2020年3月のパリ日記 #03 外出禁止 1週目
3月17日正午から外出禁止の措置が取られているフランス。「パリ街歩き、おいしい寄り道」では番外編として、外出禁止前から現在までのパリについて、日記形式でエッセイ風に綴ります。今回は施行直後の3月18日からの19日まで。
前回までの記事はこちらから>>#01、#02
[Le jour d'avant et le jour d'après]
-その日の前、そして、後-
3月18日(水)
とてもいい天気だった。
朝、目が覚めると、傍に置いている婦人体温計に手を伸ばし、口に突っ込む。
いつものその動作をしようと体温計のありかを手で探り、ちょっと首を動かした時に、異変を感じた。
ん? 寝違えた?
背中が板になったかのようだ。ベッドと一体化してしまったかと思うほど、動かない。
頭もしかり。枕で型取りでもするかに思えるほど、すっぽりはまっている感じがした。
寝違えただけならよいけれど、それにしてもこんなの初めてだな、とあっけにとられた。
外出禁止が始まった朝、起きようとしたらギックリ腰、なんてシャレにならない。
熱は36.52度。
ひとまずホッとして、どうやったら起き上がれるだろう? 身体をまず横にすればよいかな、と慎重に右半身を持ち上げるように動かすと、痛みに息をのんだ。
起き上がるのに20分近くかかった。
立ち上がると、楽になった。
歯を磨くのも口をゆすぐのもどうにか大丈夫だったけれど、うがいは困難だった。
いつもは、歯を磨いてから、ヨガのポーズを4つか5つ取る。
ほんの5分くらい。
深く呼吸をすることから1日を始めたくて、2年半ほど前から続けている日課だ。
でも、この日は、それが難しかった。
それで、湯船にゆったり浸かることにした。
いつものルーティンは今日から、お休みだ。時間はある。
メールを送らないといけない件はあったけれど、昼頃までに送れば問題ない。
日本から出張でパリに来た人に、「余ったの、置いていく」といただいて、温存していた温泉の素を使うことにした。
平日の朝、お風呂にゆっくり入るなんて贅沢だなぁと思いながら、浴槽に身を沈める。
この数日、緊張して過ごしていたのかもしれない。
いきなり動きが止まったことで、気が緩んだのかな。
土曜の夜にレストランの営業停止が発表されてから、日本の週明けに合わせて、連絡を入れないといけないところにはメールを送っていた。
連載も、外出禁止が延長になった場合の代替案、共同連載についてはお休みにするなど、話は進めてある。すでに取材済みで月末に更新予定だったものを、そのまま更新するか時期を見合わせるかは、来週の相談でも問題ないだろう。
窓の外が明るい中で入るお風呂は、すっかり気持ちをリラックスさせた。
気持ちほどではなかったが、身体も、少しほぐれた。
ラジオからは、1日に何度も同じフレーズが流れてきていた。
「もし咳が出る、熱があるなら、あなたは病気かもしれません。その場合は、家にいてください。人とのコンタクトを制限し、かかりつけの医師に連絡してください。普通は、数日休めば治ります。それでももし、呼吸が困難であったり息切れするなど、症状が悪化していたら、いますぐ15(緊急医療救助サービスの番号)に電話を」
私の場合、熱もなければ咳も出ていない。
ただ、もしかしたら免疫力は落ちているかもしれないから、ともかく休んで、回復しよう。
招かれざる医療崩壊のための外出禁止措置にあって、いまできることは、まず、家にいる。そして、自分が医者にかかる必要の状態にならないこと。
この2点だ。
朝ごはんは、2日前にCircus Bakeryで買っていたシード入りの食パンをトーストし、バターとハチミツで食べることにした。それにリンゴとカフェオレ。
このシード入り食パンは、切り売りも、スライスもせず、1斤まるのままで売っている。
初めて買う時には、多すぎないかと思ったけれど、杞憂に終わった。
端の部分を残して、切り口を塞ぐように保存すれば、4、5日はしっとりしたまま持つ。
うれしいことにこのパンは、しっかり食べた後でも、胃が軽やかなのだ。1年半ほど前、本の原稿を仕上げるために家に閉じこもった期間、私の食生活の主要アイテムだった。
サラダやスープに添えるのではなく、トーストでこのパンをメインに食べる時には、2.5cmくらいの厚さにスライスする。
