アールデコの香り漂うビューティブランドを蘇らせたセシリア。

2021年11月、1935年創業の高級ビューティ・ブランドBienaimé(ビアンネメ)がセシリア・メルギによってパリによみがえった。創業者ロベール・ビアンネメが1960年に亡くなった後、後継者がいなかった彼のブランドは複数のパフューマーの手に渡り……それを彼女が2019年に買い取ったのである。

大学に入る前から、いつか自分は起業するという考えが頭の中にあったという。卒業後の履歴によると、その実現にいたるまでさまざまな職種を経験している。どうやらそれは、いまの職業へと彼女を導くカーブの多い一本道だったようだ。

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左:Bienaimé(ビアンネメ)を2019年に蘇らせたCécilia Mergui(セシリア・メルギ)。クリーンなフォーミュラの品でかつ詰め替え可能という環境配慮がある商品をクリエイトし、また生活が不安定な女性たちを援助する団体への商品寄付も行なっている。右:1935年から1960年まで続いたロベール・ビアンネメの時代のアーカイブより、1948年の広告。 photography: (右)Archives Maison Bienaimé

2000年、高等ビジネス・スクールの入学時へと時をさかのぼってみよう。「医学かビジネス・スクールか、どちらかで迷いました。前者で気に入っていたのは、人々を助ける、治療を施すことができること。対人間のヒューマンな関係です。ではなぜ後者を選んだのかというと、商業分野の仕事をしたかったし、いつか自分の会社を立ち上げるという確信があったから。でも、それ以上に旅をして世界を見て、ほかの文化に触れる機会を得たかったからなんです。医者になったら、ずっとフランスで暮らすことになってしまうでしょ」

名門リセを卒業した後、2年の準備校を経て、優秀な生徒を輩出していることで名高い高等専門学校ESSEC校に彼女は進んだ。

「準備校での2年間は外出もせず勉強づくめ。ほかの世界を見てみたいという気持ちが膨らみ、ビジネス・スクールで1年学んだ後、上海に旅立ちました。中国は遠方の国で、文化がフランスとは大きく異なる国だと思ったからです。中国に行く人があまりいない時代のことで、かなりな冒険でしたね。英語とフランス語を教えて収入を得て、私は中国語を学び……1年暮らしました」

上海からフランスに戻って学業を続け、研修でロンドンへと。その後交換留学生としてシカゴで学んだ後に就職した。フランスでの最初の就職先は、企業のコンサルティング会社だった。そこで彼女は小売業が面白そうだと発見し、そちらに特化してゆくことに。

「良い小売業者は、どのように人々が頭の中で熟考するのかがわからなければなりません。なぜ人々は買うのか、何が店まで足を運ばせるのか。このように社会学と心理学を理解する必要があって、そこにはヒューマンな面もあります。小売業に興味を持ったのは、私が医学で求めていたことがそこに見いだせたから、といえると思います」

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2021年11月16日に販売をスタートし、2022年11月16日にブティックをオープンした。インテリアはもちろんアール・デコ・スタイルだ。

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2~3年ごとに職を変えて世界を広げる。

起業する前に、多くのことを知りたいと彼女は最初の勤務先を辞めた後2~3年ごとに会社を変えて異なる仕事を経験している。スーパーマーケットのE. Leclercではストラテジー・ディレクターとして、初めてファッションに関わる仕事に携わった。

「ここでの使命のひとつが、スーパーが販売するテキスタイル関連品すべての活動についてでした。クリエイティブな面から、社会学的な面、技術的な面などが関わるおもしろさを発見したことから、モードの仕事をしたい!と思ったんです。そんな時、Comptoir des Cotonniers(コントワー・デ・コトニエ)から声が掛かって……」

出産休暇をとった人の代わりに、バイイングと各店舗への商品の割り当てについてのディレクションを担当した。こうした新しい仕事が気に入るか気に入らないか、一種のテストのようなつもりで始めたところ、とてもうまくいった。

「休暇をとっていた人はそのまま他社に就職したので、私が彼女の後を引き継ぐことになりました。効率化を図る仕事も任され、これは私の過去の経験が役立ってうまくゆき、日本の本社(注:ファースト・リテイリング)からも私の仕事は評価されて……。世界各地で選ばれるヤングリーダーのひとりとして日本にゆき、他国で異なるブランドで働くヤングリーダーたちと一緒に仕事をするなど、興味深い体験ができました」

バイイングと割振りの責任者という肩書きから部長へと昇格。さらにフランスのファースト・リテイリング社の幹部委員となっていたが、ブランドの新しいストラテジーと相容れず彼女は退社を決め、ブティックのMerci(メルシー)でCEOのアドバイザーとして働き始めた。ここで彼女に与えられた使命は採算性だった。ひとつのブティックながらモード、生活雑貨、レストランなど活動が多岐に渡るため、それらを見直し、整備し……8~9カ月したところで使命を果たした彼女はSezane(セザンヌ)へと。短期間で職場を変えてゆくことに恐れはないのだろうか。

