エリゼ宮の女性顧問:フランス大統領を陰で支える女性たち。
Society & Business 2022.05.01
オリヴィエ・ファイが著した半生記で話題となったマリー=フランス・ガロが、初めて顧問に抜擢されてから60年。いまや、新しい世代の女性たちが後を継いでいる。フランス大統領に耳打ちする彼女たちの日常を覗く。
弁護士、政治家として活躍し、ポンピドゥ大統領の顧問を務めていたマリー=フランス・ガロ。(フランス、1980年)photo : Richard Kalvar/Magnum Photos/Aflo
第5共和制のフランスで女性として初めて権力のある地位に就いたのは彼女だった。オリヴィエ・ファイは著書『La Conseillère(女性顧問)』(1)で、マリー=フランス・ガロの並外れた経歴を辿っている。「1967年、彼女はすでに、当時首相の地位にあったジョルジュ・ポンピドゥの顧問を務めていた。シモーヌ・ヴェイユやエディット・クレソンが登場するより前のことだ」と著者は綴る。
月曜の晩には大物大臣らが彼女が主催するアペリティフの集いに押し寄せた。最も強い影響力を発揮していた頃(1974~76年)、マリー=フランス・ガロは「内政シーンのほぼすべてに判断を下していた」
権力を独占する時代はもう過去のもの。陰の実力者という小説まがいのイメージをまとった彼女も、いまや弱々しいひとりの老婦人だ。彼女が顧問としてデビューしてから60年経ち、いまでは新しい世代の女性顧問たちがエリゼ宮の回廊を闊歩し、かつてとはまったく違う任務をまったく違うスタイルで遂行し、より専門的な役割を果たしている。エマニュエル・マクロン大統領のスタッフには現在20名の女性顧問と30名の男性顧問がいる。
一口に顧問と言っても、専門分野も影響力の大きさもそれぞれ違う。彼女たちの役割とは何よりも、各省の大臣や大臣官房、首相府からもたらされる報告や意見を検討する大統領に、判断材料となるセカンドオピニオンを提供することだ。
大統領に耳打ちをしているのはどんな女性たちなのか? 彼女たちはいかにして国の最高指導者の信頼を勝ち取り、助言役となったのか? 国立行政学院(注:フランスの官僚養成校)を卒業しただけで、現場のさまざまな問題に対応し、権力遂行という困難な業務にあたる大統領に指針を与えることができるのか? 知られざる職業の核心部を覗いてみよう。
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きっちりと統率された複雑な組織
エリゼ宮という複雑な宇宙の中核を成す大統領官房は8部門に分かれ、多様な役割を担うスタッフが各部門に配属されている。一方には外交や運輸といった専門知識を要する分野の専門顧問がいる。他方には、大統領の広報活動の監督や大統領官房の運営、あるいは大統領と国会議員たちのパイプ役を担う顧問がいる。大統領の力を強化するために考え出されたこの役職は第5共和制の機構と深く結びついているものの、その役割に関する規定はどこにも見当たらない。なかには副大臣並みの力を持つ顧問たちがいるにもかかわらずだ。
「過去4代の大統領のもとでは、フランソワ・ミッテランが取り入れた方式が踏襲されています」と解説するのはオー=ラン県選出国民議会議員(政党は民主運動)で、広告代理店Image et Stratégie元代表のブリュノー・フュクスだ。「それぞれの顧問がさまざまな方面に助言や提案を求め、提出された報告をまとめるというやり方です」。SNSの登場でこの機能はますます拡大している。「毎日、数百人もの人々がマクロン大統領に直接メッセージを送ってきます(注:メッセージを選別して読むのも顧問の役目)」とフュクスは続ける。「また大統領自身が依頼して意見を求める場合もあります」。顧問の役割は、これらのメッセージを大統領に伝え、政治活動に意味やストーリーを与え、ネットワークにのせることだ。
1960年代以降、フランス大統領を支える女性スタッフの数は増加したが、スタッフの男女比も、各顧問にどれだけの裁量権を与えるかということも、指導者の考え方次第、と言うのは『On a les Politiques qu’on mérite(政治家の質は国民の質)』(2)の著書があるクロエ・モラン。彼女は、ジャン=マルク・エローとマニュエル・ヴァルス、2人の首相の下で顧問を務めた。
近年顧問に登用される女性たちはみんな......若い。コンスタンス・バンシュサンは2017年6月12日に大統領府のスタッフに着任した。子どもの頃から「人形を使って選挙ごっこをしていた」という30代の彼女はストラスブールの政治学研究所(IEP)で学び、パリ政治学院と国立行政学院で学んだ後に、マクロン大統領官房のインクルージョン・女男平等・市民権担当技術顧問のポストを獲得した。
