ル・コルビュジエ建築とデザインを巡る、サン・テティエンヌの旅。 #01

世界遺産、ル・コルビュジエの建築群を見にフィルミニへ。

特集

上野の国立西洋美術館が世界遺産に登録されて以来、建築家ル・コルビュジエ(1887〜1965)の名前が気になる、彼の仕事をいろいろ見てみたい!というのであれば、迷わずフランスのローヌ=アルプ地方の街、フィルミニへ向かおう。ここで待つのは、2016年に世界文化遺産に登録された7カ国17作品のうち、ヨーロッパ最大規模の彼の建築群。それらは異なる役目を持つ4つの建物で、現在も設計当時と同じ目的で使われているのが珍しい。パリから直行列車に乗り、約3時間でサン・テティエンヌ・シャトークルー駅に到着する。この街を歩くのは後にして、まずはローカル線に乗り換え、約20分でフィルミニ駅へ。

171201Site.jpg©JM Pastor Totem Fondation le Corbusier ADAGP 2017

フィルミニで見学できる文化会館、競技場、サン・ピエール教会、ユニテ・ダビタシオンの4つの建築物は、近代建築の父と呼ばれるル・コルビュジエの生涯最後の仕事である。1965年8月に南仏で亡くなった彼。その3カ月前に、最初に竣工した文化会館を訪問したのが彼のフィルミニ訪問の最後となった。残り3つの建物は、彼の設計を他の建築家が介入して完成に至っている。なお競技場の脇のプールは、彼が場所を決めただけに終わったため、まったく別の建築家によってコンクリート打ちっ放し、ガラス窓のある空間など、ル・コルビュジエのエスプリを継承した設計がなされた。

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フィルミニのル・コルビュジエ見学の受付は、文化会館の中にある。

なぜフィルミニにル・コルビュジエの建築 が4つも ? サン・テティエンヌは18〜19世紀の産業革命のおかげで炭鉱が開発され、成長を遂げた街である。その近くのフィルミニにも多くの工場が生まれ、大勢の労働者たちが暮らす街へと発展。戦後の復興開発の一環として、1950年代にフィルミニ=ヴェールと呼ばれる近代的な地区の開発が始まった。緑化地帯を守るため、リヨンなど周辺の建築家たちによる上にのびる垂直な建物が建てられ、次いでル・コルビュジエが文化施設、スポーツ施設、教会、そして住居の建築のために、都市開発に参加することになったのだ。

>>緩やかにカーブする屋根と4色の窓が特徴的な、文化会館。

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緩やかにカーブする屋根と4色の窓が特徴的な建築。

文化会館(工期 1961〜1965年)

フィルミニの4つの建築物の中で、ル・コルビュジエが建物の完成を唯一見たのが文化会館だ。亡くなる3カ月前に開館式に出席した時の写真が、会館に残されている。コンサート、講演会、ワークショップなど文化的活動のために建てられ、そしていまも構想時の目的どおりに活用されているのが素晴らしい。

駅やバス停から建物に近づいていくと側面からこの建物を見ることになり、その壁の大きな傾斜と緩やかな曲線を描く屋根に目を奪われるだろう。 この壁と屋根のイメージを目に焼き付けておくと、内部見学に役立つはずだ。また側面に設けられた縦長の細い窓の周囲の4色も、気に留めておこう。

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文化会館の壁の傾斜の内側には、階段席のオーディトリアムが設けられている。ル・コルビュジエの機能へのこだわりと建築様式を反映した内部の家具や調度品のデザインはピエール・ガリッシュによるもの。

現在、 競技場と向かい合わせに独立して建っている文化会館だが、ル・コルビュジエが設計した時は競技場とひと続きの建物、という予定だったという。 競技場の階段状の座席部分を後方から文化会館の壁が屋根のように覆う目的で、壁に大きく角度をつけたのである。最終的には文化会館と競技場をふたつの別個の建物として向かい合わせに建築することになったのだが、ル・コルビュジエは予定どおり斜めの壁を維持し、会館の設計図に手を加えなかった。建物に入る前に目にした大きな側面の傾斜の謎がこれで解けただろう。この傾斜を可能にしたのは、鉄筋コンクリートの使用である。

