「突き進みなさい」と語りかけるマリー=キャロリーヌの自転車用パニエ。

市場の自転車の98%と互換性があり、見た目もシックで実用的な自転車用バスケットLaura(ローラ)を世にだしたマリー=キャロリーヌ・ギニエ。彼女の転職物語は、高級ビューティブランドのマーケティングディレクターという要職にありながら、“何かが足りない!”と感じた2019年に始まった。当時、彼女のお腹には第三子がいた。

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左:Petites Reines (プティット・レンヌ)を創立したMarie-Caroline Guinier(マリー=キャロリーヌ・ギニエ)。右:きれいなフォルムのパニエLaura(ローラ)。Klickfix社のアタッチメントに対応している。photos:Mariko OMURA

女性たちに語りかけることから

「自分自身だけの何かを生み出したい、と感じるようになっていました。それで会社の仕事を続けながら、高等専門大学予備校時代の友人と一緒に、“外の世界と繋がりましょう!”を目的にした女性たちのネットワークFlair(フレール)という活動を始めたんです。ホテル・ブリストルが私たちのイニシアティブを気に入ってくれて、ここを会場に毎回ゲストを招いてカンフェランスを組織しました。たとえばディプティックのディレクターのファビエンヌ・モニーや、子ども服のTartine et Chocolat(タルティーヌ・エ・ショコラ)を創立したカトリーヌ・パンヴァンといったインスピレーションを与えてくれる素晴らしいゲストたちを迎え、私がインタビュアーを務めて。これをより多くの人々にもたらしたい、と2020年3月にはL’Etincelle(レタンセル/閃き)というポッドキャストもスタートしたんです。新型コロナ感染症が流行した初期ですね。こうした行動は私に出会いをもたらしてくれました。出会いこそが私を進歩させる原動力なのです」

Flair、L’Etancelleの活動によって彼女が女性たちに伝えたいことは一貫している。それは“突き進みなさい、世間を広げなさい”というものだ。それによって素晴らしいことが起きるということを経験している自分自身の人生からのインスピレーションである。こうした活動を続け、時間の経過とともに、起業することに気持ちの上で準備、セキュリティのレールから外れられることができると思えるようになった彼女。高級ビューティブランドでの産休が終わった時、10年勤務した会社へは戻らず、ビューティの世界以外にも触れたいからと、かつての上司が移ったコニャックの生産・販売会社へと分野を変えた。

「2020年春、新型コロナ感染症の流行初期のことですね。ここに半年勤務したところで、そのまま続けることも選択肢のひとつだけど、何かが足りない、という気持ちは変わらず……。これを上司に相談したところ、彼から“思いきれ!!”と励まされたんです。起業することは確かだけど、まだ何をしたいのかが明快ではないまま退社しました。

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カフェテラスでの会話から生まれたプロジェクト

「ひとつエピソードがあります。忘れもしません、退社してすぐの10月26日、企業家の友人とカフェテラスで話をしていて、自転車に乗る女性のためのバッグを作りたいって言ったんですね。というのも、私、自転車に乗るときに最適なバッグが見つけられずにいたので。コンピューターやバッグをチャイルドシートにおいたり、そのたびに荷物の置き場に適当な解決策を見つけてはいたけど、その様子は美的という点で誇れたものじゃなかった。そんなことを話していたら、彼女が“それをするのよ、マリーにぴったりのことだわ!!”って。閃きの瞬間でしたね。これをするのは私にとって当然のことなのだって。その晩にPetites Reines(プティット・レンヌ)をブランド登録しました」

いまでこそサイクルレーンが縦横無尽に走っているパリだが、15年前にマリー=キャロリーヌが自転車通勤を始めた時は“珍種”扱いされていたという。夫のフランクフルトへの転勤に同伴したときに、彼女はその地でドイツ語を学び、仕事を始め、そして地元民のように自転車通勤という習慣を身につけたのだ。パリに戻って高級化粧品会社に復帰し、ピンヒールをはいてドイツから持ち帰った自転車で通勤した。マーケティング部門でフランス市場のチーフだった彼女は、これで社内の有名人に。

