広報責任者からフェイシャルケアへ。キャロル、38歳の転機。

キャロル・マンガールは自宅の広いアパルトマン内の一室をフェイシャルケアとマッサージのプライベートサロンに。2021年1月に開業し、口コミとインスタグラムで知り合いから、そのまた知り合いへと彼女の名前は伝わっていった。ファッション業界からクリーンビューティのエステティシャンへの転身。他人とのコミュニケーションに長けているのは、過去の仕事が大きく貢献している。ここに至るまで職場、職種をいくどか変えた彼女。転機が訪れたのは、彼女が38歳の時だ。「後悔はまったくありません。いま、これが自分の天職だと間違いなく言えます」

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Carole Mangard(キャロル・マンガール)。地下鉄Pyrénées駅からすぐの自宅にサロンを開業した。インスタグラム:@carolemangard photo:Mariko Omura

 

ファッション界を目指し、モード学校へ

ブルターニュに生まれたキャロル。小さな時からモードに魅了されていて、デザイナーになりたいと思っていた。それもジャン=ポール・ゴルチエのもとで働きたい、というのが彼女の願望だった。父は建築家でクリエイティブな雰囲気が周囲にあったこともある。授業のない水曜には家に隣接する父のアトリエでクレープ紙をカットしてホッチキスでとめて、といった服作りを子ども時代に楽しんだ。

高校卒業後、デザイナーを目指してパリのモード学校LISAAで3年学び、その間にリュクスなモードへと彼女の関心は広がっていった。あいにくと彼女が卒業証書を手にした年はフランス国内が経済的に不調で仕事を見つけるのが難しく、興味があったけれどLISAAではカリキュラムになかったニット課程のあるAtelier Chardon Savardで学業を続けることに。そのおかげでバルバラ ビュイ、バレンシアガで研修ができた。ナタリー・ラムゼイの下で充実した数カ月を過ごすことができたのだが、その後、彼女はモデルエージェンシーに就職することになる。

「友人のカメラマン経由で、あるモデルエージェンシーがブッカーのアシスタントを探しているというので。これが私の初の正式な雇用でした。私が大好きなビジュアルの世界にどっぷり。時にはバウチャーにモデルのサインをもらうために行った会場でついでにショーを見ることもできたり、オーナーも愉快な人物で楽しい雰囲気。当時の仕事仲間とはいまもコンタクトがありますけど、相手にしていたのは16~17歳のモデルたちです。夜アパートに戻ってこないとか、仕事の前日に勝手にヘアカットをしたとか、遅刻だ、器物破損だ、など彼らの管理は大変。これは一生働き続ける世界ではないな、とファッションの仕事を探すことにしました」

高級ブランドはあいにくと研修しか提案がなく、2006年、彼女は「Sandro(サンドロ)」のデザインスタジオのアシスタントの職についた。この当時のサンドロは20名くらいの小規模なブランドで、社員全員が複数の役割を果たすという昔ながらのやり方。誰も何も教えてくれず、自分でなんとかしなさい!という世界だった、最初はびっくりしたものの、おかげで実に多くのことを学ぶことができたとキャロルは振り返る。創業者と一緒に仕事をし、布探し、生産のフォロー、PR、撮影のオーガナイズ、展示会準備……。2年くらいしたところで、フレデリック・ビウスが経営参加したことで社員も60名となって本格的な会社組織となり、ブティックは4店舗が1年間に60に増えてというブランドの大改革に彼女は立ち会ったのだ。

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天職を実践中のキャロル。photo:Marie Ouvrard

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デルフィーヌ・プリソンとの出会い

「フレデリックと仕事をするようになった時に、私の負っている役割が多すぎるので選ぶようにと言われました。デザインスタジオに残るか、あるいは広報か。服作りの工程に関わるより、ビジュアルの仕事に関わる後者を選びました。こちらのほうが興味深いと思ったので。サンドロには2012年まで、広報の責任者として働きました。この間、会社はどんどん成長し、アメリカ、韓国にも進出。サンドロに加え、同じグループのブランドとなったクローディ ピエルロの広報も担当することに。その部門のディレクターはメゾン・プリソンをその後設立する、デルフィーヌ・プリソンでした。1年半くらい一緒に仕事をしましたが、彼女からは“ためらうな、突進せよ”ということの大切さを教わりました。慎重派の私はこのようにプッシュされることが必要で、これはその後の私にとても役立つことになったんです」

サンドロで6年を経過したところで、自分にこれ以上何ができるのだろうかという気持ちが彼女の中で頭をもたげた。真の目標が欠けていると感じ、退社した。しばらくフリーランスとして、モデルのキャスティングや撮影のオーガナイズなどに携わった後、中国人夫妻によるブランドで2年間を過ごす。数字的にはうまくいってるものの、ビジュアル面に改善が必要ということでキャロルの過去のさまざまな経験を役立たせることができる点では最高の場だった。