カーブを描く天井に目を向けてみよう。天井の両端に黒いケーブルが渡してあるのが見える。屋根を支えているのは、これらのケーブル。それによって、従来の建築物で不可欠だった屋根を支える壁が不要に。そのおかげで空間が広くとれ、またガラスの壁も大きくとれているのだ。

さて、その広くとられたガラスの壁の区切り方が均一ではないことに注目しよう。ル・コルビュジエが建築したラ・トゥーレット修道院と同様に、ここでもヤニス・クセナキスが音楽の譜に見立てて、リズムを感じさせるようなガラスのスペース配分をしている。彼はル・コルビュジエの建築事務所で働いていたが、設計だけでなく、作曲もする音楽家だった。

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リズミカルに区切られたガラスのはまった開口部。

会館内を見学すると、赤、青、緑、黄色の4色が気になってくるだろう。内装設計を行ったのは、アンドレ・ヴォジャンスキーとピエール・ガリッシュ。ル・コルビュジエの建築物でよく使われている色を研究して、彼らはこの4色を使用した。これは人生に必要不可欠な喜びとル・コルビュジエが呼ぶもので、太陽は黄色、空間はブルー、自然はグリーン、そして生命は赤という4色である。後で訪れるユニテ・ダビタシオンでも、これらの色が扉に使われている。

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内部に使われている赤、黄、青、緑の4色。

受付フロアの下の階が、人々が会話を交わしたり、集合したりといった広間、フォワイエだ。中央の黒い暖炉、これは現在は使用されていないが、ピエール・ガリッシュがデザインした。ちなみに、フォワイエには釜戸や暖炉の意味もある。
ここでは暖炉の後方の壁にル・コルビュジエによるタペストリー、そして階段と一体化するように設計されたテーブルを見ることができる。

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下を通る人が頭をぶつけないようにと、ル・コルビュジエはフォワイエの階段とテーブルを一体化させてデザイン。壁のタペストリーはル・コルビュジエが残した30点のうちの1点である。

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 フォワイエから、向かい側の競技場、その後方の教会を眺められる。

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文化会館の競技場側。採石場跡地に建てられた建物で、会館から競技場への階段の下の崖場の部分に石炭や砂岩の層を見ることができる。階段の下は主に夏場に野外劇場のステージとして使われ、円筒の中の螺旋階段を使い、出演者は建物内の楽屋からステージに降りるそうだ。

>>フランスで唯一、ル・コルビュジエが手がけた競技場。

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フランスで唯一、ル・コルビュジエが手がけた競技場。

競技場(工期 1966〜1969年) 

競技場と文化会館がひとつの合体した建物ではなく、独立したふたつの建物となったことについては、ふたつの理由が考えられるそうだ。文化とスポーツは役所の管轄が異なり、予算の出どころの問題があったということがひとつ。もうひとつは、向かい合わせに建てて調和をとり、アクロポリスのようにするほうが美的だろうという考えからというものだ。

陸上競技用のトラックは400メートルあり、観覧席は立ち見も含めて4,000名が収容できるという。これは現在のフィルミニの街のサイズから考えると大きすぎるように思えるが、1953年にル・コルビュジエがこの競技場の構想を始めた時の市民の予想数は20,000〜25,000人だったことから。しかし、産業の衰退により人口は17,000人に留まったとか。

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現在も市民が利用するコンクリートの競技場。後方に見えるのはサン・ピエール教会と1950年代の都市開発時に建築された住宅。

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トラックを挟み、競技場と向かい合って建つ文化会館。この建物が逆向きで競技場の後方に、というのが設計当時の予定だった。

建築に使われている素材は、鉄筋コンクリート。圧巻は観覧席の中央に張り出した板状の屋根だろう。鉄筋コンクリートの強みを生かし、32×16メートルという大きさだ。入場者たちはル・コルビュジエが「観客たちの大通り」と名付けた屋上テラスを経由して、階段状の観覧席を降りてゆく仕組みとなっている。ちなみに、ここはフランスで唯一のル・コルビュジエによる競技場!

