してきたバンド・サウンドに戻ってきている。
というのも、前作『Women in Music Pt. III』(2020年)で特筆されるようなユニークなサウンドデザインは、ダニエルの公私のパートナーだったアリエル・レヒトシェイドによるものが多い。ダニエルが書いている別離とは、この過去3枚のアルバムで共同プロデューサーだった彼との別れのことだと思われるので、公私ともに大きな変化がもたらされたことには間違いない。その一方で、今回、ロスタム・バトマングリ(exヴァンパイア・ウィークエンド)とは共同プロデュースを続けているため、これまでのテイストは継続されている。
アルバムがとてもリラックスした雰囲気にあふれているのは、ロスタムの自宅のスタジオや、いまはアラナが住んでいる自宅のスタジオで曲を書き、時間に縛られることなくレコーディングしていることもあるだろう。ダニエルにとってロスタムは心強い存在であり、「彼の作品には私がいつも愛してやまない空気感、軽やかさとシンプルさがある。しかも、音を削ぎ落としていくことで余白を残すのがとても上手だと思う」と話している。
The Tonight Showに出演した時のパフォーマンス映像。
マルチに楽器を演奏できるダニエルはすべてのアルバムのプロデュースにかかわってきたが、今回は特にこだわったのはドラムから制作を始めていることという。ちなみに彼女たちの父親がバンドでドラムを担当していたことから、3人とも最初に手にした楽器はドラムだ(その後、家族でRockinhaimというバンドを結成)。バンドは歌の上手なシンガーがいればもちろんのこと、演奏の土台となるドラム奏者も重視される。ビートがガタガタだと合奏はもとより曲が崩れてしまうからだ。もちろんクリックに合わせてきっちり叩くよりも、多少遊びがあった方が感情移入しやすい時もあるが。そしてドラマーはバンドの背後に座ることで、全体を見渡しながら演奏できることも重要なため、そういった視座も求められる。
それゆえ、初来日時にインタビューした時にダニエルが、「私たちは本当にパーカッシヴに曲を書くの」と話していたのも当然だろう。今回、ダニエルは何ヶ月もかけてドラムの音を作り、そのプロセスでオーガニックなドラムだけでなく、サンプルやドラムマシンを使って、ユニークなサウンドを得るために多くの実験を行ったという。それは曲を聴けば1曲ごとに音質が違うことにすぐに気づくと思う。
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ドラムの一音一音にこだわり、ノリの良さが気持ちを前に。
ダニエルは曲のアイデアは必ずキープしているといい、そのなかから今回は完成させた15曲を収録。先行シングル「Relationships」は数年前に制作を始めたときから大切にとっておいた楽曲で、退屈な関係をユーモアを交えながら終えてしまおうという歌。チャント調の掛け声やファンク調のベース、90年代のR&Bを想起させるサウンドやビートを特徴とした、ハイムのグルーヴ感が生かされたナンバーだ。
明るい曲調のひとつである「All Over Me」の歌詞は、伝統的に女性が男性から要求されがちなセフレ的な関係を女性側から軽やかに皮肉めいて表現したもの。普段から下着姿などオープンに自分達の日常をMVやSNS上に見せているハイムが、男も女も同じだと歌で示している。駆け抜けるようなビートに手拍子を絡めた「Take Me Back」は、3姉妹が一緒に出かけたり、いろいろな冒険をしたりしていた時のフィーリングが反映されたナンバー。"capital-F-fun" を使って「めちゃくちゃ楽しい」と表現しているように、笑ってしまうほど奔放な10代を過ごした青春の思い出を、愛情を込めて振り返るノスタルジックな楽曲だ。
HAIM - Take me back(Official Lyric Video)写真で構成されているリリック・ビデオ。この笑っちゃうほどのティーンズのノリを赤裸々に見せてしまうところも広くハイムが好かれている一因。
印象的なブレイクビーツをバックにダニエルが歌う「Million Years」や、エレクトリックなディスコサウンドに乗ってアラナが歌う「Spinning」では、時の流れの中で、"生きているいま"を意識させるナンバーになっている。それだけ彼女たちも現代人として日々忙殺されながら、ここまで駆け抜けてきたことを想像させる。
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自分の体験を元に歌っているからこそ沁みる楽曲
ボン・イヴェールと共作した「Everybody's Trying To Figure me out」や「Try To Feel My Pain」は、ダニエルの心の葛藤が最も描かれているナンバー。そして「間違っていてもかまわない」と歌う「Down to Be Wrong」では、ダニエルが"去られる側"ではなく"去る側"の立場から歌っている。そして、別れに対して後ろ髪が引かれる心模様を歌いながらも、赤信号があろうとしっかりと前へ進む姿で曲を終えている。「The Farm」はとてもリアルな心情が歌われる失恋ソングで、実際にアラナから言われたと思われる言葉や、一緒に暮らした住居と思われることについて、「あなたに農場をあげてもいい 黙って買い取ってよ」と、涙を流し切った後で歌ったような歌詞が胸に沁みる。
さらにはエスティが冒頭から歌い上げるカントリー調のバラード「Cry」も真正面から感情を揺さぶってくる。しかし、「悲しみには7段階あるけれど 自分がどの辺りにいるのかわからない」と弱さを見せつつも、明るい曲調が前へ前へと背中を押しているようで、繊細ながらも魅力ある楽曲に仕上がっている。
アルバムのハイライトとも言えるのが、ラストの「Now It's Time」だ。U2の大ヒット曲「Numb」(1993年)からインパクトの強いパワーコードを拝借している。ダニエルはここで、まるで麻痺状態から覚醒したかのように、「自由は君がくれるものじゃなくて 私が自分で生み出すもの」「乗り越えるべき本当の障害物は 私が心の中で感じている壁」と歌い、自分を解放して自由へと進む。アルバムの最後を飾るのにふさわしい華やかさを放ち、ライヴでも盛り上がること間違いなしだろう。
『I Quit』ジャケット撮影は、数多くのMV作品や、家族ぐるみの付き合いとしても長い映画監督ポール・トーマス・アンダーソンによるもの。
アルバムの大部分で、機能しなくなった関係から抜け出すことがいかに難しいか、そしてその後、その関係を振り返って無理やり意味づけようとしてしまう時間から抜け出すことがいかに難しいか、ということを歌っている。つまり、「それが起きている最中には十分に考えなかったことについて」、「終わってから過剰に考えすぎてしまうことについて」のアルバムで、それが前述のエスティの発言に繋がるのだ。そして、このアルバムの楽曲は、そんな状況に陥っている人が思索にふける時間を持つ際に、とても良い話し相手になってくれる。まさにシスターフッド愛にあふれたアルバムなのだ。

ハイムのうれしいニュースといえば、エスティが今年2月13日にIT企業家のジョナサン・レヴィンと婚約したことを自身のインスタグラムで報告したこと。そしてフジロックフエスティバル'25で、7月27日(日)にホワイトステージのトリを務めることが決まっている。
*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
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