やはり大統領顧問だったコンスタンス・リヴィエールやナタリー・ボードンも同じような学歴だ。現在41歳のリヴィエールはフランソワ・オランドの大統領選挙運動に参加し、2012年にオランド大統領の下で、制度・社会・国民の自由担当顧問に任命された。その5年後、広告業界で10年近くキャリアを積んだボードンは、エマニュエル・マクロンの大統領選挙運動の際に設立されたシンクタンクに加わり、2018年の夏にマクロン大統領の国際広報担当顧問となった。
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複雑な人間関係
現在38歳のボードンは3年近くの間、大統領のイニシアティブをマスコミや世論がどう受け止めているかを報告する役目を担い、大統領が外国を訪問する際には必ず同行した。政治のベテランたちが独占する世界に新米顧問として足を踏み入れた頃のことを尋ねると、着任当初は「大統領府のコードを完全にマスターしていたわけではなかった」と彼女は率直に認める。「ですが、こうした距離が私には役に立ちました。おかげで複雑な人間関係にかかわって本分を見失わずに済みました」
前述のフュクスは「この若さは顧問たちにとっては強みですが、システムにとってはハンデにもなり得る」という。「28歳の若者が30年以上も現役で仕事をしている人たちと会話をしなければならないわけです。いろいろな点でズレが生じます」とフュクスは指摘する。
リヴィエールは当時の自分の弱点をこう振り返る。「私の弱さは、最初の2年間、あまりにも“優等生”だったことです」と行政学院出身の彼女は言う。「エリゼ宮のスタッフは世間から孤立しています。自分から議員や民間企業の代表者たちに会いに行くことをあまりしていなかった。優れた顧問はこのコクーン効果との闘いに時間を費やしています」
2016年に文化・市民権担当特別顧問となった彼女は新しい戦略を採用した。「オランド大統領と市民の接点を増やすべく、大統領に知識人を紹介し、非公式のものも含めて大統領が各種施設を訪問する機会を設けるよう務めました」と彼女は続ける。「大統領顧問の役割とは、ひとつの主題に精通することより、外の世界への窓口となることです」
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国籍剥奪
バンシュサンは、女性顧問たちが重要な役割を果たすことも可能だと確信している。2021年7月1日の男性育児休暇改正法の成立や、配偶者間暴力撲滅をテーマにした市民セクターと政府との協議開始に漕ぎ着けたことを誇りに思うと彼女は語る。
女性顧問たちも失望を味わうことはある。「私にとってとてもつらかったのは」とリヴィエールは続ける。「国籍剥奪は断念するべきだ、と十分に早い段階で説得することができなかったことです。より穏健な措置への変更を提言したのですが、無理でした。時間を無駄にしてしまった。十分に強固な協力ネットワークを構築できなかった。タイミングが遅すぎました......」
2016年12月1日、オランド大統領は2期目に立候補しない意向を発表する。演説のなかで元大統領は彼女と意見が対立した問題についても触れた。「彼は任期中の唯一の後悔は国籍剥奪の改憲を提案したことだと語った」と彼女は振り返る。「その後で、一種の親切心からだと思いますが、“あれは君への献辞だよ”と声を掛けてもらいました」
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レオナルダ事件
リヴィエールとオランド大統領の間で意見が衝突したのは、この時だけではない。レオナルダ事件もそうだ。コソボに強制送還された未成年のレオナルダが単身でフランスへ帰国し復学することを認めるとオランド大統領が発表した際、彼女は顧問の立場から大統領の決断は「家族の分断」に当たるとして非難した。「意見がぶつかることがあってもいい。最終的に決断するのは大統領です」とバンシュサンは言う。
差をつけるポイントは何なのか? どうしたら自分の勢力圏を構築して信頼される助言者となり、グループの力を支えにライバルたちから一歩抜け出せるのか? 「同じ提案を押す仲間が何人もいれば、耳を傾けてもらえるチャンスが確実に増えます」とボードンは言う。SNSが隆盛し、視点も多様化しているいまはなおさらだ。
