エルメスを去り、メキシコの職人仕事を販売するシャルロット。

メキシコのサヴォワール・フェールを生かしたアール・ドゥ・ヴィーヴルの品々をe-shopで販売するブランドLEGADO(レガド)を2020年に創立したシャルロット・デュトワ。小さな頃から手仕事に興味を惹かれていた彼女だが、起業に至るまでの道のりはストレートではない。5年通った商業学校を卒業後、マーケティング、バイヤーと仕事を変え、自分が本当にしたいことを1つ1つ確認しながらシャルロットは前進していったのだ。

パリでは9月15日からガリエラ美術館で『フリーダ・カーロ』展(9月15日〜2023年3月5日)が始まる。美術館のブティックで、レガドのクッションOTOMIが10月15日から販売されることが決まったそうだ。フリーダ・カーロの絵画の中にもメキシコの職人仕事によるオブジェが描かれていて、その中の1つ、くり抜いて乾かしたカボチャの皮にペイントを施した器はレガドのe-shopでも販売している。スペイン、モロッコ、ポルトガルといった近隣国の職人たちと仕事をするフランス女性は多いけれど、シャルロットが選んだのはメキシコの職人たちだった。それには訳がある。

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Charlotte Duthoit(シャルロット・デュトワ)。メキシコのサヴォワール・フェールが生かされたアール・ドゥ・ヴィーヴルの品々を販売するブランドLEGADO(レガド)を2020年に創立した。www.legado-shop.com instagram:@legado.shop

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メキシコの日常と伝統のストーリーを刺繍したクッション。この刺繍は額に入れて出産祝いとしても好評だ。

「高校時代、興味のあることはたくさんあって、でも具体的に社会に出てからどんな仕事がしたいのかがわかっていませんでした。17歳で自分が将来何をしたいかを宣言するなんて、難しいですよね。多くのことに興味があったので、商業専門の高等大学に進むことにしました。というのも最初は複数の学科を学べるからです。最後の2年は1つの分野に特化する必要があり、私はマーケティングを専攻しました」

フランス北部リールに生まれた彼女は、大学も実家から通学していた。学校の仲間には一人暮らしをしている人も少なくない。それで19歳のときに、交換留学生として彼女は海外にゆくことを決心した。

「複数の可能性がある中で私はメキシコを選びました。スペイン語を体得する機会になるし、文化的にもフランスと大きく異なる国なので。両親にはなぜスペインじゃだめなの? といわれましたけど、独り立ちの機会としてできるだけ遠くに行きたかったんですね」

メキシコシティの大学に通い、スペイン語もマスターした。1年間の冒険後、フランスに戻ってリールの学校で残りの2年を学び、そして卒業証書を手にするや彼女はメキシコに戻ったのだ。というのも、現地で知り合い、後に結婚する男性が待っていたから。

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初就職はメキシコで

「メキシコでの最初の就職はパリに本社がある広告代理店でした。マーケティングに触れることができたので、とても良い経験だったといえます。1年だけと長居しなかったのは、クライアントと広告キャンペーンのスタッフの仲介的な仕事でしたけど、広告の宣伝効果があったのかなかったのかクライアントからの反応がなくフラストレーションがあったから。この広告代理店には他にも大手クライアントがいたけれど、担当するクライアントが変わっても、他の代理店に行っても結果は同じだろう……と」

それで、彼女はクライアントの側にまわることにした。ソニーの小売業に関わっていた夫の話から、現場の声がすぐに帰ってくるリテールの仕事は悪くないと判断したからだ。

「海外のフランス人として、フランスの企業を選ぶのがいいだろうと思って、メキシコシティのフランス企業を1つ1つ当たっていって……ロクシタンがちょうどマーケティング担当者を探しているという最高のタイミングで、私は採用されました。すごいチャンスでしたね。アメリカのブランドが山のように入ってくる中で、南仏のロクシタンというのはナチュラルな面もありメキシコの人々に人気があります」

