弁護士だったナターシャ、祖母のぬいぐるみブランドを姉と復活。
パリジェンヌの転職と天職 2021.10.07
Natacha Benarous(ナターシャ・ベナルス)。自分が育った16区の実家内にオフィスを構え、セールスのためのショールームもここで開催している。photo:Mariko Omura
その昔、シャンゼリゼ大通りに面したアーケード街に「La Pelucherie(ラ・プリュシュリー)」という、1976年にリディ・カストリアーノが開いたぬいぐるみ専門店があった。マイケル・ジャクソンも来店!という話題もあり、当時、日本の女性誌もパリ特集で取り上げるほどの有名店だったのだが、創業者は1996年にブランド名も店も売って引退してしまった。
その創業者の孫のひとりが今年34歳になるナターシャ・ベナルスだ。人々にアドバイスをするのが好き、自分の知性を企業に役立たせたいという思いから、彼女は弁護士を職業にすることに決めたそうだ。そのために8年間法律を学び、資格を得た後、研修を経て2014年に弁護士事務所に就職した。
「私が学んだのは法廷で弁護する刑法ではなく、顧問弁護士のほうです。映画関係の仕事をしていた叔父がいて、オーディオビジュアルの権利というのが気になったことから、あまり一般的には知られていない知的財産権に興味を持つようになったのがきっかけです。他国と違ってフランスではこうした分野も弁護士の仕事となります。2年間でしたけど、勤務先ではクライアントと良い関係が築け、とても快適な毎日でした。でも、ここの仕事は企業の買収や融合といったことがメインで、私はもっと知的財産権に関わる仕事がしたいという気持ちが強くなっていき……それでオフィスを辞めようと思うようになっていたんです」
祖母がラ・プリュシュリーを手放したときは、まだ子どもだったナターシャ。いつの日かラ・プリュシュリーを再興できたらという思いが彼女の心の奥に芽生えていたものの、彼女はプレスティージュの高い弁護士という仕事に憧れがあり、法律の道へと進んだのである。それは、たとえブランドを再興してうまくいかなかった場合、弁護士の実務経験があれば、その職に戻れるという道を用意するためでもあったという。
「祖母の後にラ・プリュシュリーを継いだ人は2007年に店を畳みました。それで、私はブランド名がどうなるのかずっと行方を追っていました。その過去の所有者のブランドへの権利が消滅したことを知ったのは、4年前。私がほかの弁護士事務所を探すために、ちょうど勤めていたオフィスを辞職をしようといた時でした」
トラとパンサーが新たに加わった「Les Big Ones」のコレクション。なお、ラ・プリュシュリーではキリンのゾエ、ロバのガストンというように動物それぞれに名前がつけられている。photo:La Pelucherie
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転職、いまがその時!