「こうして転職をくりかえすことは、私にとって新しいチャレンジとなり、エキサイティングなことでした。変化が好きなんです。コンサルティング魂があるので、問題に解決策を出すという人の助けになることをするのが好きなんですね。いまは私自身が経営者なので、自分で解決策をみつけてますけど(笑)」

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アール・デコのオブジェを競売で購入。運命の出会い……。

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3種のオードパルファムVermeil, La vie en fleurs, Jours heureux。ロベール・ビアンネメ時代の香りを現代のフォーミュラで。各145ユーロ。

2013年にオンライン・ブランドとして生まれたセザンヌは急成長の後、2017年に社内が組織化され、バイイング・オフィスが設けられることになった。セシリアはそこでヘッド・バイヤーとしてチームを率いたのだが、ブランドが飛躍を遂げるときだったので、とても刺激的な体験ができたと振り返る。

ビアンネメを再興しようというアイデアが芽生えるのは、セザンヌで仕事をしている間のことだった。アール・デコの時代、20~30年代の大ファンだというセシリア。オブジェ、モード、建築物などそのスタイルに魅了されていて、お財布が許すようになった25歳ごろから競売やブロカントで家具や装飾品など当時の品を購入し始めていた。

「セザンヌ時代のある晩、オンライン・オークションでアール・デコの小さな陶器のボウルを購入したところ、その売り手が持つ他の品々を提案されました。そこにビアンネメのコンパクトがあったのです。まずその名前が素晴らしい!って思いました。ブロカントを巡っていて気付いたのは30年代ってビューティーのプロダクトが多く、使い捨てではなく、どれも美しい容器。当時の人は装飾品として化粧台やバスルームにそれらを置いていたんですね。いまや失われた様式ですが、エコロジカルでもあるし、一消費者として私もこのようにビューティプロダクトを買えたなら、って思ったのです。チューブばかりではなく、美しいオブジェのような化粧品をバスルームに欲しいと思うのは私だけではないはずだわ、と。ビアンネメ(注:ブランド名は創業者の苗字Bienaiméに由来するが、bien-aimeと書くと“最愛の人”の意になる)という美しい名前を見ながら、新しいブランドを興すのではなく、このブランドを再興するのはどうかしら、というアイデアが浮かんだんです」

セシリアにはいつか企業家となるアイデアがあり、起業した人々による多くの書物を読み、会社を興すことはクリエイティビティ、勇気、ビジョンが求められることであると学んだ。それゆえ経験を重ねることで市場についてのビジョンや理解を磨いていったそうだ。

ビアンネメについて彼女はリサーチを開始した。創業者Robert Bienaimé(ロベール・ビアンネメ)は1960年に亡くなり、後継者がいなかったためにブランドはパフューマーからパフューマーに売られて……最後の持ち主だったパフューマーはほかの名前の香水を出しているものの、ビアンネメについては眠らせたままでいた。それで、彼女は彼に自分のプロジェクトを説明した。“アールデコ・スタイルの30年代調の美しいオブジェの容器に入ったブランドにしたい”、と。売買は2019年に成立。ブランド再興へと動き始めた2018年に彼女はセザンヌを去っていた彼女は、生活のために設立したコンサルティング会社で週に3日は多くのブランドのコンサルティングをこなし、2日はビアンネメのために時間をとって、という暮らしをしていた。

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左:3種の香りのリキッドソープ。右:シアバターたっぷりの保湿ボーム。

それ以前、彼女がブランドを買収することについて、周囲はどんな反応だったのだろうか。

「家族も友達も私のアール・デコ熱を知っているので、みんな“それは是非やらなくては!!”、“試さないで終わったら、残念なことだ!”と。彼らから大きなサポートが得られたのだけれど、ブランドを買い取り、さあ資金繰りだ!いうところで新型コロナ感染症が発生してしまって……。その間にストラテジーを考えたり、製造やパッケージングなどについて準備を進めました。2020年末に資金集めが終わり、出資者には“2021年のノエルに世に出します!”って宣言したんです。すごく意欲的でしたね」

と笑うセシリア。彼女は実際に2021年11月16日から20のプロダクトの販売をスタートしたのである。そこに至る道のりは平坦ではなかったけれど決して諦めなかったという。

「粘り強さが私の性格の最も特徴的なことです。これと決めたら、何ひとつ諦めません。たとえばこのプロジェクトで一番の難問は、チャージができる香水ボトルが必要なのにそれが存在しないことでした。だから、私のブランドのために特別にボトルを作ってもらわねばならず、しかもフランス製にこだわることから、かなりな投資が必要でした。原料の会社も誰も知らなかったけれど、幸いなことに私のプロジェクトに賛同してくれて、希望の業者と仕事ができています」

それまで化粧品業界と仕事をしたことのない彼女である。ひとりで何もかも手探りで進めていったのだ。もともと化粧品が大好き、というタイプではないけれど、ファッションに比べて化粧品のほうが自由がある、したいことができると思ったと語る。