「もともとオーガナイズすることが好きな私は、サンドロで目にした合理化をこの会社で試みました。別個に行われていたカタログ、キャンペーン、オンラインショップ用のモデル撮影を予算をひとつにまとめて行い、時間と予算のロスを防ぎ、かつネット上で服を探す人も欲しい服が見つけやすくなるというように。でも半分が中国人、半分がフランス人という会社で、労働時間も長く、また言語の壁がスタッフの間にあるゆえ、オーナーは叫ぶように毎日指示を出していて……。興味深い仕事とはいえ、ストレスが常にあり、精神的に疲れてしまいました。それで、ニースに本社がある『Chacok(シャコック)』へ移りました。フランスの会社で、生産はフランスとイタリアで。ファストファッションではなく真のサヴォワールフェールがあるブランドです。そのイメージを新しく入ったアートディレクターの下でモダナイズするのが私の仕事でした。小規模な会社であることも気に入りました」

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施術の際はカーテンを閉めて。音楽はエステティックサロンにありがちな環境音楽ではなく、彼女自身の好みに合わせてソフトなソウルを流す。photo:Mariko Omura

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異なる分野への転職を考え始める

2018年12月、2年経過したところでパリ・オフィスがクローズされることに。入社時に会社は規模を縮小中で、あまり順調ではないと感じた彼女は解雇される前にほかの仕事を探し始めていたそうだ。リクルート専門のオフィスからアプローチがあり、大手のプレタポルテ・ブランドの面接を受けた。それが2カ月近くも続いた結果、最後に残った2名のひとりに。

「最終的に私ではないほうの候補者が選ばれたのです。撮影をオーガナイズしたこともなく、アートディレクション経験もなく、彼女は求められているプロフィールにフィットしないのに……。選択の理由を確認したところ、雇用者にとって安心できる要素が彼女にはあったのですね。フランスでは商業専門学校を出ていたり、広報を大学で専攻した人を当てにする傾向があります。失望しました」

仕事先を探し、プレタポルテのブランドでの面接を続けた彼女。2時間半をかけ良い感触が得られた面談から帰宅したある日、当時のパートナーに「これには採用されないほうがいい」と言ったそうだ。それに対して彼は、「それは、そのブランドが気に入らない、その手の仕事はもうしたくない、ということでは? 仕事を変えるほうがいいんじゃないかな?」と。これをきっかけに、彼女は友達といろいろと話をするのだが、その中に180度急転換の転職をした人々の例を取り上げる転職をテーマにした雑誌を創刊した女性がいた。

「この雑誌を見ていて、私も別のことをするべきだわ!と。いちばん難しいのは、興味あることを見つけることですね。もともと趣味でやっていたことを仕事に変える女性も少なくないけれど、私にはそうしたことがなくって……。探しました。フリーランスのコンサルタントということも考えたけれど、これには勇気が出ない。化粧品に興味があったので、薬局ブランドも含めウェルビーイングのプロダクトを集めたオンラインショップも考えてみました。自分に何ができるのか、何をしたいのか、というためらいの時期ですね」

シャコックでは経済的理由による解雇だったので、1年間は仕事をしなくてもそれまでと同じ給与が保証されている。2019年1月末、就職活動のために履歴書を送ることをやめ、女友だち3人と旅へ。行き先はモロッコだ。初めて訪れたこの国で良いエネルギーを感じたキャロル。マラケシュに引っ越し、ジュエリーを作っているパリ時代の友人と再会したところ、

「この街のエネルギー、磁力はとても強いから、良い決心ができるはずよ。テラスでワインを飲んでいる時にこう彼女が言いました。エネルギーはさておき、良い決心?? 私は、ああそうって感じに聞き流して……。2日後パリから合流した友達の中に妊婦がいたので、暑い中を歩いた後みんなでハマムに行くことになりました。ゴマージュとマッサージ!」

キャロルはパリで多くのエステティックサロンを体験している。というのも、サンドロ時代、雑誌など広告のクライアントへのサービスとしてマッサージやスパなどへ招待をするため、いろいろな場所のテストをする必要があったからだ。2~3年間のこの経験のおかげで、こうした場所に対する見方を彼女は養うことができた。実生活から切り離されて、最高のくつろぎの時間であることは確か。しかし、なぜこうもシックな場所ばかりなのだろうか。金額的には少し貯金をすれば誰でも行けるけれど、どこもリラックスできず気圧されるような雰囲気の場所ばかりだ、と。