しかし「同時に」同僚たちと一線を画すには、「ビジョンをもたらすこと、つまり新しい形を大統領に提供する」ことが必要だとフュクスは言う。そのためにもちろん専門知識は不可欠だが、肝心なのは、聞く力だとリヴィエールは指摘する。「それこそが信頼の鍵です」と彼女は強調する。相手の話をよく聞き、自分の提案を最も筋道立った方法で提示すること。つまり相手の期待することを正確に、ときには相手よりも先に理解するということだ。
ときには仕事を通じた繋がりが友情にまで発展することもある。大統領府を離れた後も、ボードンはかつての同僚たちと連絡を取り合っている。リヴィエールは友人としてオランド元大統領との親交を保っている。「ただ私たちの関係は、私が顧問だった頃と同じではありません」と彼女は含みを持たせる。任期5年の間の出来事はふたりの間にいまも跡を残している。
ただでさえ顧問という職業は私生活に否応なく影響を及ぼす。2010年代半ばにリヴィエールの任務は悲劇的な色合いを帯びることになった。彼女は2015年1月1日に大統領官房副長官に任命された。シャルリー・エブド襲撃事件が起きたのは着任の数日後だった。
事件発生後にリヴィエールはオランド大統領の昼食に同席した。「被害者にできる限り寄り添うための解決策を誰も見つけようとしない、それが問題だと私は大統領に伝えました。大統領の返事は、“よろしい、ではその件は君に任せます”というものでした。ときには身近な人を失ったばかりの遺族に最初に連絡を取る役割も引き受けました」。「自分の任務の緊急性と難しさ」を思い知らされた1年だった。
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遅刻する母親
それだけに「しっかりした命綱を手元に置いておく」ことが重要だと彼女は話す。「これまでもずっと家族との時間と自分の睡眠時間は確保するようにしていました」と現在40代の彼女は言う。「2015年前後は、朝8時半から夜9時半まで働いていました。夫と一緒に夕飯を取り、その後また夜中まで仕事をしていました」
バンシュサンもまったく同じだ。「ポストに就いたとき、子どもたちは2歳と4歳。この職務には相当のエネルギーをつぎ込む必要があることはわかっていました。でも仕事と家族との生活を両立させたい、両立できると私はずっと考えてきました。自分が築き始めた生活を犠牲にして、仕事を続けることはできないからです。これは根本的な問題だと思います。それに、仕事と距離を取ることもできます。いつも緊急用件に追われて頭がいっぱいという状況を避けられます」
2020年、ボードンの胸にそろそろ次のステップに進みたいという気持ちが芽生えた。「この職業は新鮮な目で物事を見ることが必要です。官房で長期間仕事をしていると、だんだんと新鮮さがなくなっていく」。ポストを離れる前の数年間、彼女は何度か「自分の至らなさ」を感じたことがある。「疲れていると感じたり、女性として罪悪感を覚える瞬間は何度もあります。学校の保護者会にはいつも遅刻し、一度も子どもたちを学校に迎えに行ったことのない母親でした。でも一方で、自分がしていることに誇りを感じる瞬間も何度も経験しました。大切なのはこのバランスです」。2020年春、彼女は「コロナ禍の真っ最中」にエリゼ宮を後にした。
バンシュサンは「その後」のことはまだ考えていない。「官房内に任期満了間近という雰囲気はあまりありません」と彼女は微笑む。「今後数週間のうちに(注:マクロン大統領は2022年5月13日に1期目の任期満了を迎える。彼は4月24日に再選されたばかり)、非常に重要な任務がスタートします」。エリゼ宮を去るときには、誇りと大統領への感謝と寂しさを覚えるだろうという予感が彼女にはある。リヴィエールも胸が締めつけられるような思いだったと言う。
しかし、大統領府を離れた後も人生は続くとリヴィエールは明言する。離職後に2作目の小説『La Maison des solitudes(孤独の家)』(3)を出版した彼女は、2017年にフランス権利擁護機関事務局長に就任した。「オランド大統領からいつもこう言われました。“自分に問うべきことはただひとつ、自分が何を後に残せるか。ほかの人にはできなかっただろう何を残せるか”だと」。大統領たちもまたよき助言者であるという証しだ。
(1)Olivier Faye著『La Conseillère』Fayard出版刊。
(2)Chloé Morin著『On a les politiques qu’on mérite』Fayard出版刊。
(3)Constance Rivière著『La Maison des solitudes』Stock出版刊。
text: Chloé Friedmann (madame.lefigaro.fr)