ロクシタンがメキシコに入って5年目ぐらい、会社の株主クラランスのオフィスから独立するという時期だった。メキシコにおけるキャンペーンを打ち立てることから、ヴィジュアルマーチャンダイジング、プロモーション、そのストラテジー、PR、マスコミや顧客対象のイベント……ここでの仕事はとても気に入った。オペラショネル・マーケティング・マネージャーというのが彼女の肩書きで、入社当時は一人。3年目に彼女が辞めたときは4人のチームに成長していたそうだ。

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左:メキシコのテキスタイルで仕立てたワンピースを着たシャルロット。オアハカにて。右 :LEGADOではハンドメイドのビーズのジュエリーも扱っている。

「これ、素晴らしいですね。チームの中にはメキシコ人が3名で、最初は簡単にことが運びませんでした。フランス人とすごく違いますから。例えば時間の観念にしても、“すぐに” “後で” “明日に”を意味する1つの言葉があって、質問してその言葉を返されると、「いったいいつのことなの???」と最初は気が狂いそうになりました。でも、何も不可能なことはなく、期限ぎりぎりにはちゃんと仕事がなされるのです。成り行きに任せる。これを学びました。私が自分でするのとは同じではないけれど、メキシコ市場向けのことは、彼らを信頼して任せればいいのだ、と。こうしてうまく事を運べるようになりました。自分のコンフォートゾーンを超える必要があるんですね」

3年でロクシタンを辞めたのは、アメリカ市場からやってきたフランス人ディレクターのやり方に賛同できなかったからだという。ブランドとして市場で位置を固めるには長期のビジョンが必要だと考える彼女に対し、数字を求める彼はすぐに効果が感じられるプロモーションを次々と展開したがる。3~4週間ごとに新しいことを行うリズムを追いかけるうち、商品について詳しく知ることができないまま時間が過ぎてゆくことに彼女はフラストレーションを覚え始めたのだ。

「それで考え直しました。高級ブランドでの仕事のほうが自分に合うのではないだろうか、と。リズムは緩やかで、商品について知ることができるだろうと思って、メキシコのエルメスにコンタクトしたんです」

ロキシタンでも一部バイイングを担当していた彼女。エルメスではバイヤーとして働くことになった。ロクシタンでは時間が取れなかったが、メキシコに5店舗を持つエルメスではじっくりと数字の分析をする時間も取れた。また、ブティックとも直接コンタクトがあり、販売員たちと直接話す機会もあって、とエルメスでの仕事がとても気に入った。

「夫と結婚したのは学業を終えてすぐで、21歳の時でした。メキシコ人のメンタリティを理解するのを夫が助けてくれて、これこれこういうことがあったと彼に話すと、メキシコの文化も踏まえて、背景から状況をわかりやすく説明してくれるんです。たとえば、コンピューターのトラブルがあった時の彼のアドバイスは、直してもらいたければ担当者とランチをとりなさい、でした。私は早く直して欲しいだけなのだけど、つまり人間関係を作ることがメキシコでは大切なんですね。これは仕事の同僚からも学びました。販売員と仕事外での時間を持ち、また朝食を持って行ったり……と。こうしてエルメスでの仕事は順調に進んでましたけど、メキシコに10年暮らすうち、フランスの家族や友達の近くにいたいという気持ちが生まれました」

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フランスで起業する

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LEGADOのヒット商品は、ハンド・エンブロイダリーのクッションOTOMI(130ユーロ)。複数色あり、また裏がストライプ地の限定版もある。

夫と相談。どちらかがフランスに仕事を見つけたら、フランスで暮らそうと決めたところ、夫の就職先が先に決まった。彼女はフランスに戻ってから数カ月後に、エルメスのマーケティング部門で働けることになった。もっともこれは出産休暇中の社員の代理だったので、1年間という限定つきだった。次の仕事先を求め面接を受けるうちに、「エルメス以上に美しいメゾンはない、素晴らしい品を創るメゾンはない、と気づきました。またエルメスの本社にいる間、メキシコ時代より扱う予算がはるかに大きいことからオフィスにいる時間が長く、現場とのコンタクトはありませんでした。私が好きなのはヒューマンコンタクトなのに、本社で仕事をしている間これから遠ざかっていていました。たとえ他のメゾンで働くことになっても、きっと同じことになるだろうと……。頭の片隅にあったメキシコの職人仕事について、いよいよ始動の時が来た、と思ったんです」

