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007伝説の始まり『ドクター・ノオ』と「ウォッカ・マティーニ」とは?

『007』を観たおかげで酒、時計、ファッションアイテムに携わる編集者になったと言っても過言ではない編集YKが、今回再上映が決定した10作品を徹底レビュー! 今回は映画第1作となった『007 / ドクター・ノオ』と、007のアイコンでもあるウォッカ・マティーニについて語ります。

『007/ドクター・ノオ』(イギリス公開1962年10月5日/日本公開63年6月1日)

第二次世界大戦後、世界は冷戦に突入した……。アメリカの月面ロケットの発射を妨害する電波を監視する任務に従事していたジャマイカ駐在の英国秘密情報部(MI6)の諜報部員ストラングウェイズが突然消息を絶つ。情報部の「00課」に所属するエリート諜報部員、007=ジェームズ・ボンドはその調査のためにジャマイカへと飛ぶ。00のナンバーを持つ諜報員は世界各地への潜入が許され、仮に殺人を犯しても罪に問われない「殺人許可証(=殺しのライセンス)」を持っているのだ。

ボンドは現地で同じ事件を調査するCIAのフェリックス・ライターと出会い、孤島「クラブ・キー」の所有者であるドクター・ノオが怪しいという情報を得る。次々に送られてくる刺客を撃退し、ボンドは島の漁師クォレル、そして島で出会った美女ハニー・ライダーとともに「ドラゴンが現れて火を吐き、生きて帰ったものはいない」というクラブ・キーに潜入を開始する。しかし、ドラゴンの形をした戦車にクォレルが焼き殺され、ボンドとライダーも囚われて秘密基地に連行されてしまう。

目覚めると、彼らはドクター・ノオから夕食の席に招待される。放射能被曝により金属の義手を身に付けた中国系ドイツ人のドクター・ノオは、かつては中国の犯罪組織「党(トン)」のメンバーだったが組織を裏切り、持ち逃げした1000万ドルで孤島に原子力研究所を設立。現在は謎の犯罪組織「スペクター」のために働いているという。彼らはケープ・カナベラルから発射される、世界初の有人月ロケットの発射を阻止することによって、組織の力を世界に誇示し、冷戦のパワーバランスを崩そうとしていた。

ボンドはスペクターに勧誘されるが、それをにべもなく断り、電流の流れる独房に閉じ込められてしまう。月面ロケット打ち上げは目前。007は世界の危機を救うことができるのか?

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映画『007』ができるまで

『007 ドクター・ノオ』は、原作者イアン・フレミングが1958年に上梓した、007シリーズの長編第6作が原作となっている。この作品が世に出るまでの歴史は、その経緯だけでも非常に興味深いものだ。

原作者イアン・フレミング

フレミングは1953年に処女作となる『カジノ・ロワイヤル』を執筆。第二次世界大戦中にイギリス海軍情報部に所属して得たさまざまな情報や、自身が立案してきた作戦情報を踏まえつつ、それまでイギリスで主流だったシリアスで暗いスパイ小説とは違い、車、ギャンブル、酒、煙草、旅、女性関係などの享楽的な趣味を存分に詰め込んだ娯楽的な作風は驚きを持って迎えられた。この年は、マリリン・モンローのヌード写真を中心に置きつつ、ファッション、政治、ライフスタイル、小説、セレブリティを紹介した『PLAYBOY』の第一回目が発刊した年でもある。以降、アメリカ版『PLAYBOY』に007シリーズが掲載され、女好き、旅好き、趣味人、スノビッシュなジェームズ・ボンドはプレイボーイのアイコンとなる。

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フレミングは以降も『死ぬのは奴らだ』(54年)、『ムーンレイカー』(55年)、『ダイヤモンドは永遠に』(56年)、『ロシアから愛を込めて』(57年)と長編を立て続けに発表。ソ連のスパイ暗殺機関「スメルシュ」と007の戦いをメインテーマにシリーズを続ける。彼は早くからシリーズの映画化を構想していた。しかし、当時フレミングにはコネクションもなく、『カジノ・ロワイヤル』は54年にアメリカでテレビドラマ化されたのち、55年に映画化権はアメリカでたった6000ドルで購入され、他作品もバラバラに映像化権を買われることになる。

その頃、気鋭の映像作家ケヴィン・マクローリーと出会ったフレミングは共同で映画会社を立ち上げ、007シリーズの映画化を目指す。マクローリーは「これまで刊行されたシリーズは映像化に向かない」と進言、自身が経験のあった水中撮影をメインにした海洋冒険物にし、敵の組織もソ連を初め世界の犯罪を裏から操作する犯罪組織「スペクター(=「亡霊」)」にしようと提案。共同脚本で『サンダーボール作戦』の制作を始めるが、マクローリーの手腕に疑問を抱いたフレミングは一方的に協働体制を放棄し、執筆中だった脚本プロットを引き上げると無断で完成させ、長編第8作『サンダーボール作戦』として1961年に発表。結果、共同脚本家だったマクローリーから告訴され、以降の長い裁判は映画シリーズにも影響を与えることになる。