彼女は30歳だった。ブランドを再興するなら、いまがその時!と彼女は夫に相談した。彼は彼女に賛同し、支援を約束してくれたそうだ。
「いましなければ、一生することはない。そう思ったのには理由があるんです。祖母が40年前に始めたラ・プリュシュリーについて覚えている世代が、そのうちいなくなってしまうからです。私と同じ年代の女性たちがちょうど若いママとなっているという、ちょうどいいタイミングだったのですね」
もともとひとりでこの大冒険に乗り出す気はなかったナターシャは、すぐに5歳上の姉アレクサンドラに声をかけた。高級車の会社で広報の仕事に携わる彼女は、ナターシャとは補足関係となりうるのだ。
「ラ・プリュシュリーについていちばん最初にしたことは、フランスにおける商標登録です。これには、すぐに私の過去の仕事が役立ちました。その後、ブランドの登録はアジアや英国でも……。国ごとに異なる子ども用おもちゃの基準などを調べることも、私の担当です。会社を作る際の書類作りなども私。弁護士事務所を辞めたことは、いまもって後悔していません。いまは日常の喜びとして、以前の仕事を活用しています。それに、こうしたことに人を雇う必要もないし……。祖母と10年間一緒に仕事をしていた叔母も加え、3人で会社を設立したのは2016年。その当時姉はまだ会社勤めを続けていたので、私たちが一緒に働くのは夜だけでした」
ぬいぐるみの製造については、最初に訪れたフランスの業者たちがナターシャに提案したのは既存の品にラ・プリュシュリーのタグを付けることだったけれど、彼女が望んでいるのはオリジナルのぬいぐるみである。幸い、祖母が一緒に仕事をしていたイタリアのアトリエの連絡先を入手することができ、早速ふたりはイタリアの北部へと出向いたのだった。
「このアトリエには昔からのデッサンも、抜き型も残っていて……。ラ・プリュシュリーのタグを付けた祖母の時代のぬいぐるみもあって、とっても感動しました。パンサーなど祖母の時代のぬいぐるみをすぐに作ってもらえたんです。祖母の時代と同様、すべて手作りです」
ストックルームにて姉アレクサンドラと。ふたりともぬいぐるみに囲まれて育った。子ども時代のナターシャのお気に入りはてんとう虫のリリー。姉はネズミのルーシーで、長い尻尾をベッドに結びつけていたそうだ。photo:Mariko Omura
ナターシャの話に繰り返し登場する創業者である祖母のリディ・カストリアーノ。彼女たちは小さな頃から“マミヌー”と呼んでいたそうだ。クマのぬいぐるみのお婆ちゃんを意味するマミー・ヌヌルスが縮まったものだとナターシャが理解したのは、かなり後になってからのこととか。そのマミヌーは、なぜぬいぐるみのブランドを始めたのだろうか。
「1970年代に、祖父は主に中国を相手に輸出入業を営んでいたんです。それで祖母はライターやゴム草履など、いろいろな品を扱うドラッグストアを開きました。その中で最もよく売れるのがクマのぬいぐるみ。それで、シャンゼリゼ大通りのギャラリー内にクマのぬいぐるみだけの店を祖母は持つことにしたんです。最初は輸入したぬいぐるみで。しばらくしてブランドを起こして、イタリアのアトリエで製造をするようになったわけです。当時から上質のぬいぐるみといったら、ラ・プリュシュリーという評判を得ていました。マイケル・ジャクソンの来店にはもちろん店は貸切状態にして……。最近、彼もサインしたゲストの記帳を入手しました。フランスはもちろん、世界のスターたちが訪れるブティックだったんですね。私は毎週水曜に学校が終わると、店に駆けつけてました。そして店員さんごっこをしたり、包装を手伝ったり……。だから祖母が店をやめて隠居すると知った時は悲しかったですね」
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ブランドの復活をコレットが後押し
姉妹が蘇らせたラ・プリュシュリー。その復活を大きくプッシュしたのは、コレットだった。マダム・コレットと偶然すれ違った際に、ラ・プリュシュリーの再興の話をしたところ、「あら、おばあさんのお店には私も娘(サラ)を連れて毎週日曜に通っていたのよ。一緒に何かしましょうね!」となって、2017年12月にコレットがクローズする直前に、そのウィンドウがラ・プリュシュリーのぬいぐるみでいっぱいに満たされ、再来を祝ったのだ。これが起爆剤となって、パリ市内の高級ホテルとのコラボレーションがスタートすることに。