「そしてメイド・イン・フランスも可能です。ビアンネメのパッケージの裏をみてください。フランス製を証明するトリコリールのステッカーが貼ってあるでしょ。ロベール・ビアンネメは長いこと香水組合のプレジデントを務め、レジョン・ドヌール勲章も授けられています。彼はフランスのサヴォワール・フェールの威光のために人生を尽くしました。私もそれを続けたいんです」

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左:オードパルファムの香り3種の石鹸も販売。25ユーロ。シェル型の石鹸置きは35ユーロ。右:アール・デコ期に結びつく貝のモチーフを店内に見出すことができる。

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創業者の精神の継承者としてブランドを続ける。

販売はオンラインでスタートし、同時にセザンヌ、そしてボンマルシェでも。そして2022年11月16日には小さいながらも、パリ1区のサン・ロック通りにブティックをオープンした。ロベール・ビアンネメは生前ブティックをサントノーレ通りに構えていたそうで、そこからそう遠くない場所である。この間に、ハンドクリーム、キャンドル、ライターが新たに商品に加わった。ちなみにライター、そしてあぶらとり紙は日本製だ。

「現在、香水は3種ありますけど、来春には新しい香水を出そうと進めています。基本的に香りはユニセックスだけど、より男性を意識した香りもクリエイトする予定です。将来的にはスキンケア商品、メーキャップ用品……ロベールの時代は彼が化学者だったことからナイロンストッキングも扱っていたんですよ」

セシリアはブランドを21世紀によみがえらせるにあたり、彼の名声をたたえたい、メゾンの歴史に忠実でありたいとアーカイブを収集し、リサーチを重ねた。彼の美学を理解することによって、商品のインスピレーションを得たのだ。1960年に亡くなったロベール・ビアンネメに子どもはいなかったが、再婚相手に4人の子どもがいた。その中で5歳から21歳までロベールと暮らしをともにした一番下の娘フランソワーズにセシリアは会い、彼について、ブランドについて多くの情報を得ることができた。彼の写真やパストートを収めていた革の小箱を彼女から譲られて……。とても善良でノーブルな心の持ち主で、生前慈善団体に多大な寄付も行っていたこともフランソワーズから教わった。

彼について知れば知るほど、こうしてロベールの始めたことを続けられることにセシリアは大きな喜びを感じている。現在のロゴはロベール・ビアンネメの手書きの署名を活用している。これは彼自身も自分の商品に時々使っていたそうで、このロゴは美しいだけではなく、セシリアから創業者へのオマージュなのだ。

「彼のスピリチュアルな相続者であるというのが私のポジジョン。何かを決めるとき、これは彼の気に入るだろうか、気に入られないだろうか……というように考えるんです。彼との間にはちょっとした偶然がたくさんあるんですよ。たとえばロベールの母親の名前は私と同じセシリアでした。またサン・ロック通りにブティックを開くことが決まった時に、彼のお墓に報告にゆきたいと思って、フランソワーズに墓地の住所を尋ねたところ、パリ近郊の街のサン・ロック通り!! 信じられませんでした。運命的なものを感じずにはいられません」

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左:美しいパッケージ。その後ろにメイド・イン・フランスのシールが。右:浮き彫りでロゴが入った詰め替え可能な香水ボトル。ノルマンディー地で1916年から続く工場Walterspergerで製造される。

彼女の小さい時の夢、それは映画を作ることだったという。ブランドをスタートするのはひとつの世界をクリエイトすること。映画と同じ創造性が求められる、とセシリアは両者に共通点を見出している。何がビアンネメであり、何がそうではないかということにすぐイエス、ノーが出せるように、ブランドについての彼女のビジョンはとてもクリアで、それこそが優秀な企業家であるための不可欠な鍵だと彼女は考えている。

「そのクリアなビジョンをもとに、私はビアンネメの映像を制作しました。音楽も知り合いのジャズの作曲家に依頼し、詩的で幻想的な美しさが漂うフィルムでブランドの世界を見せたかったのです」

いまのこの仕事こそ、自分がしたかったことだと感じているセシリア。アール・デコという自分が持つ美のビジョンを商業面にとりこんで提案し、それが消費者の気に入られて喜びを与えられることこそ、このプロジェクトで気に入っている。セザンヌのブティックでビアンネメの香りVermeil(ヴェルメイユ)を嗅ぎ、おばあさんの香りを思い出させる、と感動の涙を流した年配の女性がいたという。

「私がビアンネメを再興したのは、お金儲けが目的ではありません。人に気に入られる品、喜びを与えることができる品を提案したいと思ったからです。こうして美しい品々に囲まれて、使命を持つ会社で仕事ができていて、毎日とても幸せです」

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左:香水用携帯ボトル。45ユーロ。中:“芸者の習慣”と命名されたあぶらとり紙。右:3種のオードパルファムの各3mlのサンプルボトル・キットは20ユーロ。この購入後にオードパルファムを購入すると、20ユーロの割引がなされる。ポシェットは別売り。

BIENAIME
30, rue Saint-Roch
75001 Paris
営)11時〜19時
休)日
www.bienaime1935.com
@bienaime_1935

editing: Mariko Omura

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