たんまり入っているシード類が、トーストすると香ばしさを増す。これにはアカシアではなく、クリーミーな春の花のハチミツをたっぷりつけて食べる。
朝食を終えて、食器を片付けてから、パソコンを開いた。
右手でクリックすると、痺れが肩まで走った。
あちゃ。
指先を触ると、両手とも冷たい。特に右手。
なんか、仕事するなって言ってるみたいだなぁ……
身体の訴えに耳を傾けつつ、送らなければいけないメールを送って、パソコンを閉じた。
そうだ、足つぼマット。
目に入った、黄色いゴム製の足つぼマットの上に立ち、ゆっくりと足踏みをしてみる。気持ちいい。手もあっという間に血の気を取り戻し、身体全体がポッポポッポしてきた。
身体の様子を窺いながらゆるゆると過ごした。
少しずつ、やめたほうがいい姿勢がわかってきた。
現金なことに、お腹は空いた。
足つぼマットを台所に持っていき、その上に立ってゆっくり足踏みしながら遅めのランチを用意した。クレソンとアンディーブに茹で鶏を加えたサラダ、それに、ポロ葱をたっぷり小口切りにしてパセリの根と一緒にレモンバターソースパスタを作った。
パセリの根は、爽やかなゴボウといった風味で、私はよく使う。
飲食店が営業停止となってから、知人に差し入れをするかもしれない予定があったおかげで、食材をたくさん買っていた。
煮込みやスープにして保存が効く状態にすれば、2週間くらいは、買い物に出ずとも難なく過ごせそうだ。
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毎日のように状況が変化してきたここまでの1週間と、基本的には家に居続けるこれからの2週間。その狭間にいる感じがした。
報道では、“前例のない”という言葉が頻出していた。
この1週間でとても気になっていることがあった。
1週間前の木曜日。
20区にあるビストロ「Baratin」にランチに出かけた。
晴れていれば、帰りは決まってレピュブリック広場まで歩く。
ベルヴィルの坂を下って、まっすぐ行くと着く広場の手前に、「Aux Péchés Normands」というブーランジュリーがある。
私はここのパンが好きで、前を通ればほぼ例外なく、立ち寄る。
ここにしかない! という引きの強いパンでも味でもなくて、もし学校や職場の近くにあったら毎日何かしら買いに寄るだろうな、と思うオーソドックスなおいしさが好みだ。
この日も自然に足が向かった。
パン・オ・レザンをひとつだけ買おうとしたら、小銭がなかった。
「カードでもいいですか? 20ユーロ札ならあるのですが……」と聞くと、「もちろん! カードで大丈夫ですよ」と言われた。
以前は、クレジットカードおよびデビットカード(フランスではクレジットカード機能付きのデビットカードが一般的)での支払いは8ユーロ以上、あるいは15ユーロからなどと最低限度額が設定されていることがほとんどだったが、コンタクトレス決済(ワンタッチ決済)が浸透し、すっかり状況は変わった。
いまでは、1.30ユーロのパンを買うのにもカードでまったく問題ない。
コンタクトレス決済は、一度の支払いにおいて30ユーロまでという限度額があるものの、日常の買い物では少額の場合こそ現金で払っていた私などは、それらをカード決済するようになったことで、かなり現金を使う機会が減った。
それが、このコロナウィルスの1件で、一気に加速した。
トイレットペーパーを探しに巡った近所のスーパーは“支払いはカードのみ”としていた。
確かに、現金は、いろいろな人が手にする。
カードでの支払いで、おまけに30ユーロ以下の買い物であれば、暗証番号さえ押す必要がない。カードリーダーに、クレジットカードをかざせばOKだから、非接触で支払いを済ませられる。
レジで順番待ちをしながら、紙幣の存在感がどこにもないなぁと毎度眺めていた。
紙幣の価値が変わることも、あるかもしれないよなぁと想像した。
“前例のない”という言葉を聞くと、私は、このことが頭に浮かんだ。
鐘が鳴って、20時だと気付いた。もう、ニュースの時間だ。
そう思って、立ち上がろうとしたら、人々が静かに集っているような、拍手が聞こえてきた。
耳をすませると、表通りではなく裏のほうからのようだ。
バスルームの窓を開けたら、拍手がこだましていた。
前夜、友人からメッセージを受け取った。
「みんな、20時になったら、窓辺に! バルコニーに! 医療スタッフ、消防士たちに拍手を送ろう。明日から毎晩、20時ちょうどから。
