"マンソン・ファミリー"のひとり、レスリー・ヴァン・ホーテンが53年ぶりに仮釈放に。

Society & Business 2023.07.14

チャールズ・マンソンの信奉者だった女性は半世紀以上服役したのち、米カリフォルニア州知事の拒否権発動を乗り越えて、73歳で仮釈放された。

01-230713-charles-manson.jpg

1971年3月29日、死刑判決を聞いたレスリー・ヴァン・ホーテン(右)とスーザン・アトキンス(左)、パトリシア・クレンウィンケル(中央)。photography: Getty Images

米国で最も凄惨な事件がひとつの幕引きを迎えた。血に飢えた “教祖”チャールズ・マンソンを信奉していたレスリー・ヴァン・ホーテンは、1969年夏に二人殺害した罪で53年間服役し、7月11日に仮釈放された。チャールズ・マンソン教団のメンバーは当時、悪魔的な所業でロサンゼルスに恐怖をまきちらし、何人も惨殺した。犠牲者のひとりは映画監督ロマン・ポランスキーの妻、女優でモデルのシャロン・テートだった。

---fadeinpager---

大麻や幻覚キノコの常用者であったレスリー・ヴァン・ホーテンは、“マンソン・ファミリー”のメンバーとして1969年8月にレノ&ローズマリー・ラビアンカ夫妻を自宅で殺害し、有罪判決を受けた。レスリーは犯行当時19歳だった。

02-230713-charles-manson.jpg

1977年、公判に出廷するレスリー・ヴァン・ホーテン。photography: Getty Images

---fadeinpager---

チャールズ・マンソンに魅せられて

レスリー・ヴァン・ホーテンは1949年8月23日、カリフォルニア州の都市モンロビアで生まれた。信仰心篤い家庭で育ち、アメリカの典型的な中流階級の生活を送っていたが、10代で両親が離婚した頃から家族と距離を置くようになる。大麻やLSDを常用し、17歳で妊娠。中絶を強要した母親と仲違いをした少女はヒッピーとなり、不運にも1968年、チャールズ・マンソンの片腕のひとり、ボビー・ボーソレイユと出会ってしまった。ふたりはつきあいはじめ、レスリーはやがて恋人を追いかけてマンソン・ファミリーの拠点、スパーン牧場へとやってくる。ここは西部映画撮影地として使われる、荒涼とした場所だった。レスリーはカリスマ教祖のチャールズ・マンソンにすっかり魅せられた。ある日、“教祖”は信者たちに殺人を命じた。計画では白人を殺して黒人に罪を被せ、内戦を引き起こすことになっていた。1969年8月9日、信者7人が一台の車で出発した。一行はロマン・ポランスキーの家に向かい、そこにいた5人を殺害した。映画監督は当時ヨーロッパ滞在中だったが、妻で妊娠8カ月だったシャロン・テートは殺された。レスリー・ヴァン・ホーテンは教団の子どもたちの世話をするために拠点に残っていたとされる。

---fadeinpager---

翌日も同じようにマンソン・ファミリーは殺人を重ねた。今回はレスリーも加わり、無作為に選んだ豪邸に侵入、ひと組の夫婦を殺害した。妻のローズマリー・ラビアンカをレスリーはナイフで16回刺した。一味は逮捕され、裁判は1971年におこなわれた。出廷の際、レスリーは信者仲間のスーザン・アトキンスやパトリシア・クレンウィンクルと笑いながらやってきた。髪を短く切り、額に“X”を彫りこんでいる。頭を剃り、自傷行為をした教祖チャールズ・マンソンを真似たのだ。レスリーは死刑を宣告されたが、再審を経て終身刑が言い渡された。

03-230713-charles-manson.jpg

“マンソン・ファミリー”のメンバー、スーザン・アトキンス、パトリシア・クレンウィンクル、レスリー・ヴァン・ホーテン。photography: Getty Images

---fadeinpager---

模範囚

現在73歳のレスリーは「2023年7月11日に仮釈放された」と、カリフォルニア州刑務所管理当局はプレスリリースでAFP通信に伝えた。アメリカの司法制度の下で彼女の仮釈放は既に5回、勧告されていた。しかしながら歴代カリフォルニア州知事のジェリー・ブラウンとギャビン・ニューサムはその都度、拒否権を発動した。2022年に拒否権を行使した際、ニューサム知事はこの女性が「現在、社会にとってあまりにも大きな危険となっている」と述べた。レスリーが刑務所でどう過ごしていようとも知事は頑なだった。

刑務所のレスリー・ヴァン・ホーテンは実際に模範囚だった。獄中で英文学の学士号と人文科学の修士号を得て、女性受刑者のための自助グループを組織している。2002年、レスリーはCNNのラリー・キングのインタビューに応じ、刑務所での自分を「誇りに思う」と語った。同年の仮釈放公聴会では、1969年の犯罪に関与したことを「深く恥じている」と述べ、「殺人を犯したことだけでなく、マンソンのような人物のために行動したことを真剣に受け止めている」と心情を語った。

2023年5月末、カリフォルニア州の控訴裁判所がとうとうニューサム知事の拒否権発動を却下した。裁判官は、模範囚としての態度と「数十年にわたるセラピー」を重視し、「知事の結論を支持する証拠はない」と述べた。

---fadeinpager---

リハビリ施設で1年間

この判決を受け、カリフォルニア州知事はカリフォルニア州最高裁判所への控訴を見送った。控訴すれば判決が出るまで数年かかる可能性があった。7月7日、知事の広報官は「ギャビン・ニューサム知事は、ヴァン・ホーテン氏を釈放するという控訴裁判所の判決に失望しているが、成功の見込みがほとんどないことを考慮し、これ以上の行動をとるつもりはない」と発表した。同時に、被害者の家族は、“マンソン・ファミリー”による殺人の“残忍な衝撃”をまだ感じていることを付け加えた。

レスリー・ヴァン・ホーテンの弁護士ナンシー・テトローは、知事が控訴を見送った後に「これほど早く」仮釈放が実現したことを「とても喜んでいる」と述べた。また、レスリーがこれから「この半世紀で大きく変わった世界に対処するために必要なスキルを身につけるべく、リハビリ施設で1年間」過ごさなければならないことも明らかにし、今後レスリーが「刑務所で取得した資格(中略)を活かせる仕事を探していく」ことを明らかにした。

text: Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr)

Share:
  • Twitter
  • Facebook
  • Pinterest

いいモノ語り
いいモノ語り
パリシティガイド
Business with Attitude
フィガロワインクラブ
BRAND SPECIAL
Ranking
Find More Stories