これさえあれば、幸せ! 最果タヒ|やらなくてもよい、がよい。

Beauty 2021.10.18

色がキレイ、パッケージが可愛い、いい匂い、気持ち良い感触……気分を上げてくれるコスメの存在は肌と心のお守りのようなもの。たまにはルーティンの手を抜いたっていい。ボーテスター最果タヒにとっての、心地いいものとリチュアルとは?


やらなくてもよい、がよい。

文/最果タヒ

止めどなく仕事するの嫌だな〜という気持ちで、最近筋肉を育てています。

仕事は好きですし、達成感ももたらしてくれますが、達成するのが人生の全てなのか? みたいなことを考えてしまうこともあり、「やりたいときにだけやる」こそを優先したいと思うのです。人生を効率よく「結果」に変換するなんて、なんだか面白くないし、できれば「自分の人生には限りがある」という事実には振り回されたくない。仕事だって達成感だって好きだけど、「なんのために生きるのか」みたいな問いから自分を解放したい。幸せにならなくてはとかそんなのは、知らん間に生まれていた自分が、本当に考えるべきことなのでしょうか。

と、いうことで、使いようもない筋肉を育てています。私は運動が心底嫌いなので、自主的に体操をすること自体が人生初です。健康のためとか目標があるわけでもなく、むしろそんなものが目の前でちらついていた時は絶対にやろうと思いませんでした。今も、体力がついたり見た目が少し変わったりで、「ラッキー」と思うことはありますが、「何かのためにやった」という実感はなく、ただなんとなく始めて、なんとなく続いている。やればやるほど「こんなことはやらなくてもいいことだな」とさえ思うようになっているのです。

自分のことを愛する、とかはよくわからず、でも服や化粧や美容室で髪の色を決めるのは好きで、そういう瞬間瞬間の最終地点として「鍛えてもいいのでは?」というのがあるし、同じくらいの可能性として「鍛えなくてもいいのでは?」もある。自分をよりよくするというよりは、誰よりも自分が決定権を持っていると気づけた喜び、というのが大きく、服も化粧品も、その「決定権」を行使できるから楽しいのだ。体も、それはほぼ同じ。鍛えたらそれなりに好きな服がよくみえるようになったので、「いいじゃ〜ん」などと思ったりもするが、結果が出れば出るほど、これも服と同じだなあと思う。これは、ただの趣味だなあ、健康でも義務でもなく。好きだと思った服が似合うのか? 似合わないのか? の勝負を試着室でするように、なんとなく鍛え、それを続けて、しばらくしてからどうなのか? と鏡で確認をするような。よい変化があれば嬉しいし、この服買います! と叫びたくなるように筋トレ続けます! と思う。けれど、この勝負の結果に本心ではそんなに執着していなくて、勝負するかどうかや買うかどうかを決められるってことが、気持ちいいのかもしれない。筋トレはやらなくてもよいこと、とやり始めてからはっきり思うようになっていた。

未来の自分がよりよくあるためにやるべきことはあるでしょう、やっておけばよかったと思うことは今だって多々あるし、どうせ正解とかあるんだろうなあ〜、みたいなめんどくさい気持ちはあります。けれどそういう考えに、やってみた筋トレが「いやそれほどでもない」と伝えてくるのが好きでたまらず、結局マイペースに筋肉を定期的に育てているのです。

同じことだなと仕事に対しても思う。仕事とは生きるためだというのもあるし、好きなことにお金を使うためでもあるし、さまざまな「何かのため」でもあるけれど、でもどれも本当は、「今この瞬間にこの仕事をしなければならない理由」にするには不十分で、でももしかしたら、だからまだやっていけるのではないか、なんて思う。本当は他の仕事でも、今より少し後でもよく、でもその「そこまで絶対じゃない」ということが、今この仕事を私が投げ出さない理由なのかもしれない。止めどなくって思ってたけど、そこまで受動的だったことなんて一度もないなと思い始めた。なんだかんだで10年後も、なんだかんだの自分でいるだろう。今かなり自分は「なんだかんだ」だから。そして、だからこそ10年という年月が、そんな怖くないなと思えています。

 


*「フィガロジャポン」2021年11月号より抜粋

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