母と息子のパワーゲーム、自立した関係を作るには?
Society & Business 2021.09.15
母と息子の関係はパワーゲームに支えられている。誘惑、評価、距離、自立……。複雑な愛情が絡む親子の絆について、小児科医のアルド・ナウリと社会学者のクリスティーヌ・カストラン=ムニエに尋ねた。
「母親の愛で、人生は、夜明けに守れない約束をする。やがて僕たちは最後の日まで味気なさを噛みしめることになる。その後、女の腕に抱かれ、胸に抱き締められることもあるが、それはもはや追悼にすぎない」。これはロマン・ガリが自伝的著作『夜明けの約束』のなかで自分の母親に向けて書いた見事ながら悲痛な告白だ。
母と息子の関係は文学の重要なテーマのひとつだが、それはカウンセリング室でも同じ。小児科医アルド・ナウリの最新著作『僕の母』(1)の主題は、まさにそれだ。母親の刷り込みはどのように息子の将来の恋愛関係を左右し、男女平等の意識づくりに関わっているのか。『男子の教育を見直してみませんか?』(2)の著者で社会学者のクリスティーヌ・カストラン=ムニエとアルド・ナウリ、ふたりの著者に話を聞いた。
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――世間には、母と息子の絆は独特だというイメージがあります。最も象徴的な例は、ロマン・ガリの小説『夜明けの約束』で描かれた親子関係でしょう。小説の描写は実情の通りなのでしょうか?
アルド・ナウリ:はい。ここに描かれた排他的な愛情は度を越したもののように見えますが、実はそうでもありません。精神科医のラカンは的確にも「愛憎」と言っていますが、これは母と息子の絆を言い表すのに実にふさわしい言葉です。素晴らしい愛が一面にあり、その裏には支配の一形態がある。
もともと母子のつながりの基盤は、ある種の占有です。受精すると、卵細胞は10分もしないうちに、精子のミトコンドリアDNAを排除してしまうので、子どもは、父親ではなく母親から引き継がれた痕跡をもって生まれます。息子が将来特別な人物になることを夢見る母親と、自分自身を見失わずに母親を喜ばせることを目標とする息子。目標を実現できれば、息子は見返りに大きな愛を得るだけでなく、評価され、能力を認めてもらえます。小説のなかで、ロマン・ガリは、母と息子の関係の有益な面は賞賛し、恐れるべき面については糾弾しています。
クリスティーヌ・カストラン=ムニエ:息子を何よりも上位に位置づけるという超越論はかつては広く行われ、現在でもある特定の家族構造の中に残っています。これには支配の文化から生まれた伝統的な親子関係の概念が関係しています。そこでは、男性が社会や文化や聖なるものをかたちづくり、女性は自然や子作りに結びつく。男の子を産んだ女性は、自分の胎から生まれた以上、この子は将来必ず立派で、強く、頑丈な男になる、だから一生見守るべきだという考えを抱きます。男の子を特別扱いするこの傾向は生まれてすぐに見られ、女児より男児の授乳期間が長いことからもわかります。
――母と娘のつながりとはどのような違いがあるのでしょうか?
アルド・ナウリ:すべての赤ちゃんにとって母親は全能です。ごく幼い頃から母親に依存しているため、子どもは最終的に母親を全能な、恐るべき存在とみなします。自分自身のアイデンティティを獲得し、母親の力に対抗するために、男の子は母親を誘惑しようとし、母に迎合するために愛情を表明します。
これがエディプスコンプレックスと呼ばれるものです。女の子は同じ戦略を使えません。女の子の身体は母親の身体と似ているので、男子の身体に存在する、興味と怖れを掻き立てる未知性を持たないのです。ゆえに女の子は父親へと向かいます。母親はそれに気づき、娘に恨みを抱く。そこで、この対立関係を解消するために、女の子は母親とその全能性に対して「降参」するのです。
クリスティーヌ・カストラン=ムニエ:母親は同性である娘との間にある種の共犯関係を築きますが、同時に要求もより大きくなります。母親は娘には将来自分の元から巣立てるようできるだけ自立してほしいと望みます。男の子に関しては、事情は異なります。母親は息子を補完するものとなる、なぜなら、母親にとって息子は自分と対をなす異性なのです。母親はこの奇妙な現象に魅了される。恋愛関係とやや似たところがあります。
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――息子に「過度に」愛情を注ぎ、過度に守り、独立するのを嫌がる母親に対する批判をよく耳にします。これは実際にそうですか?
