ボローニャ「森の家」暮らし

まだまだ続くワクワクヴァカンス。盛りだくさんの8月。

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じりじり暑い真夏の太陽の季節。でもときどき降ったモンスーンのような雨のおかげで、今年は8月も畑に水やりをあまりせずして元気な野菜がたくさん採れた。

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見逃したズッキーニは巨大に。

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毎日飽きずにいろんな料理にして食べた。私がいちばん好きなのはオーブン焼き。子どもたちはおそらくズッキーニとレモンのパスタソース。

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トマトも豊作。生でも煮込んでもオーブン焼きでもなんでもおいしく、毎日食べ続けている。

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果物はプルーンに5種類のリンゴ、ナシ、洋ナシ、ブラックベリーにラズベリーがたくさん採れた。

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8月中旬を超えると暑さが和らいだので、ガーデンセンターに。ブロッコリー、ケール、フェンネルなど、秋冬野菜の苗を入手。

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今年は一カ月早く新しい季節に向けて畑を準備できてうれしい。

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8月6日は、毎年広島原爆の追悼イベントで灯籠流しがボローニャの運河で行われる。

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まだ早かったので、すぐ脇で週一開催されるメルカートに。メルカート・リトロバート(カムトゥギャザー市場)、年間の大半は水曜の夕方と土曜の朝行われるのが、夏場は水曜の夕方のみ。友だちのアリーチェがDJをしていて、グッドバイブスを放っていた。

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バカンスに行っていない人たちがみんな集まっていのではないかというくらい、たくさんの人。随分ご無沙汰だった友だちにもたくさん会って、まさにカムトゥギャザーだった。

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八百屋、魚屋、パン屋、チーズ屋、ビール屋他、たくさんのフードスタンドが並ぶ。

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魚屋でイワシのグリルとパン屋でクレシェンテを買って、友だちのジャーナリスト、べべことベネデッタとパニーニに。アリーチェがDJをしていたバールでノンアルコールのカクテルを頼んだら、ビーツ、ジンジャー、レモン、ハチミツなど、メルカートスペシャルドリンクで美味しかった。

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日が暮れて運河に向かうと、能のパフォーマンスが行われていた。

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べべと灯籠を購入。灯籠の売上金はすべて子どものガンの研究をする組織に寄付された。

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この日は6,000ユーロもの売上があり、この組織がチャリティイベントから受け取った中で最高額だったとか。

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みんなそれぞれ平和を祈るメッセージを書いた。

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祈りが届きますように。

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8月8日はライオンズゲート。毎年地球と宇宙、特にシリウスやオリオンとの間にポータルが開き、宇宙からのエネルギーが力強く降り注ぐ時期と言われる。ポータルと聞くとワクワクするのは私だけではないだろう。メルカートでアリーチェに会った時、明後日はライオンズゲートだね、というと、「そうなの! シモーナ(前の写真、アリーチェの隣)とどこか丘の上でメディテーションしに行こうって話してたとこなの」という。それならうちにおいで!と誘って、一緒にこの日を過ごすことに。

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プールで遊んでテラスでランチして、ハンモックでうとうとして。

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三女のたえはアリーチェにホップの蔓と野花で王冠を作った。

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シモーナはタロットカードを読んでくれた。実におもしろいリーディング。

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そして丘の上、夕陽を拝みながらメディテーション。クンダリーニヨガの講師でもあるシモーナがガイドしてくれた。思わぬしてこの日がみんなにとってスペシャルになったのは、きっと天の導き。世の中には自分が想像もできないことで溢れていること。自分に何が必要か知る前に、天はそれを与えてくれることがあること。いろんな偶然は偶然でないことを認識し、一見ランダムに見えることを繋いでいくと、すべてが繋がっていることに気づくこと。それはすべて好奇心と感謝の気持ちと同じ波動であって、マジックやミラクルはそんな波動で起きることが多いのではないか。と、ひとり納得。

