映画『バードマン』の音楽を担当したアントニオ・サンチェス

個人的に今年の第87回アカデミー賞受賞作には好きなものが多いが、なかでも圧巻は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』だ。既に作品賞、監督賞、撮影賞、脚本賞の主要部門を最多受賞したほか、各映画祭での受賞数が累計180以上(4月17日の時点)という多さ。何より監督・脚本・製作を担当したのが『アモーレス・ペロス』『21グラム』『バベル』で知られるアレハンドロ・G・イニャリトゥ。そして撮影は『ゼロ・グラビティ』のエマニュエル・ルベツキ。この天才肌の2人の組み合わせにより、ほぼワンカットで撮影しているかのような長回しの撮影は観ている側をグイグイ作品世界へと引き込んでいくし、全てにおいて計算された俳優陣の動きやカメラワークも、どれ一つたりとも見逃せないほどテンポよく展開。しかも、観る側の心拍数をコントロールするかのようにアントニオ・サンチェスの即興演奏のドラムソロが加わり、まるで心理戦を思わせる緊張感をさらに高めている。

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アントニオ・サンチェス、43歳。10代でプロとして活動を始め、グラミー賞を4度受賞。祖父は高名な俳優イグナシオ・ロペス・タルソ。


■ ドラムソロを映画のサウンドトラックに起用

ストーリーは、かつて"バードマン"というスーパーヒーローを演じて大人気となったリーガンが主人公。しかし今や彼は落ちぶれてしまい、再起をかけてレイモンド・カーヴァー作の『愛について語るときに我々の語ること』の脚色・演出・主演を担当し、ブロードウェイの舞台に立とうとするところから始まる。ハリウッド映画に伝統ある演劇文化を差し込むという発想が観ていて先ず面白いし、その主役を、実際に『バットマン』と『バットマンリターンズ』で世界的大スターになったマイケル・キートンが演じるというメタ構造になっているのも興味深い。何よりマイケル・キートン自身がこの設定にのめり込んだだろう。

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随所にバードマンが登場する、その意味は? ラテンアメリカ文学の流れを汲んだストーリーも魅惑的。

しかも、ストーリー自体もメキシコ人のイニャリトゥ監督が脚本を書いているとあって、中南米文学のマジックリアリズムを存分に発揮している。リーガンが現実と妄想、あるいは幻覚に囚われるだけでなく、観ている側もその世界へと誘引され(私はこういう作風は大好き)、さらにそれを混乱させるべく、映画のストーリーに追われている途中で劇伴のはずのドラムの演奏シーンが重要な場面に登場するなど、迷路に迷い込んだような快感さえ体感できるのだ。この音楽の使い方も実に素晴らしく、ドラム演奏がリーガンや映画が放つ感情を語っていて、こちらの音に集中してしまうシーンもあるほど。

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エドワード・ノートンの熱演ほか、ザック・ガリフィナーキスやナオミ・ワッツなど、豪華俳優陣の演技も見どころ。

■ ドラムソロと演技をシンクロさせていく作業

音楽を担当したアントニオ・サンチェスは今週来日していて、4月13日に行なわれた来日記者会見で次のように話していた。この映画のために、セッションを2回して音楽を制作したという。

「1回目は撮影中だったNYにあるスタジオで行なった。その時は撮影中とあって素材として何も観るものがなかったので、監督に自分のドラムキットの前に立ってもらって、ディテールを含めて1つ1つのシーンを口頭で説明してもらい、そこから想像しながら叩いていた。それで、例えばドアが開くとか角を曲がるといった動きがあった時には、監督に瞬間に手を挙げてくださいというふうにお願いして、すべてのシーンについて即興で50、60テイク録った。その後、監督がそのデモ音源を現場に持っていき、それを流しながら演技のリハーサルをして、実際の撮影もこのデモに合わせてタイミングを見るために撮るということをしたんだ」

その後はデモ音源を編集していろんなシーンに合わせて一度付けて、今度はサンチェスがLAへ行き、その映像と自分のスコアがついたものを見せてもらったという。

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記者会見では、実際の映像に合わせてアントニオ・サンチェスが演奏を披露。

「2回目のセッションでは完成に近い映像を観ながら、録り直すということをやった。その時にはセリフやちょっとした動きに注意を払う必要があり、たとえば"壁にものをぶつける3回目のシーンには一番大きい音にしてほしい"といった指示を受けながらレコーディングした。面白かったのは、監督に"1回目で録ったドラムの音は綺麗すぎたし、チューニングなど完璧すぎるから、2回目はもっと汚してほしい"と言われたこと。なのでくすんだ音にしたり、シンバルを何枚か重ねてちょっと壊れているのかなと思わせるような音質にしてみた。ドラムヘッドをずいぶん変えて試してみて、ファイバースキンを使った、ちょっと古い音が出る工夫もしたんだよね」

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映画と演劇の在り方も考えさせられるし、批評家に対する批評も興味深かった。