その素晴らしさについては、暮らしている間あちこち旅をして再確認していた。クオリティはさほど高くなく、作り出す品はフォークロアすぎて真のサヴォワールフェールがしっかりと生かされていないから、ここにするべきことがある、とは思っていたものの、フランスに戻った時に起業ということはまったく頭になかった。2020年に、スペイン語で遺産を意味する言葉LEGADO(レガド)というブランド名で彼女は起業したのだ。

「メキシコ内の各地の職人たちを知っているといっても、メールでコンタクトできる企業とは違います。注文するためには現地に出向いて行って、プロトタイプの製作や生産時間の確認など彼らと時間を過ごす必要があります。それで最初、2カ月間をメキシコで過ごしました。彼らとの仕事は、あれこれ手を広げずに、まずは1職人について1アイテムで始めるのがいいだろうと……」

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左: 鳩のキャンドルスタンド。5本のスタンドのうち4本は左右に動かすことができる。ヴェラクルーズ地方の木を使ったハンドメイドだ。140ユーロ。右: 手染めのスカラップフレームが囲む、 ヤシの葉を編んだプレース・マット。

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左: ハリスコ地方の吹きガラス。白い陶器などで洗練されたパリの食卓にもよく似合う。右: モチーフが魅力のメキシコのテキスタイルをエスパドリーユに。120ユーロ。

いま仕事をオーダーしているのは約60名の職人たち。レガド・パリとして彼女が最初に注文したのは刺繍職人だった。現在、人気ナンバーの品は刺繍のクッション。それを1つ置くだけで、ニュートラルなパリのインテリアに個性と色がもたらされる。刺繍の素晴らしいサヴォワールフェールを生かし、縫製はフランスで行なっているそうだ。

「彼らは刺繍職人であり、縫製は得意ではありません。でも、仕上がりの美しさは大切ですから。またパリのインテリアに向くように、色やフォルムについて私から変更を依頼している品もあります。たとえば吹きグラス。彼らにはサヴォワールフェールがあっても、都会の暮らしに合うものかというと……色のコンビネーションにヨーロッパのセンスが必要なんですね」

現地で作られるままを販売するのは、アルチザンのクリエーションがユニークな場合だ。鳩のフォルムのキャンドルスタンドがその例。小さな村で彼女が発見したものだという。地方ごとに固有のサヴォワールフェールがあることから、オアハカ、イダルゴ、ベラクルーズといったメキシコの複数の土地を彼女は巡ることになる。年に少なくとも2回行く必要があるものの、新型コロナ感染症ゆえに1年間ブランクがあったそうだ。

「メキシコでも感染が広まっていて、コミュニティーがクローズされてしまって。外部からの人が入らないように小さな道を封鎖して……だから刺繍糸のストックが底をついてしまって、仕事をしたくてもできないということになってしまいました」

吹きガラス以外、彼女が仕事をする職人は女性たちだ。男性の多くがアメリカに職を求めていて不在なので、村のほとんどが片親家庭。子どもと暮らす女性たちは、自宅でサヴォワールフェールを生かした刺繍や織物をするが、目の疲労もありそれは1日3~4時間程度。後は畑仕事をしなければならず、子どもの面倒も見るし……。レガド・パリによってメキシコの女性たちを援助したい、という気持ちもシャルロットにあったのだろうか?