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この日は朝日が昇る前に、ひとりボローニャ駅から電車に乗った。

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2時間で、ヴェネツィアのサンタ・ルチア駅に到着。それから20分ほど路地と橋を歩き続け、着いたのはジョルジアの家。

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ヴェネツィア出身で、地元とロンドン、ふたつの街を拠点に、アートやさまざまなカルチャーを盛り込んだスペシャルツアーのガイドをするジョルジア。ここしばらくヴェネツィアをベースにしていたけれど、来年の一月にはまたロンドンに移るそう。

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ジョルジアのテラスで朝食。ボローニャからすでにヴェネツィア入りしていたべべと、今日は3人でヴェネツィア散策。

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お土産に持ってきたのは、畑のアーティスティックなズッキーニ。

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今日はヴェネツィア第二の教会、サン・ロッコ教会のお祭りの日。お祭りの行列を眺めて2度目のカフェをしたら、「二人に絶対見せたい庭があるの。」とジョルジア。ヴァポレットに乗ってジュディッカ島に。

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ちなみにヴェネツィアどこにでもいるカモメ。なかなか横暴で、特に食べ物を持っている人は要注意。

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こんな指名手配のポスターまであるくらい。

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ジュディッカ島にあるサンティッシモ・レンデトーレ教会。1577年、ヴェネツィアが破壊的なペストに見舞われた後、聖なる救い主の教会として建設されたこの教会、隣接する庭園では、野菜や薬草が育てられ、修道士たちの食事をまかない、病人の治療にも使われてきた。脇の細い道の左奥に、その庭園の入り口がある。

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多くの修道院の庭園と同様に、この庭園も正十字型のレイアウトで、中央には灌漑のためと瞑想と休息のための池がある。

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教会の祭壇を飾る花畑、修道士たちや貧しい人たちに食事を提供する菜園、自然療法に使う薬草畑、養蜂場のほか、大工工場、鍛冶場、救いの主に提供されるリキュール工房などがあり、何世紀にもわたり、この庭園は熟考、癒し、自給自足の聖域だったものの、時が経ち放置され、洪水により徐々に荒廃してきた。

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2019年の洪水の後、ヴェネツィア庭園財団によって復元が始まり、昨年10月、木、金、土曜日に一般公開されるように。まずは静かなオリーブ畑の中庭を通って、奥の庭園に。2000平方メートルを超える庭園には、ラベンダー、セージ、バーベナなど香りの良い薬草や野菜のほか、アーティチョーク、ブドウ、イチジク、またさまざまな花の苗が隅々まで植えられている。長い主要な小道は、ブドウの蔓やバラでアーチ状に覆われて、日陰のベンチで休憩したり、ラグーンを見下ろすベンチやバールのテラスでドリンクや軽食を楽しむことも。

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植物のセレクションや並び、マルチングや支えなど、インスピレーションがたくさん。すべてが調和された、夢のような庭。

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グリーンハウスもあり、ここで苗木を育てている。庭師もたくさんいて、できることなら研修生になりたいくらい。ここでいろいろな小さな野菜の苗が植えられているのを見て、帰ったら次の季節に向けて苗を植えようと思ったのだ。

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庭を出たら、路地裏のトラットリアに。

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ジョルジアは、ここでスパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレを食べる!と決めてきたのに、売り切れ。それはそれは残念がっていたけれど、ウェイターに薦められたヴェネツィア料理であるビゴリ・イン・サルサ(よく炒めた玉ねぎと塩漬けイワシをクリーム状にしたパスタソース)が美味しくて、満足。思ったことと違う展開になって結果よかったってこと、よくあるよね、という話に。私はイカスミを練りこんだ手打ちパスタのズッキーニとエビのソースの一品を。これもとても美味しかった。

