連載【石井ゆかりの伝言コラム】第21回「甲子園」&「宿題」
石井ゆかりの伝言コラム 2019.08.01
第21回「甲子園」&「宿題」
早くも夏の到来です。
私の仕事は主に星占いの記事の執筆で、常に、未来のことを書いています。あたりまえといえばあたりまえですが、週の占いは前週、月の占いは前月、年間占いは前の年に書きます。この7月アタマに、やっと2020年の星占いを書き上げました(12星座別の書籍『星栞 2020年の星占い』です、買ってね!)。
ゆえに、「今がいつなのか」ということに、とても鈍感です。テレビで甲子園のニュースなどをチラ見すると、それが選抜なのか夏の甲子園なのかが一瞬、わからなくなるのです。
ですがこれは、私の職業病というのにとどまらないのかもしれない、と最近、思い始めました。というのも「今、この時間」に意識の多くを向けて生きるということは、現代社会ではかなり難しいことだからです。誰もが常に少し未来のことを考えながら生きていて、「今目の前にあるもの」は、ほとんど視界に入っていないのではないか、という気もします。
頭の中にあるのは少し未来の準備、計画、見えない不安などです。過去や未来について書かれたさまざまな言説をスマホ越しに読みながら移動し、それへのリプライを考え、窓の外の景色よりは画面の中に広がるバーチャルな、もはや「過去・現在・未来」の範疇に入らない時間を生きている人も、少なくないように思われます。「今目の前にあることを味わう」ことのやりかたを、ほとんど忘れてしまっているような人もいるだろうと思います。「仮想空間」という言葉は一般的に浸透していますが、それはおそらく「仮想時間」でもあります。
子どもの頃や学生時代は、春休み、夏休み、冬休みという長期の休みが一年という時間を切り分けてくれていました。休みに隔てられた時間がひとつのまとまりとして感じられました。同世代ならほぼ同じ一年の時間割を生きていたわけです。
大人になると、子どもの頃ほどには、「みんなで時間割を共有する」ことはできません。仕事や社会的立場、家族に対する立場など、さまざまな条件によってその人固有の「時間割」が出来上がります。
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私もここ数年の中で、だいたい「一年の時間割」のようなものが決まってきたように思います。年の前半に次年の占い本(ダイアリーなど)を仕込み、9月以降は各誌の占い特集や上半期、年報を書いて、待ちに待ったお正月休み!(お酒を飲んで録りためたお笑い番組を見る、という予定だったのにたいていは大風邪を引いて寝込む)というのが大きな流れです。
こうした「仕事と休み」以外に、最近はもう少し大事にしている「時間割」が出現しています。それは7月と8月です。
ここ数年、「夏に、普段はできない勉強を集中的にやろう!」という習慣が生まれつつあるのです。まるで「夏休みの宿題」の再来です。夏休みは読書感想文の宿題も出ますし「夏の100冊」のような出版社のキャンペーンも行われるほど、「本を読む季節」のイメージがあります。南の島のビーチでも、多くの人が寝椅子の上で本を読んでいますが、あれは長年の私の憧れでした。数年前に一度だけ、その憧れの夢が叶ったことがあったのですが、控えめに言って天国でした(感涙)。
脱線しましたが、とにかく40歳を過ぎた私に、「夏休みの宿題」が戻ってきたのです。これは不思議にフレッシュな、「原点に返る」ような感覚を伴います。暑い中で本を読んだりノートを作ったりするのが、いかにも懐かしくも新しい感覚なのです。
ビーチでの読書がいつかまた実現するのかわからないのですが、夏の宿題も、夏の読書も、その時間だけは「今という時間」を味わっている瞬間なのかもしれません。もとい、本の中にも、勉強している教科書の中にも、「今」とは別の時空が広がっているとも言えます。
「今、ここ」に生きることは、それ自体、今の私の密かな憧れなのかもしれません。
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