■ ストーリーと映像にリアクションしながら即興で作曲

先ほど劇中でドラムの演奏シーンが出てくると書いたが、ここに出演しているのはアントニオ・サンチェスではなく、彼の友人のネイト・スミス。撮影時にサンチェスがゲイリー・バートンとのツアー中だったため、スミスを推薦したという。とはいえ2回目のセッション時にはスミスが演奏している映像が入っていたので、その動きに合わせて演奏するのは難しかったそう。実際映画で使われているのも、ほとんどが2回目のセッションに録ったものという。

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幻想か妄想か、幻覚か。しかも、コメディとファンタジーのバランスも絶妙。

「自分にとっては即興=作曲で、その瞬間で作曲しているという考え方なので、すべての即興の瞬間はストーリーを綴っていると思っている。それにジャズ・ミュージシャンというのは、周囲にリアクションする職業だと考えている。たとえばパット・メセニーのバンドにいる時は、メセニーが演奏しているものに反応していくものだと思っている。今回の『バードマン』の場合は、自分が反応していたのはストーリーであり、そして映像だった。だから自分にとっては、この映画との作業は、普段演奏しているのと全く同じ感覚だった。その即興は考える間もなく本能で、そこにリアクションしていく作業で、まさに監督が求めたものもそういうことだった。最初にオファーされた時も、"きっちりオーガナイズされているものではなく、もっとジャジーなもの"と言われたので、"それなら大丈夫です"と返事をしたんだよね」

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娘サム役のエマ・ストーンも良かった。登場人物全ての描き方にも好感を覚えた。

実はアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督とアントニオ・サンチェスは、同じメキシコシティ出身。2人を取り持つ縁としてこんなエピソードも話していた。

「その昔、良く聴いていたラジオの番組のDJをしていたのが監督で、(その後、一緒に活動する)パット・メセニーを最初に聴いたのは彼の番組だった。そして、2005年にパット・メセニー・グループとしてLAでライヴをやった後に、ライヴ終わりの打ち上げで、ある男に話し掛けられたんだけど、話すうちに、それが監督だとわかったんだ。それから交流が始まったんだ」

■ アントニオ・サンチェスの来日公演で体感するサウンド捌き

さて、そのアントニオ・サンチェスだが、これまで15年ほど共演してきたパット・メセニーをはじめ、チック・コリア、ゲイリー・バートンなどと多数のトップ・ミュージシャンとコラボして来た彼にとって、初の自身のユニット、アントニオ・サンチェス&マイグレーションとして来日中。私は初日の14日@BLUE NOTE TOKYO公演の1stステージを観たが、とにかく音に対する徹底ぶりが驚くほどで、タムやシンバル、ハイハットなどから叩き出せる音の全てを熟知しているかのような演奏だった。

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シンバルのセッティングを見ただけで、こだわりが強く出ているのがわかる。

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さらに繊細なサウンドメイクにはブラシを使用。

手首や指先の些細な動きによる繊細な音使いから大胆かつエネルギッシュな連打までのダイナミクス感に目がずっと釘付けになってしまい、特に左手のスティックを頻繁に回して、その2タイプの先端を使って叩き出す音の違いや、小さめのシンバルを2枚組み合わせたり、シンバルのセッティングもユニークで、普段聴かれないような効果音的なサウンドも叩き出していた。『バードマン』では、監督に"ドラムで主人公の内面である、彼が抱える葛藤や苦悩、痛みを表現してほしい"と求められたそうだが、この夜の即興から生まれるサウンドも演奏力も表現力もアートと呼ぶにふさわしい素晴らしいパフォーマンスになっていた。

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Antonio Sanchez (ds), Ben Wendel (sax), John Escreet (p), Matt Brewer (b)の4人。

アントニオ・サンチェス名義では、このサウンドトラックとは別に、既に2枚のアルバムを発表しているが、6月にリリース予定の3枚目『THE MERIDIAN SUITE』は、『バードマン』に影響を受けた映像のような1時間ほどの楽曲になっていているとのこと。こちらも楽しみだ。

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『オリジナル・サウンドトラック バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』4月22日発売。 購入はこちら≫

最後に、映画の冒頭にタイトルが出ているシーンで声が聴こえるが、「これは僕がこのセッションの時に、スペイン語で"こんな感じでいいですか?"と調律をして、そこから始まっているところなんだ」とのこと。それだけでもイニャリトゥ監督が、彼のドラムを『バードマン』の心臓部分として重視していることがわかると思う。

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14日@BLUE NOTE TOKYOの1st STAGE終演後に筆者撮影。

本日17日までアントニオ・サンチェス&マイグレーションが公演中。
http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/antonio-sanchez/


映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』日本版予告編


『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
配給:20世紀フォックス映画
© 2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.
TOHOシネマズ シャンテほか 全国公開中
http://www.foxmovies-jp.com/birdman/

*Live Photo by Tsuneo Koga 4月14日@BLUE NOTE TOKYOの2st STAGE
*To Be Continued

音楽&映画ジャーナリスト/編集者
これまで『フィガロジャポン』やモード誌などで取材、対談、原稿執筆、書籍の編集を担当。CD解説原稿や、選曲・番組構成、イベントや音楽プロデュースなども。また、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビョーク、レディオヘッドはじめ、国内外のアーティストに多数取材。日本ポピュラー音楽学会会員。
ブログ:MUSIC DIARY 24/7
連載:Music Sketch
X:@natsumiitoh

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