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急勾配の観覧席の中央に、鉄筋コンクリートの屋根が張り出している。階段席の下は、競技者たちの更衣室。

>>神秘的な光の戯れを楽しめる、サン・ピエール教会。

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神秘的な光の戯れを楽しめる、ル・コルビュジエの21世紀唯一の建物。

サン・ピエール教会(工期 1973〜2006年)

すり鉢状にへこんだ採石場跡を競技場の場所に選んだことで、ル・コルビュジエは大きなトラックと観覧席を設けることができたが、教会の建築に選んだ場所はあいにくと地盤が不安定な土地だった。それゆえに、1960年代のはじめに設計を終え、模型も作り、1964年の完成を予定していたものの、工事の着工は彼が亡くなった8年後となってしまったのだ。さらに、四角い土台をつくったところでオイルショックにより工事は中断。その後25年間、そのままの状態で教会は放って置かれることに……。2000年代に入り、 教区から教会を寄贈されたサン・テティエンヌ・メトロポール(都市圏共同体)によって、工事が再開された。完成したのは2006年11月。たった11年前のことだ。ル・コルビュジエによる21世紀の唯一の建物と呼ばれるのは、それゆえ。

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散歩をするように左側のなだらかな通路を辿ってゆき、建物上層部の教会内に入る。ル・コルビュジエの設計によく見かけられるこの建築的プロムナードは、建物をさまざまな角度で体験できるようにという意図で設計されている。下層部は司祭のためのスペースとして設計されたが、現在はル・コルビュジエ建築群の解説展示場に使われている。

教会としてユニークなのは、内部が十字ではなく、四角という珍しいつくりであること。ここがフィルミニ=ヴェールに暮らす職人たちのための教会であり、また街の人々と彼らを結ぶ場でもあったことから、教区がリクエストしたそうだ。内部では、残響が長く続く。ミサの場合はそれが仇となり話が聞きづらいのだが、残響は音楽には悪くない……ということで、ここでは2年に一度、合唱フェスティバルが開催されている。

この教会、晴れた日に訪問できたら幸運だ。というのも、晴天時には祭壇後方の壁に、複数の開口部から射し込む光によってまるで星が瞬くような光景を見ることができるからだ。そして上を見上げると、流れ星の残光のようにコンクリートの壁に光が流れる。明かり取りの窓の内側に色が塗られていることによって、壁に差し込む光がピンクや黄色を帯びて……教会内で神秘的な光の遊びを楽しむには、太陽あってこそ。

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太陽が出ると、教会内はカメラを構えた大勢の人々が場所争いをするほどの美しい光景が見られる。

>>愛らしい幼稚園も備えていた、 ル・コルビュジエによる集合住宅。

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愛らしい幼稚園も備えていた、ル・コルビュジエによる集合住宅。

ユニテ・ダビタシオン(工期 1965〜1967年)

ユニテ・ダビタシオンは文化会館から徒歩で10分くらいの位置にある集合住宅で、現在も1,000人近くが生活している。ここは他の建築物と異なり、ガイドなしには内部の見学ができないことを忘れないように。

もともとはフィルミニ=ヴェールだけでなく、フィルミニ・シャゾーにも開発地区を拡大して、合計3棟のユニテ・ダビタシオンが建築される予定だった。3棟の中央には商店が並び、交通手段もあって……と。しかし、産業の衰退による人口減少に伴い、この第二次都市計画案だった拡張工事は白紙に戻され、1棟だけが建築されたのだ。完成を見ることは適わなかったが、1965年にル・コルビュジエは文化会館の竣工に立ち会った際に、このユニテ・ダビタシオンの礎石を置いている。

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文化会館で展示されている3棟のユニテ・ダビタシオンの模型。後方の2棟は建築されずじまいとなった。

低所得者用の住宅として建築された当時は、20階建ての建物の中にワンルームから6部屋タイプまで6種のアパルトマン(30〜114平米)が合計414戸、最上階に幼稚園、その上にステージを備えた屋上庭園があった。1フロアに60戸のアパルトマンがあり、住民のためのテレビ室や読書室も備えた建物を地区のイメージでとらえたル・コルビュジエは、各フロアを1階、2階ではなく、第1ストリート、第2ストリートと名付けた。第1ストリート(プルミエール・リュ/日本では2階)につくられたモデルルームは当時のまま保存されていて、見学することができる。