「当時暮らしていた6区のボナパルト通りからセーヌ河を渡って、会社へと自転車を走らせる。自由を見出しました。パリの美しさに改めて驚かされて……。まだ自転車用レーンがない時代で、通行人とのコンタクトもあって。自転車で移動すると、外の世界を観察するようになりますね」

こんな彼女である。自転車にまつわる仕事を始めるのは、彼女を知る人には当然に思えたのである。Petite Reineは男性が使うことが多いが、フランスでは自転車の代名詞。夫が以前その言葉を使った時に“あ、きれいね”と思ったことを彼女は思い出したのだ。19世紀にオランダ王国で王女が自転車であちこち移動したことが、この表現の由来である。

「大勢の女性たちに向けて提案したいので、私はPetites Reinesと名前は複数にしました。すぐに思ったことはプテット・レンヌはブランドであり、また前進する女性たちのコミュニティであるということ。自転車は自由のシンボル、独立のシンボルです。覚えていませんか、自転車を後ろで支えていた人が前へとぐっとプッシュしてから手を放したときの感覚を? バランスを探し、自分ひとりで自転車を前へと進めることになりますね。人生で初めて体験する解放。これは私にとって、人生の素晴らしいメタファーなんです。これはまさしく私がコニャックの会社を辞めたときにしたこと。社用車の鍵を返し、サラリーもなくなり、どこにゆくかはわからないけど、思い切って乗り出した私。そのときは興奮もあり、恐ろしさもありましたけど、自分がしたいことをするべきだという確信がありました」

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400名の女性たちの声を集めて

自転車に乗る女性のためのバッグという最初のアイデアが自転車用パニエに変わった背景にも、出会いの物語が潜んでいる。

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左:パニエは3色から選べ、部分レザーの固定ベルトは7色のチョイスがありセットで195ユーロ。固定ベルトの色違いは55ユーロで追加購入できる。リュクサンブール公園の椅子を思い出させる淡いグリーンが新色で加わる予定。6区生まれのマリー=キャロリーヌはフレンチタッチも大切にしている。右:パニエ用の防水布バッグ(50ユーロ)はパニエにおさめるだけでなく、この写真でマリー=キャロリーヌがしているように使い方は自由だ。photos:(左)Fred Fréty(右)Katja Liebig

「まずAtelier Fred Fretyで働く3名のデザイナーに、自転車に乗る時に私が体験したバッグの問題をあれこれ語りました。それから自転車で移動する女性たち400名に会いにゆき、自転車の何が好き、何がうまくゆかない、などを語ってもらって。誰もが最初にあげるのは荷物の持ち運びについてです。自転車のバスケットは小さすぎる、自転車でも自分のスタイルを保って美しくありたい……etc。こうして集めた声がデザインチームにとってブリーフとなりました。提案すべきはバッグではない!とわかったのです。女性たちにとってバッグは宝物であり、アイデンティティそのもの。バッグを変えたくはないのです。だからバッグではなくて、バッグを持ち運ぶ何かを作るべきなのだ、と。いま商品となっているパニエ生まれるまで、1年半をかけていくつものプロトタイプを作りました。これらにはシモーヌ、シャルロット、ジゼル……どれも過去に活躍した女性たちの名前で呼んでいたけれど、完成したパニエはLaura(ローラ)と命名。私の娘の名前です。というのも、人生に乗り出すひとりの女性である彼女の名をつけることは飛躍、未来に結びつくからです」