アルド・ナウリ:はい。しかも、いまは特にそうです。現代の親は教育より自身の欲望に服従させようとします。親子間の愛情は必ずしも扱いやすいものではありません。ロマン・ガリはそれを『夜明けの約束』で明確に語っています。どうしたら母親を十分に満足させることができるだろうかと自問します。とくに彼の母親は恐るべき策略家で、息子を自分の思い通りにするために、ありとあらゆる戦略を立てます。それは私の個人的な体験でもあります。私の母はいつも私に解決不可能な問題を課し、私はそのたびに、母をがっかりさせないために必死で解決しようとしました。こうした愛情は多かれ少なかれ有害なものです。一生母親離れできない男性もいます。
クリスティーヌ・カストラン=ムニエ:男の子は王様という神話を支持する母親たちは、現実に、そんな行動をとっています。過度に息子を愛で、息子を何としてでも手元に置いておこうとする母親たちは、結局のところ、愛情のコクーンを作ろうとしているのです。しかしこんな状況は、実際にはそれほど頻繁にはありません。男の子を産むことは以前に比べてそれほど重視されなくなっています。女の子は女性の状況を改善するための味方とされますが、男の子の方は、男性優位社会の弊害が続く原因として責められることもある。
――育児放棄する母親や有害な母親は、子どもが成長する上でかなりのハンディキャップとなることが知られています。そうした母親から受ける被害は、男の子の方が大きいのでしょうか?
アルド・ナウリ:被害の度合いは男女とも同じです。いずれにせよこうした状況は子どもにとって不安な環境です。母親がいないと、子どもは周囲の状況をどう読めばいいのか、他者に対してどういう立場を取るべきか、自分の人生に対する希望をどうやって表現したらいいのかわかりません。
クリスティーヌ・カストラン=ムニエ:確かに男女どちらの場合も壊滅的な苦痛を被ります。しかし男の子の方が強く見せようとして自分の感情を押し殺したり、逆に過剰に反応したり、自分の気持ちに正直になることに困難を抱えやすい傾向があります。
――やがて思春期になると、母と息子の間にかすかに最初の亀裂が生じます……。
アルド・ナウリ:愛情の集中度が変わります。思春期になると子どもはもう母親の言うことをそのまま信じたりはしません。自分の意見や立場について考えるようになり、最終的にはいつも母親が正しいわけではないと思うようになります。その時の母親の対応は非常に重要です。母親が不寛容な態度を取ると、子どもの自立を妨げることになります。したがって子どもの反抗的な行動にいちいち反応しないことが大切です。もちろん息子の方にも同じことが言えます。
クリスティーヌ・カストラン=ムニエ:子どもの将来にとって決定的な時期です。自立性を獲得するために、子どもにはへその緒を断ち切る必要があります。これにはある程度リスクが伴います。また母親に対して身体的にも精神的にも距離を取るようになります。
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――義理の娘の登場はすべての母親にとって脅威なのでしょうか?それともこれは強固な社会通念にすぎませんか?
アルド・ナウリ:単なる社会通念ではありません。息子が、自分たちが親子で築いてきた関係とは別の関係を持つことを受け入れない母親は少なくありません。マーケティング業界はそんなイメージをさらに広めています。母親の手を握っている男の子の写真に「人生で最も大切な女性」といったスローガンが添えられているなどです。
義理の娘に対抗することで、母親は要するにこう言いたいのです。「私もあなたも女性。私たちはふたりとも自分たちが持つ力を自覚している。でもあなたがその力を私の息子に行使することは許さない」。しかし、こうした力関係が必ず生じるわけではありません。
クリスティーヌ・カストラン=ムニエ:このライバル関係はいまだに健在です。意地の悪い姑という古くからあるステレオタイプは、人類の歴史に大きな影響を及ぼしました。とはいえ男女平等や女性の解放、女性同士の友愛を支持する運動が盛んになり、ネガティブな意味合いは薄れてきています。母と義理の娘の関係は共犯関係を重視する段階に入っています。
――有害な男らしさや、精神的負担が及ぼす負の効果を非難する声があちこちで上がっていますが、母親たちはいまやフェミニストとしての義務を負わされているのでしょうか?母親は、男女平等の促進を目指して息子を教育するべきですか?