はじめは数人しかいないかもしれない。でもきっと少しずつ広まっていく!」
メッセージは、転送されてきたものだったから、もしかしたら、外出禁止が施行された前日の夜からすでに、始まっていたのかもしれない。
遅ればせながら拍手に参加して、「明日は20時に窓辺に立とう」と思った。
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3月19日(木)
朝、楽しみがあった。
取っておいた「Circus Bakery」のアップルパイを食べようと決めていた。
この店のシナモンロールも、カルダモンロールも大好きだけれど、アップルパイが実はいちばん好きかもしれない、と食べるたびに思う。
いつもよりゆっくりとヨガをして、お風呂に入った。
身体は相変わらずかちんこちんだったが、目覚めてからそんなふうに過ごした朝に、アップルパイで朝ごはんなんて、最高だ。
この外出禁止が発令されてから、「Circus Bakery」は、デリバリーサービスを始めた。
配達可能地域は1区〜7区と中心地に限られたが、少しずつ広げていくつもりらしい。
(4月17日現在、すでにパリ全区に配達しています)
デリバリーは、荷台を取り付けた自転車で回っているようだ。
その様子をインスタグラムのストーリーズに挙げていて、見ていると、暮らしている街なのに、旅をしている気分になった。
届けた先で、ドアの取っ手に商品の入った袋を引っ掛けた、配達完了の図がいくつもアップされていた。そしてその間にパリの街の風景が登場する。
実際には見ることの叶わない、自分の住むエリアからは離れた、人も車もいないパリの街角の様子は、知っている風景なのに、非現実的だ。
前日は、ほとんどSNSを見ずに過ごした。
1日、間を空けただけなのに、投稿にはレシピが急増していた。
少なからずの人が、いまできることを、始めているようだった。
幸か不幸か、携帯の画面をスクロールすることにも、痛みを覚えた。
私も何かしなくちゃ、と焦りが沸き起こるのを阻止するかのように。
それで、すぐにアプリを閉じた。
午後、1枚、カードを書いた。
穏やかな文面にしたかったしそうしたのだけれど、実際に書いてみると、いつもと変わらぬ日常を送っているかのまま終わらせるのは、白々しい気がした。
迷った末、「日常が早く戻ることを祈るばかりです」という一文を加えた。
本当の気持ちだ。でも、同時に違和感も自覚していた。
家の裏にある小学校から聞こえてくる子どもたちの声や始業のベル、街の喧騒、握手を交わし頬を寄せ合ういつもの挨拶、友人との食事。
そういったことが当たり前だった日常が、早く戻るといい。
けれども、いまは別の“日常”を過ごしていて、そして、この先に現れる日常は、これまでのものとは違うだろうことをすでに感じている。
それなのに、遠からず訪れてほしいと願う未来の日常は、戸惑うほどにイメージできない。
窓から差し込む光は黄色みを帯びて、まさに春の訪れを感じさせる陽気だった。
外は静かだ。
窓の外に目を向けながら、思った。
「一度、全部、やめてみよう」
そうしたら、なにか見えるかもしれない。
いまできることは何か、と考えるのをやめてみよう。
自分にとって大事なものは何か、とあらためていま問いかけるのをやめよう。
大切にしたいことやもの、人への思いを、いったん、手放そう。
空を見上げて、初めてフルマラソンに参加した時を思い出した。
それなりに準備をしたとはいえ、42.195kmは未知の世界で、自分がそんな距離を完走できるとは想像し難かった。
「完走できたら、なにか見えるかもしれない」
そう思った時に見上げた、あの日の空を思い出した。
途端に、風通しのよい心持ちを感じた。
いつのまにか力の入っていた手を、ほわっと解く。
“私は、ここで生きていく”
身のうちに、そう、ふっと湧いた。
その夜、20時を告げる鐘が鳴る前に、拍手が始まった。
私も窓辺に立って、参加した。
22度まで気温が上がり、朗らかな1日だった。
地中海沿いや大西洋沿岸では、外出許可の理由として認められている“自宅周辺の散歩”を、海岸で楽しむ人があまりに多く、海辺の閉鎖が決まったとニュースが告げていた。
続く。
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