左からプロデューサーのアルバート・R・ブロッコリ、イアン・フレミング、ショーン・コネリー、プロデューサーのハリー・サルツマン

一方、1960年ごろにフレミングの原作を読んだアメリカの映画プロデューサー、アルバート・R・ブロッコリは映画化の可能性を感じ、フレミングの下に交渉に訪れる。しかしフレミングは一足先に映像化権をカナダ出身のプロデューサー、ハリー・サルツマンに委ねた後だった。期限内に資金を集めなければならないサルツマンだったが、金策に苦戦。ブロッコリはサルツマンから映画化権を購入しようとするが、サルツマンは権利を手放すつもりはなく、結局ふたりの共同プロデュースとして『007』の映画化を決定、イオン・プロダクションを設立した。設立後、ハリウッドの映画会社ユナイテッド・アーティスツからの出資が決定、最低でもシリーズ7作品を製作・配給することで合意する。イオン・プロダクションは脚本が形になっていた『サンダーボール作戦』を映画化しようとするも、先述の権利関係の問題や予算を理由に却下、時点で映画化権がまだ手元にあり、SF色の強かった『007/ドクター・ノオ』が第1作として選ばれた。

本作は1962年10月5日にイギリスで公開、10月16日にはキューバ危機が起こり、世界は冷戦が再び熱い戦争になるのではという恐怖を味わうことになる。いまにも第三次世界大戦を迎えるのではないかという緊張感の中、無敵の男ジェームズ・ボンドがボロボロになりながら危機を救う大胆なストーリーに世界が熱狂。以後、007の物語は冷戦の激しさと背中合わせで、その様相を変えていくこととなる……。

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007とウォッカ・マティーニ

 “ウォッカマティーニ、ステアではなくシェイクで”というセリフは、007の決め台詞としてあまりに有名だ。『007 / ドクター・ノオ』では、ジャマイカのホテルに到着したジェームズ・ボンドが、ルームサービスでウェイターからウォッカマティーニを受け取るシーン、さらに秘密基地でドクター・ノオから「ミディアムドライマティーニだ」とウォッカマティーニを受け取るシーンが挿入され、1作目にして「007のお気に入りはウォッカマティーニ」という図式が出来上がった。

原作のボンドもマティーニ愛好者だが、それ一辺倒というわけでもない。普段の食事ではイタリアワインのキャンティを合わせたがる傾向があるし、ディナーではかなりの確率でシャンパーニュをオーダーし、ムートン・ロッチルドの53年(原作『女王陛下の007』)を飲んでいたりする。カクテルも好きで、特にパリ出張中の夕方にはアメリカーノを注文している。ソーダはペリエを指定し、「安酒をうまくする一番の方法は、高いソーダを使うに限る」とまで力説している(原作『薔薇と拳銃』)。

原作小説では食事描写に紙幅が割かれているが、映画劇中、食事シーンはどうしても間伸びしてしまう。そこで注目されたのが、カクテルの王様「マティーニ」なのだろう。辛口のマティーニであれば食事前のアペリティフに似合い、カジノやパーティーシーンでウェイターが運んでいても違和感がない。また、強烈なアルコール度数であり、それを飲みながら次の瞬間にはシリアスな任務に邁進するボンドの格好よさを示すのにももってこいのアイテムだ。

デビュー作『カジノ・ロワイヤル』で、ボンドはパートナーとなる女性、ヴェスパー・リンドの名前を借りた「ヴェスパーマティーニ」を考案する。「ゴードン・ジンを3、ウォッカを1、キナ・リレを1/2、うんと冷たくなるまでシェイクして、スライスしたレモンの皮を入れる」というレシピで、バーテンダー、同席したCIAのライターを感心させる、というシーンだ。イアン・フレミングはかなりスノッビッシュな作家だが、おそらくこのカクテルを世界中で流行らせたかったのでは、という意識が描写から読み取れる。そして、彼の趣味性が最も表れているのが、実は「冷たくなるまでシェイクして」なのではないかと思うのだ。

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本来、オーソドックスなマティーニは「ステア」で作成する。ジンとヴェルモットを、氷を詰めたミキシンググラスに注ぎ、バースプーンで混ぜ合わせる方法だ。これによりふたつの酒は温度を下げながら、酒の強さ、鋭さを伴ってマティーニに仕上がる。一方、シェイカーで混ぜ合わされたカクテルは、金属製のシェイカーの中で氷に触れて急激に温度を下げながら、空気を含んで仕上がる。

フレミングはおそらく、酒はキリリと辛口で、冷たければ冷たいほど好きなタイプだったのだろう。映画第3作『ゴールドフィンガー』でも、ジェームズ・ボンドは「ドン・ペリニヨンの53年ものは摂氏3.5度以上で飲んではいけない」と述べ、ぬるくなったボトルの代わりに新しいドン・ペリニヨンを取りに行く描写がある。

日本ソムリエ協会が刊行するソムリエ教本によれば、スタンダードなシャンパーニュは6〜8度で、ヴィンテージキュベは8〜10度でサーブするのが定石となっている。4度以下でシャンパーニュを飲むと、華やかな香りが開かず少々もったいないのでは?と思わなくもないが、それがフレミング流のダンディズムでもあったのだろう。

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