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散々おしゃべりした後、ヴァポレットに乗って対岸へ戻り、

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ジェラテリア・ニコで名物ジャンドゥイオットを。1937年創業のニコ、創業者はヴェネツィアの北、トレヴィーゾ出身。ジャンドゥイアはヘーゼルナッツのチョコレートで、ピエモンテ州名産。それをジェラートにして、長方形に切ったものにたくさんのパンナ(生クリーム)を乗せたものが話題となり、いまやヴェネツィアだけでなく他の州のジェラテリアでも作られるように。ランチのあと、3人でひとつでちょうど良いボリューム。

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ニコのウェイターは見る限り皆バングラデッシュの人だった。ヴェネツィアの人口の3分の1のウェイターや料理人などの労働人は、バングラデッシュ出で、年間400%も増えているそう。ヴェネツィア市には4万人の外国人がいる中、中国人、ルーマニア人を超えて最も多いのがバングラディッシュ出身者。いろいろ問題も起きているけれど、ニコのウェイターたちは前日も来たジョルジアとべべのことを覚えていて、ひとつだけオーダーしたジャンドゥイアを快くサーブしてくれた。長年いるのだろう、ヴェネツィアなまりで微笑ましい。

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もうひとつ、ヴェネツィア名物といったら、トラメッツィーノ、食パンサンドイッチ(真ん中の段)。物価が上がるなか、トラメッツィーノはいまだに割安感があり、いろんな具を楽しめてお薦め。

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ジョルジアが教えてくれたヴェネツィアのもうひとつのトレンドは、カナル・グランデの対岸までいくゴンドラ。昔から市民の為にあるサービスで、2ユーロで対岸にいける。それがソーシャルメディアで話題になり、安価でゴンドラ体験ができるというので長蛇の列が。これも、市民用と観光客用と列を分けて欲しいと、市民からは苦情が出ているそう。

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ヴェネツィアで最も美しい広場ともいえるサン・マルコ広場を通って、フォルトゥニー美術館へ。

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絵画、写真、彫刻、舞台美術、証明デザイン、ファッション、テキスタイルほか、幅広い分野で活躍したスペイン出身のアーティスト、マリアーノ・フォルトゥニーのアトリエだった15世紀に建てられた宮殿内には、1800年末から1900年半ばまでにフォルトゥニーが手がけた作品や模型が悠々と展示されている。

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世界を旅したフォルトゥニーの世界はとても興味深い。

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実に多彩だったフォルトゥニー、絵画もインテリアもテキスタイルも自ら手がけていたすごい才能の持ち主。1900年にはミラノのスカラ座で世界初、舞台装置と衣装をデザイン。複雑な照明デザインにも取り込んだ。1920年代に開発したプリーツのシルクチュニックドレス「デルフォス」は一世を風靡し、彼の名は世界的に知られることになる。

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ミュージアムショップはいつも興味深いものが見つかる。プリーツのブレスレットやユニークな柄の扇子ほか、バイヤーがセレクトしたジュエリーも素敵。ジョルジアが大好きなガラス作家の吹きガラスの繊細な六角形のグラスは結構悩んで今回は見送り。

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ショッピング熱が上がったべべは、ゴンドラ船頭も履いている靴、フリウラーネを見に行くことに。

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もともとヴェネツィアの北にあるフリウリ=ヴェネツィアジュリア州からやって来た人たちが、生地の端切れや自転車のタイヤを使って作っていた靴が人気になり、いまではヴェネツィアのシンボル的な靴となった。べべもオンラインで買って持っているけれど、いつものサイズだと小さすぎるそうで、今度買うときはひとサイズ大きいものにしないと、と言っていた。

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それからジョルジアの顔馴染みのバカーロ(居酒屋)に。

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チッケッティがずらり並んでワクワク。昔はひとつ1ユーロちょっとだったのに、いまでは3ユーロに。そう思うと、サンドイッチはいまだに割安。ジョルジアたちはワイン、私はノンアルコールのジンジェリーノをオーダー。カンパリのようなオレンジ色のさっぱりしたドリンクは、この辺り発祥のドリンク。ストレートでもワインとミックスしても美味しい。チッケッティをいくつか味見し、たくさんおしゃべりしたら、21時40分のボローニャ行きの電車に乗り遅れないようにヴァポレットに乗って駅に。13時間のヴェネツィア滞在、ローカルの友だちのおかげで大満喫。

