BWA Award 2022:美しく豊かに働く、次世代のロールモデルたち。 欧州での多彩なアート活動から一転、アジア最大級の美術館キュレーターに。
Society & Business 2022.11.18
「美しく豊かに働く次世代のロールモデル」をテーマに、6人の女性が選ばれた第2回「ビジネス・ウィズ・アティチュード」アワード。彼女たちのビジネスの根底にある思いとは? 仕事を通じて実現したい社会とは? 6人の女性が紡ぐ、仕事と暮らしの物語を紹介します。
*Ikko Yokoyama
M+ リード・キュレーター
1972年生まれ。95年に東京からスウェーデンの森の中の学校へ留学。3年間の田舎暮らしで自分なりの『ウォールデン 森の生活』(H.D.ソロー著)を実践し、デザインやアートを環境的・哲学的に考えるように。その後、ストックホルムをベースに日本、ミラノ、南アフリカなどでさまざまなプロジェクトに関わることで思考・実務ともに鍛えられる。2016年よりまさかの香港生活で、アジアの歴史や価値観を学習中。公私ともども、旅行と芸術鑑賞にほぼすべてを費やす。ICAM国際建築美術館連盟執行役員。文化庁文化審議会専門委員。
https://www.mplus.org.hk/
20世紀以降のアジアの視覚芸術を扱い、2021年11月に香港に開館した美術館、M+(エムプラス)。ここでデザイン&建築部門リード・キュレーターを務める横山いくこは、アジアを俯瞰したコレクションを構築するため、日々奔走している。
M+開館後、ギャラリーツアーなどで幅広く活動する横山。
「ひとつを極めることを讃える旧世代に対して、いまの若い人に多いのが、複数分野を横断する多様性にあふれたスタイル。私にもそれに似た学際的な志向がもともとありました。かつて美術館は、美術館一筋の学芸員が率いるものでしたが、私の場合、美術館で働くのはM+が初めて。固定観念なく、いまのオーディエンスにふさわしい見せ方を柔軟に考えられるというメリットにも繋がりました」
横山が率いるデザイン&建築部門で話題になったのが、M+館内に日本からそのまま移築復元した伝説のデザイナー倉俣史朗による寿司店、きよ友。壁や天井のパネルの隙間をミリ単位で調整し、底目地といわれる目地を3㎜下に落としてタイルに浮遊感を出すなど、隅々まで職人技を生かした倉俣のこだわりが感じられる。
© Lok Cheng Courtesy of M+, Hong Kong
オリジナルの施工を手がけたイシマルの職人たちと。彼らは2020年のコロナ禍での隔離規制が厳しい中で香港に滞在し、困難な作業を進め、そのプロ意識の高さと技術が評価された。
香港移住前、スウェーデンに21年間暮らした横山は、自らを「東西の両方でほぼ同じ年数を暮らしてきたハイブリッド」と呼ぶ。
「経験すべてが糧になると同時に、切り捨てる判断も重要でした」と語る彼女の基盤が構築されたのが、この時代。横山はどんな取捨選択をして、いまにいたる知識と経験を積み上げたのかを紐解きたい。
「中学生の頃からデザイナー志望で、日本の美大で学んだものの、杓子定規なレールにのせられつつあると危機感を覚え、海外でアートの基礎教育を受け直したいとスウェーデンに留学しました」
郊外の森の中にある美術学校では、最初から衝撃を受けた。
「題材としてリンゴを渡され、いつものように写実的にデッサンを始めようとしたら、先生がみんなの様子を見てごらん、と。するとリンゴを食べてしまう人、リンゴが腐っていく様子を撮影する人など、あまりにも自由で。題材にどう向き合うか、というアーティストとしての柔軟な視点を教えてくれているんだと気が付きました」
卒業時には、現地の公共の空間に自身のアート作品が採用されるなど、順調な作家活動が始まろうとしていた。「ところが自分のアトリエを得て、創作活動開始2日目で、アーティストは孤独な仕事で自分には向いていないこと、人と人を繋ぎ、サポートすることが向いていると明確に自覚。キュレーターへの転身を考えることになりました」
長年の努力を思えば急激な方向転換だ。コンストファック美術大学に新設されたキュラトリアル・プログラムで学びながらギャラリーの運営も行っていた横山は、修了後、学内外の展覧会やシンポジウムを企画するエキシビションマネージャーとして大学職員に。
「大学職員を11年続けましたがフルタイムではなく、仕事の6割を大学、残り4割はフリーランスの仕事に費やし、キュレーターはもちろん、日本のメディアに寄稿するライターや取材コーディネーター、消えゆくクラフトを新しい形で保存するNPOの立ち上げなど多彩な活動をしていました。大学での仕事が経済的な支えになり、学びと刺激になる仕事のみを厳選できたのが大きなメリットでした」
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華やかなイメージがあるキュレーターだが、作家や作品のリサーチ、アーティスト支援、展示や設営の監督、解説執筆、支援者との外交などをマルチタスクで進行させる裏方の仕事。「アーティストには癖の強い人もいますから、猛獣使い的な側面もありますね」と笑う横山だが、まさに彼女のあらゆる経験がいまの仕事に生かされていることがわかる。そんな横山に、元テート・モダン館長で、当時M +館長だったラース・ニッティヴェからの誘いが届く。
「日本はアジアのデザインや建築を語るうえで最重要国なので、日本人キュレーターの参加が必須。大規模な美術館に準備期間から参加できることは、人生に一度しかないチャンス!と決断しました」
21_21 Design Sightで『活動のデザイン展』をキュレーションした際、オランダのウィレム・アレクサンダー国王とマキシマ王妃が来日。横山は国王夫妻に展示を案内した。
多彩な役割を同時に果たしてきた横山には、さまざまなジャンルのアートが重なり合うことを愛する面もある。「一般の美術館はジャンル別になっていますが、M+ではアート、映像、デザイン、建築などすべてが視覚芸術として重なることを歓迎しています。私は『広く浅く』ではなく『広く深く』、おのおのを繋ぎ合わせることに喜びを感じるタイプなので、M+とは方向性が一致していました。キュレーターとしてアジアの美術史上、重要な場面に関わることができたのは、これ以上ない幸せです」
22年11月にM+は開館1周年を迎えた。コロナ終焉後に、M+に世界中からビジターを迎えるのが心から楽しみだと言う。
「私自身もそうですが、キュレーターとは、学ぶことが何より好きな人ばかり。若い部下たちにも、常に学び続ける機会を持ってもらえるように体制を整えることも、今後の私にとって重要な役割です」
<審査員コメント>
世界でも話題の「M+」のリード・キュレーターを日本人女性が務めていることに驚いた。 まさにアート・デザインと社会を繋ぐ彼女のキャリアや人の育て方は、日本人女性たちへのエールになり得る。
デザインを中心としてクリエイターを支援するという試みや、国境も軽々と超えていくキャリアは、今後多くの女性たちのロールモデルになると思う。
横山さんのような仕事に光が当たることで、若者の選択肢や未来へのイメージがとても広がるように感じた。自分のことを見つめながら、女性らしくしなやかに前に進む姿は魅力的。
*「フィガロジャポン」2022年1月号より抜粋
photography: Zaref Khan text: Miyako Kai