ノーベル平和賞のマリア・レッサ、「受賞が一種の盾になる」。

Society & Business 2021.10.15

10月8日、フィリピンとアメリカの二重国籍を持つジャーナリストのマリア・レッサとロシア人ジャーナリストのドミトリ・ムラトフがノーベル平和賞を同時受賞した。報道の自由を守る彼らの闘いが評価された。ノルウェーのノーベル賞委員会から受賞を告げる電話を受けてから48時間後、マリア・レッサがフランス「Madame Figaro」のインタビューに答えてくれた。

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革新をテーマにしたミュンヘンのDLDカンファレンスにて。(2020年1月18日) photo : Abaca

マリア・レッサは、麻薬一掃を目指すフィリピン大統領ロドリゴ・ドゥテルテが主導する凄惨(せいさん)な麻薬戦争の実態を誰よりも先に調査し、告発したジャーナリストだ。調査報道メディア「ラップラー」の共同創始者で編集長を務めるレッサは、時の権力の動きを日々追ってきた。忌憚(きたん)なく時局を論じる姿勢がフィリピン当局に疎まれ、1年で10件もの逮捕状が発せられた。いくつもの訴訟を提起され、禁錮6年の刑を言い渡されている。

こうした露骨な圧力を前に、弁護士のアマル・クルーニーも立ち上がり、彼女の弁護団に加わった。フィリピンとアメリカの二重国籍を持つレッサは、アメリカに亡命することもできた。しかし彼女はフィリピンに留まることを選んだ。以来、出国禁止措置を受けており、がんを患う母親に会いに行くこともできない状況にある。もちろん平和賞受賞のためにノルウェーに行くことも叶わない。

――ノーベル平和賞受賞を知ったときの最初の反応はどのようなものでしたか?

本当にびっくりしました。こんなことは夢でしかありえないと思っていましたから。でもこの賞は、私や「ラップラー」やフィリピン国民だけでなく、世界中のジャーナリストに贈られたものです。民主主義の正しい機能と平和のために、表現の自由と報道の自由がいかに重要であるかがこれで明らかになりました。

2018年にタイム誌の「今年の人」に選ばれたと知ったときは、自分が攻撃の的になると思って怖くなりました。でもそれ以後、表彰されることで、むしろ重荷が少し軽くなるのだと学びました。なぜなら受賞が一種の盾となるからです。光に照らされている人に刃を突き刺すのは難しいものです。みんなが見ているわけですから。

また受賞のおかげで重要な転換点にあるフィリピン国民に強烈なスポットライトが当たることにもなりました。私たちの国はいくつもの選挙を控えています。政府は説明責任を果たさなければなりません。このことがポジティブな影響をもたらしてくれるといいと思います。

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恐怖と強情の間で

――近年は当局からの攻撃やネット上の荒らし行為を頻繁に受けています。こうした迫害に日常的にさらされていることについてはどうですか?

私を標的にしたSNS上の40万件以上の攻撃について、国際ジャーナリストセンターと「ラップラー」との協力でユネスコが分析し、私の心の状態を計量化するという試みがありました。分析の結果、攻撃の60%が私の信頼性を掘り崩す目的で行われていたことが明らかになりました。私は35年間、ジャーナリストとして活動してきました。こうした「無数の切り傷で死に追いやる」ような行為は、ジャーナリストが築いてゆくもっとも大切な財産である信頼性を狙ったものです。

残りの40%は、私個人を落胆させ、黙らせ、愚弄し、人間性を奪い、私の弱点を見つけてそれを私に対する攻撃に利用することを目的としていました。結局うまく行きませんでしたが。おそらく私はもっともわかりやすい例だと思いますが、世界中に同じような目に遭っているジャーナリストはたくさんいます。大半の人は偶然だと思っていますが、実は現実を歪めるための偽情報作戦なのです。

ーーこれまで疑いや不安を感じたことはありますか? 継続する力はどこから来るのですか?

もちろん、怖いのはみな同じです。でも私は強情なのです。それにとても恵まれています。私はひとりではありませんから。私には3人の強い女性たちがついています。彼女たちも「ラップラー」の共同創始者のメンバーです。

私たちはよくこんな冗談を言い合います。一度にひとりだけなら怖がっていい、と。私が心がけているのは、恐怖を受け入れることです。自分が恐れているものを突き止めて、特定の状況を想像して、自分が何をするべきか目に浮かべるのです。心の準備をすることで、恐怖が私たちに及ぼす力を抜き取り、そして前に進み続けるのです。

ーーアメリカに逃亡することができたにもかかわらず、なぜフィリピンに留まることを選んだのですか?

なぜ私はフィリピンに戻ると決めたのか。家族や友人たちに何度もその理由を繰り返し説明しなければなりませんでした。心の中では、ずっと前からジャーナリズムという価値観を自分自身の倫理としてきました。でもその価値観が脅かされたときに、人は本当にジャーナリズムを信じているのか? それともジャーナリズムはただの空念仏にすぎないのか? という疑問に直面したのです。それに私は「ラップラー」の創設にも関わりましたから、自分たちの活動が攻撃されている時に、チームを離れるわけにはいきませんでした。

2019年2月に当局に逮捕され、必要もないのに一晩中勾留されました。当局は私に自分たちの力を思い知らせようとしたのです。その晩の経験を経て、自分はジャーナリストである前に、ひとりのフィリピン国民なのだと実感しました。そしてこうした権力の濫用に怒りを覚えました。

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事実のために

ーーフェイクニュースの撲滅があなたの新たな闘いとなるとおっしゃっています。なぜそれほど重要なのでしょうか?

事実のための闘いにおいて、ジャーナリズムとは行動主義のひとつの形だからです。

フェイスブックはいまや世界で最も大きな情報発信元となりました。しかしフェイスブックはメディアではありません。人間が情報を選別する編集室がないのですから。あなたにとって何が役に立つかを決定しているのはアルゴリズムなのです。このアルゴリズムが優先するのは、事実ではなく、怒りや憎しみが混ざった虚偽の拡散であることはすでにいくつもの研究で明らかになっています。アルゴリズムはサイトにできるだけ長く私たちをつなぎとめるために、私たちの感情を弄んでいるのです。アルゴリズムは私たちを分断し、過激化させます。ジャーナリストは常にこうした嘘と競わなければなりません。

ーージャーナリズムはどういう点で平和の擁護に寄与していますか?

事実がなければ、真理も、信頼も、共通の現実もありません。信頼なくして、新型コロナウイルスや気候変動や民主主義の擁護など、いま私たちが直面している問題をどうやって解決できるでしょうか。これこそが基盤なのです。

私たちは事実のために闘わなければなりません。ジャーナリズムの仕事は、事実とその文脈を検証することです。それによって平和が守られ、戦争が回避されるのです。

text : Marie Joly (madame.lefigaro.fr)

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