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ヴェネツィアから帰った数日後、子どもたちを乗せて北へ5時間ドライブ。向かったのはマッジョーレ湖を望む親友ユリアの家。湖のこっち側はスイス。向こう側はイタリア。

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この家はユリアのお父さんが育った家。築500年の石造りの家には、家族親戚の思い出がいっぱい。ユリアの両親はドイツ人だけど、この辺りでは共通語はイタリア語。着いて早速ブドウの木陰のテラスでランチ。

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午後は近所の川に。前回来た時はなかったパドリングボードが大活躍。これに乗って川上を目指す。

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ふたり乗りのパドリングボードに何人も乗って、ため息の出るような魅力的な岩の間を行く。

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難関は滝があるところの水流。ユリアの長男ニコライが引っ張り上げてくれた。防水対策をしてこなかったので、携帯は岩の上に置き去りにして冒険を続けた。この後大きな岩を登って、ユリアを筆頭に5~7メートルの高さから飛び降りた。(私とみうとたえ以外。)冷たい冷たい川の水から岩に上がり、長い長い時間をかけて流水に削られて、有機的で柔らかい形になった岩に抱かれるように横たわる。目をつぶり、流れる水の音に耳を澄ませると、身体は岩と一体になり、存在するのは岩の熱と水音だけのような感覚を覚える。ずっと横たわっていたかったけれど、日が陰って肌寒くなって来たので川下に戻る。

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夏のバカンスのほとんどを、湖、川、山で過ごしたユリアは、冒険の達人。彼女のおかげで私は子どもにかえっていろんな新鮮な体験をさせてもらえている。

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たえは、ここは海も山もあって素敵ねぇという。マッジョーレ湖は全長65キロメートル、平均の幅は5キロメートルととても大きく、本当に海のよう。

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家の脇にも小さな滝があり、水の流れる音を聞きながら海と山を望むこのテラスで過ごす穏やかな時間は、本当に贅沢だ。

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朝ヨガを終えた頃にはコーヒーの香りが。ユリアと朝のおしゃべりをしていると、子どもたちが起きてくる。

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みんなが朝食をしている間に、私はおにぎり作り。

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具はツナにタヒニ(生胡麻ペースト)を混ぜたものと、ヴィーガンの子にはごま油風味のワカメを。

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大人ふたり、子ども6人で、いざ山へ。

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出発した時はお天気だったけれど、向かった山は雲行きが怪しい。

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青い空が広がる向こうの世界に、灰色の雲に覆われたこちらの世界。

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冒険の始まり、始まり。

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しばらく行くと雲が晴れ、切り立った山が見えてきた。ここでいったん休憩。

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森の中では大きな木に抱きついたり登ったり、木肌に生えたコケや不思議な形の節に目を奪われたり。

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高度が上がってくると、山の景色は一変。

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木々が生い茂った森を抜けると、あたり一面低木樹に覆われた別世界に。先頭にいた長女のゆまたちは、野生のヤギを見たそう。

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何度か挫折しそうになったたえを励ましながら3時間強、目的地の山小屋が見えてきた。

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標高1,800メートルの山小屋の前の広場でピクニック。

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おにぎりは飛ぶように売れた。

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それにしても不思議な場所。雲にすっぽり包まれ3メートル先も霞んで見ないと思ったら、さっと霧が開けて青い空がぽっかり見えたり。

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天空の城ラピュタを思わずにはいられない。

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お昼の後はみんなでスケッチしたりごろごろしたり。

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向こうのほうに見えた羊飼いの家まで歩いて行って、子どもたちは鬼ごっこ。