「確かに援助していることにはなるけれど、フランス女性としてメキシコの女性たちを助けましょう! というビジョンはあまり好きではありません。時に外国人は援助という善意からといって、大生産をさせて地元の習慣を乱すようなことがあります。アメリカの企業はアトリエを設けるから、そこで9時~17時で働いて、というように提案をするけれど、メキシコの女性たちはそれには興味がないんです。家族との時間を持ち、子どもの教育や畑仕事を続けていたいからです。傍目には貧しく見えても、彼女たちは多くを必要としていません。私がもたらすのは一定量の仕事です。それによって彼女たちは医療費や教育費をまかなえるのです。村の共同体での暮らしに満足していて、高級車が欲しいとか、私たちと同じ野望は抱いていません。私もアトリエがあったほうがいいだろうと思ったけれど……最初は理解するのが難しかった。進歩したければ、より多く仕事をしたほうがいいだろうと私たちは思うけれど、彼女たちには家族、村の共同体が第一で仕事はその次。これが彼女たちの人生哲学なんです」

こうしたメキシコ女性たちの働き方はシャルロットにとっては不都合な面もある。村で誰かが亡くなれば葬式のセレモニーが1週間続き、その間は仕事がストップしてしまう。しかしシャルロットは、それゆえに興味があると語る。彼らの文化を理解し、受け入れ、物事を別の視線で見ることを学べるからだ。

「19歳でメキシコに行ったとき、カルチャーショックがありました。ショックといってもポジティブです。メキシコには綺麗な場所があるといってもそれはわずか。でも、人々は思いやりがあって温かく、良い思い出を得られました。あまり生活に余裕がない人たちも生きる喜びにあふれています。ロクシタン時代、店の販売員が通勤に毎日往復3時間かけていて子どもとの時間がほとんどない暮らしだというのに、不平も言わず、いつもニコニコしていました。こうした人々との暮らしは快適でした。それに比べてメキシコからフランスに来た夫は、逆のケースなので大変です。フランスの地下鉄や従業員の態度とか……」

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左:7月、マレ地区のスペースでプレタポルテ、陶器、オリーヴオイル作りの女性たちと一緒にポップアップを開催した。右: カボチャにペイントした容器はフリーダ・カーロの絵画の中にも登場する。

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左:  葦を編んだパニエは鳥、魚のフォルムがある。右:買い物や海岸へ。カラフルなバッグ、14ユーロ。

レガド・パリはe-shopである。スタート時インスタグラムを活用した彼女は、予算なしにデビューする企業には大勢に存在を知らしめるための素晴らしいとツールだとインスタグラムについて語っている。いくらブランドのサイトに力を入れても、そこに人々を向かわせる方法がなければ存在しないに等しいのだから。

ブランドを設立して2年がたち、メキシコの職人仕事に対する人々の関心を感じることができているものの、まだするべきことは多い。オアハカ地方の織物を取り入れ、スペインのアルチザンがエスパドリーユ仕立てしたサンダルを作ったのだが、試着のできないe-shopゆえにサイズのある品は返品が生じることわかった。メキシコには魅力的なテキスタイルが多くあっても、そんなわけでプレタポルテは難しい。アール・ドゥ・ヴィーヴルを充実させてゆくのがいいだろう、と思う一方で、陶器は輸送のときの破損も不安であり、また重いので送料もかかる……などなど、解決すべきことがいろいろとあるのだ。それに、

「オンラインでの販売には限界がありますね。商品について語ることができないので、なるべくポップアップを多く開催し、人々と出会ってゆければと考えています。7月初旬、同じ価値観で物作りをする4ブランドによるポップアップをパリで開催し、手応えがありました。セレクトショップなどフィジカルな販売ポイントを持つことも大事ですね。これもインスタグラム経由でコンタクトがあって、スイスやポルトガルにレガドの品を扱う店があるんですよ。こうしてブランドの名前を広めることによって、 e-shopに役立たせることができるだろうと思います」

起業を考えた時、両親は彼女を励まし、援助してくれた。彼女が小さい時から自分の手を使うことが好きなだけでなく、機会があれば職人仕事を見に行っていたことを両親は知っている。それに両親がメキシコに訪ねてくるたびに職人たちの仕事を紹介する彼女だったので、心配はするものの彼女がしたいことを理解できたからだ。ロクシタン、エルメスでの経験も大いにいまの仕事に役立っているという。では彼女のどんな性格が起業者としての強みなのだろうか?

「決意の固いところ。いいかえれば、頑固(笑)。アップダウンがあって、決して道は平坦じゃありません。でも、自分に言い聞かせるのです。私が始めたことなのだから、行けるところまで進んでみよう、って」

text : Mariko Omura

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