「ハマムにいったその晩、レストランで食事をした時に友だちに告げました。私、自分がしたいことを見つけたわ!と。私の顔を凝視する彼女たちに“フェイシャルケアよ”と言うと、みんな揃って“最高のチョイス、キャロルにぴったりの仕事よ”と。誰も私の決断に反対しない。これには興奮しましたね。マラケシュのハマムでは、とても良い時間が過ごせ、担当者に感謝の気持ちがありました。これまで私は長いこと仕事をしてきたけれど、感謝されたことがありません。ブランドがうまくゆくのは商品のおかげで、うまくいかないのは広報がちゃんと仕事をしてないから、というのが常だったので……。多くのサロンを経験し、商品にも詳しく友達にアドバイスをしている私に、このハマムでの経験がきっかけとなり、この道を進もうという気がわいたのです」

彼女がポジティブなエネルギーを感じ、友人が「良い決心ができる街」と言ったモロッコで転職を決めたことに、後でちょっと笑ってしまったというが、彼女が人生で何かを決断するのは、なぜか決まって旅先なのだそうだ。それは後に一歩下がって物事を見ることができる方法だからだろうと彼女は語る。パリでビューティサロンを開くにはCAP(職業適性証)が必要なので、パリに戻ってすぐに国家認定の学校探しに取りかかった。学校の新学期は9月。国から財政援助を得るべく職業調査レポートを制作し、9月を待ちながらブルターニュの4ツ星ホテルのスパに始まり、いくつかのサロンで実地研修を受けた。

「とてもシリアスな学校として定評あるカトリーヌ・セルナン学校に決めました。レベルが高く、厳しい教師ばかり。私はマッサージに向いているのかもしれないにしても、テクニックを知り、顔の筋肉についてもしっかりと学ぶ必要がありました。学ぶほど快適で、より楽しく感じられて……フェイシャルマッサージをすることに喜びが得られました。CAPを得るためには、研修をする必要があり、私はクリーンコスメティックのコースを選んで成分やフォーミュラなどについて知識を深めました。私は広報経験があり、他者とのコンタクトは簡単にできます。学生時代は売り子も経験しているし、相手をリラックスさせることは楽にできます」

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左:施術中のキャロル。 右:自然派プロダクトのみを使用。photos:(左)Marie Ouvrard(右)Mariko Omura

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2021年1月、自宅で開業

学校に通いだしてから新型コロナの影響で授業が中断。独立できるほど技術を習得できていないと感じた彼女はFACEKULTで研修をすることにした。椅子に座った状態でのフェイシャルマッサージが特徴のサロンで2カ月。その後、KOBIDO(古美道)、リンパドレナージュなどさまざまなテクニックを学び、2021年1月、自宅で開業した。両親と一緒に購入した広いアパルトマン内、学校時代からマッサージベッドを置いてレッスンに使っていた部屋を、ブロカントで見つけた家具などを置いてサロン向きの内装に変えて。友だちの家に来た、というイメージだ。開業については、自分のインスタグラムを活用した。ファッション関係の友だちが多く、そこから口コミで……。

「フェイスケアを手頃な価格で、リラックス感のある場所で提案したいというのが私の考え。リュックスなイメージをダウンし、感じがよく寛ぎが感じられる空間を作りました。儀式的にならないように、白い上衣ではなくTシャツで施術……筋肉に働きかけて、リンパ液の流れを活性化し、肌に輝きを与えることを約束します。1時間、自分のためだけの純粋な喜びと効果を女性たちに、というのが私の喜びなんです。ある種のテクニックでは私の手の動きはものすごく速いので、寝ている人は私が何をしているかがわからないくらい。スピーディでダイナミックな技。でも、みなリラックスして眠りについています」

夜や土曜に客を迎えることはあるけれど、自分で自分の予定を管理できる。自分のために半日、あるいは1日を空けておくこともできる。自宅なのでアポとアポの間の時間の使い方も困らない。1年たったところで、なんとなく働き方のリズムがわかってきた。去年の夏、イビザのホテルで働いたように、子どももいない自由な身であるゆえに自宅をベースにさまざまな土地で施術することも可能だ。新しく学んだテクニックをプログラムに加えてゆきたいし……と積極的に考えている。

現在彼女が提案するコースは2つ。フェイシャルケア&マッサージ(1時間/80ユーロ)と、ボディリンパドレナージュ(1時間15分/135ユーロ)。後者はブラジルで生まれたレナタ・フランカ式で、全身のリンパ組織に働きかけるので施術後身体が軽く感じられ、またお腹の膨らみは軽減される。使用するのは自然派プロダクトのみ。たとえばHuilette。これは彼女がビオの成分やフォーミュラについて学んだブランドで、信頼を置いている。

「2018年にシャコックを退社した時、38歳でした。この年齢はとりわけ女性にとってですけど、人生の一種の分岐点といった感じがありますね。私の周囲にも、職業について、また愛情面についてこの年代の時期に人生の変化を求めた女性が少なくありません」

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衣類や荷物の置き場として、子ども時代に使っていた籐のベッドを配した。キャビン内、花やグリーンを飾って優しい雰囲気を演出。photos:Mariko Omura

editing: Mariko Omura

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