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四つ葉のクローバーはすぐ見つかった。いいことありそう。

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その先の川辺でには、大きなナイロンの袋が。中にはこの辺りの岩、花崗岩がたくさん入っていた。ここの家も、ユリアの家も屋根も石畳も、みんなこの岩で出来ている。この大きな袋は、ヘリコプターの輸送用で、翌朝ヘリコプターがこの袋を吊り上げて移動させていた。この辺りではヘリコプターは山や島に工事の材料や廃棄物、食材などを運ぶために日常的に使われている。

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日が陰って来たので、山小屋に戻る。

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今夜はここで宿泊。

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夜ご飯は6時30分。(うちでは8時台。)料理を作ってくれたふたりはチューリッヒからやって来たボランティア。1週間交代だそうで、今週が初体験、ヘリコプターでやって来たそう。私もユリアも、いつかここでボランティアしたいね、と、登録方法を聞いた。

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スパイスが効いたトマトのスープ、ズッキーニとマッシュルーム、2種のパスタ、それにトルタとヨーグルトクリームまで。山小屋でこんな美味しいごはんがいただけるなんて。みんな大満足。

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食事の後は、暗くなるまで外で絵の続きを描いたり、走ったり転げ回ったり。何もないことの贅沢さを考えさせられる時間。

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消灯は10時30分。それまでまたみんな絵を描いて過ごした。

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歯を磨きに外に出ると、山小屋の上に天の川が。上にも下にも星空が広がっているよう。

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そして朝。感動的な朝日が照らすこの世界。

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心が洗われる景色。

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実は昨日夜ごはんの前に散歩から帰る途中足を挫いたようで、左のアキレス腱のあたりがじわじわ痛くなり、夜中は激痛でなかなか眠れなかった。翌日はもっと上を目指し、その後山小屋に戻ってから下山する予定だったけれど、足をつけるのも辛いほど痛かったので、登るのも下りるのもこのままでは難しそうだと心配になった。眠れぬ夜、呼吸法を試したり、メディテーションをして痛みが治らないかと試みていた時、マリア像が飾られた山小屋外の湧き水場で足首を冷やし、天にお祈りをするようにとのメッセージが聞こえた。夜中2時、螺旋階段をなんとか降り、マリア像のところに。足首の痛みの緩和と、人類の苦しみへのお祈りをした。4時間ほど後、朝日を見に外に出た時はずいぶん痛みは和らいでいたけれど、まだ歩くのはびっこ。岩を渡り歩くような道を歩くことは困難そうだった。

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子どもたちも次々起きて、8時に朝食。

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パンにバター、持ってきたナッツ。味の薄いコーヒーをいただいて、出発の準備。

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必要なものだけ持って、10時前には山登り。この時には足首に違和感を感じるくらいで、痛みかなり緩和されていた。こんなに短時間で歩けるようになったなんて、奇跡的。祈りが届いたに違いない。

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辺りには野生のブルーベリーがたくさん。シーズンはもう終わっていたけれど、標高が高いのでまだ少し残っていた。ベリーをつまんで指先と舌を真っ青にして、山を登る。

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振り返っては、空と雲と大地のコントラストの美しさにため息。

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たえはまた何度か挫折しそうになったけれど、岩山登りが楽しくなり、足取りも軽くなる。

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帰りはこの辺りで高齢の登山夫婦とすれ違った。80台近いのではないか。こんなところを歩けるのか心配すると同時に、感心。私もあれくらいの年でもユリアと山登りや川遊びしていたい。

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この岩場を登ったら一旦頂上に。それからなだらかな山の頂を歩き、イタリアとスイスの国境までもうひと息。ユリアは、ここで自分の良くないと思うところ、手放したいこと思いながら石を拾い、目的地まで無言で行って、石を積み、今度は自分の伸ばしたいところを連れて帰ってくる儀式を提案。

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みんなそれぞれ選んだ石を片手に、山頂を歩いた。

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あと少し。這うように急な斜面を登る。

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戦後追悼で建てられた十字架の左手に、国境が。積まれた石の上に、私たちも気持ちを込めた石を置く。向こうにはスイスアルプスを望む絶景が。