Petites ReinesのパニエはドイツのKlickfixによる固定システムを使うことで、市場の98%の自転車に適合する。1クリックで着脱も簡単。軽いアルミ製のパニエは取り外して、ショッピングやビーチに持ってゆくのも可能だ。パニエの中に別売りの完全防水の布袋をセットして、その中に持ち物すべてを入れて固定ベルトを閉めれば、中身は誰の目に触れることもなく盗難の不安もない。ベルトは長さが調節できるのでパニエを肩にかけることもできる。これがPetites ReinesのパニエLauraである。

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軽さを求めてパニエの素材はアルミニウム。87箇所を職人が溶接して仕上げる。photo:(左) Katja Liebig Paris

マリー=キャロリーヌがPetites Reinesのプロジェクトを進めたのは新型コロナ感染症予防のための対策でフランス中で活動が制限されているまっ際中のことだ。

「何ごとも私を押しとどめることなどできなかった。それにこの時期にマスクをしなくていい数少ないチャンスは、自転車での移動。自転車には自由があったのですね。こうしたことからパリ市内でも自転車に乗る人が増えていって……。私、良いタイミングでPetites Reinesを世に出した、って感じています。パリから54kmの土地で製造された最初のパニエのシリーズはインターネットでの販売を考えていたところ、ボン・マルシェが地上階のVéro Loveのコーナーでの販売に、と全部購入。ここにも出会いの物語があるんですよ。インタビューした400名の中に親しくなった女性がいます。彼女の友達がボン・マルシェでイベント関連のディレクターで、新たに作る自転車のコーナーのために実用的でシックなブランドを探している、ということから話が進みました。『行動しなさい、出会いが待っています』ということが言えますね。これは裏を返すと、自分が動かなければ何も始まらない、ということです」

パニエのLauraについて説明するとき、目をきらきらと輝かせる彼女。昨年投資者を見つけ、職人たちへの支払いも素材の大量購入も可能となり、パニエを量産できることになった。

「彼らも私の瞳の中に輝く星を見たのでしょうね。このプロジェクトについての私の確信、女性たちが必要としているのだという私の確信。これが物事を動かすのです。彼らは私を信頼してくれて1週間で資金を得ることができました」

2023年春がPetites Reinesの本格デビューとなる。彼女のパニエは自転車のアクセサリーというだけの位置にとどまらず、ライフスタイルのプロダクトでもあると世間に広めたく、1月にはメゾン・エ・オブジェにスタンドを構えた。

「昨年は共同経営者を迎えました。一緒に考え、意見を交わし……これはいいですね。いずれはスタッフも増やしてゆきたいと思っていますけど、まずはパニエを成功させて売り上げを出さなければ。ここまで長い道のりでした。途中、いろいろ自問自答する時期もありました。でも、いつも自分に言い聞かせていたんです、必ず到達できるわ!と」

マリー=キャロリーヌは名門のESSECビジネススクールの出身である。入学後自分が進みたいのはラグジュアリー産業だとすぐに理解し、実際にそちらへ進んだ。キャリアの6年目にして、企業内でディレクションをまかされたことから、その地位のおかげで新部門を設けたり、新プロジェクトの改革などを行い企業家に役立つ経験をアクティブに積むことができた。

「私、会社員時代に起業のためのアイデアをノートを書きためていたんですよ。たとえば“トロック・ア・ポワン”。これは私が数学のレッスンを誰かにしてポイントを得たら、そのポイントを使ってDIYをする人に何かをお願いして……という助け合う交換システム。友だちとのディナーやパーティでいろいろな人と話して生まれるアイデアをノートに書いて……。でも、翌日はいつものように出勤していくという暮らしだったのです。奮起した私がPetites Reinesを創設したのは42歳の時。起業家としては若くありませんね。巨大なグループの中で長年経験をしてきた自分にとって、独立というのはとても大きな変化だったので、最初の半年間、私のように起業を目指す、分野もさまざまな人たちとともにインキュベーションを受けました。指導者が同じ人だったことから、靴のブランドNomaseiを成功させたふたりとそこで知り合いました。彼女たちの靴は自転車での移動にも履きやすくて、シックです。美しさ、サステイナブルという価値観も私たちのブランドは共有しています」