アルド・ナウリ:残念ながらその通りです。ただその点について大げさに言ったり、ことさら強調する必要はないと思います。男の子を萎縮させてしまったり、去勢コンプレックスを引き起こしてしまうかもしれません。そうなると、まだ発達の過程にある子どもが行動を抑制するようになってしまいます。母親も男女平等教育の一翼を担っていますが、こうしたフェミニスト的な見方には限界もあります。子どもを怖気づかせてしまう可能性があります。
クリスティーヌ・カルトラン=ムニエ:この件に関して、母親は責任があります。母親は当事者だからです。母親が男女平等の重要性を認識することで男子の教育にじわじわと影響が広がり、男の子の意識が変わるのです。男の子はマチズモとは別の形で自分の男らしさを認めることが必要です。ただ、特定の振る舞いに対する嫌悪感をあまり募らせないように気をつけてください。幼い男の子というと、ガキ大将とか、落ち着きがない、劣等生などとレッテルをはってしまいがちですが、こうした否定的な判断は罪悪感を抱かせ、子どもの本当の人格を忘れさせてしまうこともあります。
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――ヘテロセクシャルのカップルの場合、母と息子の関係において、父親の存在はどのような立場を占めているのでしょうか?
アルド・ナウリ:周りがどんな立場を与えるかによります。母親が父親に場所を与えなければ、父親は場所を持てません。母親と息子を一体化させる排他的な愛情は、父親にも開かれなければなりません。実際には、母親は、父親である男性は自分にとってとても大切な人であることを子どもに上手に感じさせ、息子が父親に同化できるようにする必要があります。子どもにとって基準となる人が母親以外にもいるということが重要です。
クリスティーヌ・カストラン=ムニエ:一般的に父親には、母と息子の融合関係を覆す役目が与えられています。愛情は母親の専売特許ではありませんから、父親も愛情を注ぐべきです。幸いにもここ数年で父性に関しても変化が起きています。父親は家庭でルールを作る立場にあり、プライベートな空間から距離を取るという制度的なモデルはいまや過去のもの。精神的負担はいまだに不平等とはいえ、父親も以前に比べて家族との関係を大切にし、家庭の問題に参加し、男の子にとってより模範的なモデルであろうとしています。
――息子が自立するために、拒否することも圧迫することもなく、ほどよい距離を見つけるにはどうしたらいいでしょうか?どんな落とし穴に注意したらいいでしょうか?
クリスティーヌ・カストラン=ムニエ:息子の教育の要は、息子を幸せにすること、そして母親の刷り込みから解放すること。まずはこの考えを受け入れたうえで、何が起ころうとコミュニケーションを保つことです。子どもを支え、また自立心の獲得に必要な、心理、文化、愛情、経済、象徴といった分野の資源を子どもに与えることが両親の役目です。
アルド・ナウリ:私はキャリアの大部分を費やして、親たち、母親たちに、過度の愛情は愛情を殺すと説明してきました。自分の翼が成長していくのを見る機会を息子に与えることは絶対に必要です。息子は生涯をかけて自分自身の内的・外的資源を開発し、そのおかげで自由になれるのです。特に、文化に触れること、本や映画、演劇、ダンス、音楽といったすべてが、将来苦しみに遭遇したときにそれを乗り越え、苦しみを成熟させ、苦しみを取り去る手助けとなるのです。
(1)Aldo Naouri著『Ma mère, mon analyse et la sienne』Éditions Odile Jacob
(2)Christine Castelain-Meunier著『Et si on réinventait l’éducation des garçons?』Éditions Nathan
text:Tiphaine Honnet (madame.lefigaro.fr)