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みんなで来られてよかった。

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十字架の下でピクニックしたりゲームしたりして、そろそろ下山。この頃には足首の痛みのことはすっかり忘れていた。

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帰りは快調。

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山小屋に戻って残りの荷物をピックアップ。たえが描いた絵はプレゼントすることに。

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ホストのふたりはとても喜んで、壁に飾ってくれることに。また来よう。

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てくてく下って、気づけば雲の下に。下界に降りて来た感が。

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数時間後、昨日の出発地点まで無事帰って来た。

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家に帰ったら、早速ごはんの準備。山小屋と同じ、6時30分にはみんなでいただきます。日が短くなったら、うちでも毎日7時ごろには食卓につきたいと思った。

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翌日は大雨。空と湖の境目が見えなくなるほど視界が悪くなることも。

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山小屋にはきっと誰も行かなかっただろうな。ふたりはどうしているかな。もしかして山の上は晴れているかな。と思いを巡らせつつ、心地よい雨音を聞きながら瞑想。

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ユリアのお母さんが集めたイタリア中部の町、ペルージャの食器でいただく朝食。この風景が愛おしくて、リサイクルショップでこの食器と出会うと買い集めている。

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食後は、みんなでパズルをしたり、カードゲームをしたり。バカンスは晴れでも雨でも、気の合う友と一緒のほうが絶対楽しいと思う。

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帰る日も大雨。みんなびしょ濡れ。楽しかった!ありがとう!

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8月最後のイベントは、カテリーナの誕生会。国境なき医師団で何年も働いているカテリーナとは、15年前、大学を出たばかりの彼女が働いていた大学病院でゆまを出産した時に出会った。新生児科で看護婦をしていた初々しかったカテリーナ、9月1日に40歳に。誕生日の翌日には次のミッションでインドに飛ぶので、前日にうちでお祝いをすることになった。

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お母さんのニッラがケータリングを担当。3日前から準備した、たくさんのトルタサラータ(食事トルタ)、フリッタータ(卵焼き)、ラザーニャ、ケーキ、それにチーズ、サラミ、飲み物いろいろが、車いっぱいに運ばれて来た。

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たえはお祝いの王冠を作った。

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カテリーナのお花のドレスにぴったり。

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夕方5時から徐々に友だちがやってきた。ビュッフェのテーブルには、早い時間にはパンにバターやジャム、ブルスケッタなどのおやつ系が並び、だんだん食事系が並び、ワインボトルが開いて、みんな庭や家の中を散策して好きに過ごした。

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初対面の人が大半だったけれど、共通の友人がいる人も多くて、世の中狭いね、と笑った。

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旅立つカテリーナに、お守りと祝福を兼ねてザクロの作品を。プレゼント。贈ったフレーズは、「幸せは、小さなことの中にある」。

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おめでとう!

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長らくミッションの先はアフリカだったカテリーナ、初めてのインドのミッションは4カ月滞在予定。みんなで応援してる!

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本当に和やかでいいお祝いだった。大きい家が祝いの場に役立ってよかった。

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それにしてもニッラはたくさん料理して、偉かった。母の愛情たっぷり。みんな幸せだった。ありがとう!

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こうして盛りだくさんの8月はあっという間に過ぎていった。これから始まる新しい季節、軽やかにキックオフしよう。

小林千鶴

イタリア・ボローニャ在住の造形アーティスト。武蔵野美術大学で金属工芸を学び、2008年にイタリアへ渡る。イタリア各地のレストランやホテル、ブティック、個人宅にオーダーメイドで制作。舞台装飾やミラノサローネなどでアーティストとのコラボも行う。ボローニャ旧市街に住み、14年からボローニャ郊外にある「森の家」での暮らしもスタート。イタリア人の夫と結婚し、3人の姉妹の母。
Instagram : @chizu_kobayashi

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