テーブル、椅子、キャビネット、照明器具……備品、調度品は文化会館同様、ピエール・ガリッシュがル・コルビュジエの思考に倣ってデザインしたものだ。 80平米からなる4部屋のモデルルームは、1階がキッチンとダイニング・リビング、2階が3つの寝室とバスルームで構成されたデュプレックス。上のフロアは通路の上をまたがり、建物の反対側まで貫かれている。これとは逆に、玄関フロアから寝室とバスルームへ降りてゆく、というつくりのデュプレックスも。建物の端から端まで横切るつくりは、最大限の採光を得られるという利点がある。毎日、窓の外に広がる素晴らしい自然を眺めて暮らしている住民たち。羨ましい限り !

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「ストリート」と呼ばれるフロアに並ぶアパルトマン。ドアの色は赤、黄、緑、青の4色だ。

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建築当時のままのモデルルームは80平米のデュプレックス。ピエール・ガリッシュが光、色、素材をル・コルビュジエの思考に倣って追求した家具や調度品が備えられている。低所得者用の住宅であり、また当時はさほど普及していなかったこともあり、キッチンには冷蔵庫を置くスペースがない。その代わり、生鮮食品などの配達を受け取れる大きな荷受けが廊下に面して備え付けられているのが面白い。

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アパルトマンの両端が自然に向かって開かれている。

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モデルルームのデュプレックスの上階。現在も3分の2は賃貸のままだが、3分の1は購入用のアパルトマン。購入者の中にはシャンブルドットを運営している家もあり、ユニテ・ダビタシオン宿泊希望者はサン・テティエンヌ観光局のサイトから予約ができる。

さてユニテ・ダビタシオンの建物の正面を前にした時に、左下のコンクリートの壁に腕を上げた人型が彫られているのが目につくだろう。有名なル・コルビュジエのモデュロールが図解されているのだ。人が立って片手を上げた時の指先までの高さを黄金比で割り込み、それを建築基準にするというもの。その計算に基づいてユニテ・ダビタシオンは建てられている。建物の見学後に、この図を見直すと理解しやすいだろう。

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ル・コルビュジエの設計をアンドレ・ヴォジャンスキーが完成させたユニテ・ダビタシオンは、幅131メートル、奥行き21メートル、高さ57メートル。photo Office de tourisme de Saint-Etienne

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外壁に彫られたモデュロールの解説。

最上階のフロア全体を占めていた幼稚園。現在、その半分を見学できる。なぜ、これほど広いスペースが幼稚園に充てられたかというと、建築予定だった3棟のユニテ・ダビタシオンに暮らすことになる子どもたちを迎える場所として設計されたからだ。幼稚園として機能していたのは、1968〜98年までの30年間。 子どもの数が減少してゆき、さらに消防法の基準に合わないということで閉鎖されてしまった。

内部は3〜6歳の子どもたちの体格に合わせて設計されている。工作や遊戯をする場は壁がないフリースペースとなっていて、静寂が必要な時だけ引き戸で部屋を仕切るというつくり。屋上庭園、建物外観とともに、1993年にここも歴史的建造物に指定された。現在、かつての幼稚園の残り半分のスペースは、ジャン・モネ大学の文化財学科が所有し、講義が行われている。

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エントランス・スペース。これが幼稚園とは!

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廊下の明かり取りは教会同様にフレームに彩色が施されている。ランプシェードは赤でまとめられ、陽気でポジティブなエネルギーが感じられる幼稚園。

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3〜6歳の子どもたちのための家具は、小さくてカラフルで、ミニマルながら愛らしい。  

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スロープを上がり、見晴らしのよい屋上へと。

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フィルミニ ル・コルビュジエ建築群
Site Le Corbusier
Boulevard Périphérique du Stade
42700 Firminy
tel: +33 4 77 61 08 72
www.sitelecorbusier.com
営)10時〜12時30分、13時30分〜18時
休)12/25、1/1(9月〜6月は火曜休館)
自由見学料:6.50ユーロ
ガイド付き見学料:9.50〜17ユーロ

réalisation & photos : MARIKO OMURA

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