「プラザ・アテネのためのエクスクルーシブは赤いクマのぬいぐるみ。ラ・プリュシュリーでは扱っていない色で、これは子ども連れのゲスト用に贈られるものです。ホテル・クリヨンのブティックのためにはブルーのパンサーを。これは24個だけの限定でナンバリング付きなんですよ。ホテルから依頼があれば、ポシェットに子どもの名前を刺繍で入れてパーソナライズすることもしています」
2017年12月、閉店直前のコレットのウィンドウを占拠した。ウィンドウには、「柔らかなクリスマスを迎えられるよう、ラ・プリュシュリーがお祈りします」とサラが書いたメッセージが。 Photo:La Pelucherie
左: ロゴをプリントした布製ポシェットに入れて、ぬいぐるみを販売。ポシェットの裏に子どもの名前を刺繍するパーソナライズのサービスも行っている。うさぎのレオンは日本での人気商品。右: ハスキー犬のレオナール。ブルーの瞳がまるで本物のよう! クリスマスツリーの下にこれを見つけたら、子どもはさぞ喜ぶことだろう。photos:Mariko Omura
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時代を超えてダイナミックに
小規模に始まったブランドだが、現在ぬいぐるみの種類は25ファミリー揃っている。ファミリーというのはサイズの大小があり、また同じサイズでポーズ違いがあることから、ナターシャたちはこう表現するのだ。この中には、かつてのベストセラーであるクマ、パンサー、そして犬のシャー・ペイが含まれている。最近、彼女たちは新たにコアラ、恐竜、狼など4種をプラス。これらはゼロからのデザインだ。
「ブランドを復活するにあたってアレクサンドラと話したのですけど、ぬいぐるみって世界中の子どもが持っていて時代を超えた存在なのに、SNSに限らず、あらゆる面において旧態依然の分野だって……。だから私たちはダイナミックな方法で再興しよう!って。もちろん祖母の時代のクオリティの良さは守り続けますよ。目もボディも本物に近い素材を選び、イタリアのサヴォワールフェールを活用して手作り。動物たちの表情を大切にしています。例えば犬のシャー・ペイなど、顔のシワはイタリアのアトリエのなせる技なんです。フランスには、これができるアトリエが存在しません。私たちの希望は、たとえばスニーカーなら誰もがすぐにナイキを思うように、ぬいぐるみといったらラ・プリュシュリーとなるようにしたい、ということ。強いブランドに育てよう、という意欲にふたりともあふれています」
そんなラ・プリュシュリーにモード界からも声がかかった。クチュール系ファッションブランドとクリスマスシーズン用のコラボレーションを進めているという。もっとも詳細はまだ公表できない、と残念そう。
左: シャー・ペイのエクトールは4サイズあり。 中: クマのジュール。色は2色、サイズは各4サイズ。 右: パンサーのゼリー。
ナターシャは4歳と1歳の子どものママ、アレクサンドラは9歳、7歳、4歳の子どものママである。自分たちのブランドの仕事なので、勤め人時代より仕事時間が自由になったのではないかと想像するが、それは逆。週末も夜もなく頭の中では常にぬいぐるみのことを考えているので、以前より自分の時間は少なくなっているそうだ。でも、仕事における喜びはとても大きい。
「新しい商品を想像するのって、とても楽しい。2Dのデザインが立体のぬいぐるみとなってアトリエに生まれる……これは恐竜で体験したことです。もうひとつの大きな喜びは、愛を人々に届けられることですね。思い出を喚起する品で、ぬいぐるみを通じで多くの感動があります。子ども時代から大事にしたぬいぐるみを自分の子どもへと。この継承は素晴らしいことです。クオリティがよいからこそ、可能なことですね。ラ・プリュシュリーのぬいぐるみは生涯保証なんです。だから、いつでも修理修繕に応じています。小さい時にこのブランドを知っていた人たちは、復活をとても喜んでいます。始めてみてわかったのですけど、ぬいぐるみって子どもに気に入られるだけではく、大人でも子ども時代のを大事にしている人がけっこういて……年齢に関係ないんですね。8月に名古屋でポップアップを開催したのですけど、子どもより大人に人気だったんですよ!」
左: パンダのサムのファミリー。 中: コアラのフェリシアン。 右: 犬のフェルナンド。自宅で動物を飼えない家庭で、犬や猫のぬいぐるみが愛されている。
editing: Mariko Omura