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左:あらゆる女性を対象にしたパニエのイメージ。右:マドレーヌ寺院近くに構えたオフィスにて。

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フランス生産へのこだわり

「サラリーマン時代とすべてが変わりました。以前は誰かの素晴らしい右腕でした。誰かに喜びを与えるという面で。いま、推進力は自分自身なので、自分自身に忠実である必要があります。価値観についての妥協はできません。たとえば、別の方法でパニエを製造したとしたら、それは私ではなくなってしまう。自分自身でいる方法を学びました」

彼女はパニエがメイド・イン・フランスであることにこだわった。ここに至るまで、ああ不可能だ!と何度か諦めそうになりながら戦ったそうだ。一番の問題はバスケットの骨格をなすアルミニウムの溶接だった。ハードなステンレスを溶接するアトリエは多いけれど、柔らかなアルミニウムの溶接ができるアトリエはフランスではごくわずか。今回の量産にあたって、パリ近郊ではなく、遠方のアトリエに任せることになった。彼らが時間を節約して生産性を上げるための機種開発に投資をしてくれたおかげで、リーズナブルな費用でパニエを作れるそうだ。底に敷く薄くしっかりとした木板の仕事をする職人をはじめ、製造に関わる作業はすべて同じ地方にまとめられている。

パニエだけ、自転車だけにとどまらず、女性たちの可動性に関わるプロダクトを提案してゆこうというのがPetites Reinesだが、ボン・マルシェでの半年間の先行販売販売も終わったいま、パニエを販売するセールスポイントを増やすことが優先事項だと感じている。それはマーケティングの仕事の経験から、消費者は商品を手に取ってみたいのだ、と知っているからだ。

「女性たちにパニエを実際に手に取って、クオリティやディテールを見て欲しいと思っています。これはインターネット販売ではできないことです。マーケティングの経験はいまの仕事にいろいろ役立っています。会社を立ち上げたとき、私はすぐに商品をクリエイトしていません。その前の段階で400名にアンケートをとって、その後、パニエを彼女たちとともにクリエイトしています。消費者の声に耳を傾けろ、というのが高級ビューティブランド時代に学んだことなのです。その前には同じグループの高級ブティックで販売の研修もし、その時には来店社たちに耳を傾け、彼らの要望を察知するように務めました。常に消費者の側にいるように私は務めているのです」

毎朝、マレ地区の自宅から自転車を15分走らせてマドレーヌのオフィスまで通勤するマリー・キャロリーヌ。一般車を締め出し、自転車専用レーンを充実させたリヴォリ通りを走りながら、パリの変化を毎日実感している。

「Petites Rinesの名前を登録する前に、子どもも三人いるので夫にはもちろん話をしました。自分のプロジェクトで頭の中がいっぱいの私を、サラリーマンの夫は支えて、励ましてくれました。独立してから子どもたちと過ごす時間は私としては以前より増えたと思っていますけど、彼らからすると、私はいつも仕事をしてる、って見えるでしょうね。でもいまは下校時に学校に迎えにゆくこともできるし、病院に子どもがゆくことがあれば連れてゆけます。これは会社員時代にはできなかったこと。もちろん仕事で週末中ずっと不在となることもあるけれど……。私が毎朝笑顔で出勤するのを見ている彼らは、私が自分の信じていること、私を興奮させる仕事をしているのだと理解しています。それを私が彼らの将来に望んでいることも知っています。自分がしていることを、このように彼らに手本として示せることを誇らしく感じています」

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左:自転車がもたらす自由を語り、思い切って身を投じることを女性たちに勧めるブランド・メッセージ。右:ボン・マルシェの自転車コーナーで独占先行販売されたパニエLaura。photos: Mariko Omura

Petites Reines(プティット・レンヌ)
www.petitesreines.com
@petitesreinesparis

editing: Mariko Omura

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