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007は永遠に......『007 / ノー・タイム・トゥ・ダイ』と、原作者イアン・フレミング。

『007』を観たおかげで酒、時計、ファッションアイテムに携わる編集者になったと言っても過言ではない編集YKが、今回再上映が決定した10作品を徹底レビュー! 今回は映画第25作となった『007 / ノー・タイム・トゥ・ダイ』と、シリーズをの原作者イアン・フレミングについて語ります。

『007 / ノー・タイム・トゥ・ダイ』(イギリス公開2021年9月30日/日本公開10月1日)

悪の組織・スペクターとの戦いの後、現役を退いた007=ジェームズ・ボンドと恋人マドレーヌ・スワンはイタリアで平穏な生活を送っていた。過去に起きた事件をボンドに明かせずにいたマドレーヌは、凶事を紙に書いて燃やすという現地の祭で、ひそかに紙に「能面の男」と書いて火を点ける。

一方ボンドは過去と決別するため、かつて愛したヴェスパー・リンドの墓を訪れる。そこにスペクターの紋章が描かれた1枚の紙を見つけると、直後に墓が爆発しボンドは大怪我を負ってしまう。ホテルに残したマドレーヌの身を案じたボンドは、襲撃してきたスペクターの傭兵たちと交戦しながらもマドレーヌと合流する。重犯罪者刑務所に収監中のスペクター首領、ブロフェルドからの電話でマドレーヌの裏切りを疑いながらも、アストンマーティンDB5で追跡者たちを振り切る。ボンドは彼女への疑いを拭いきれず、到着した駅でマドレーヌを列車に乗せて決別するーー。

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5年後、ボンドはジャマイカでひとりの日々を過ごしていた。ある日、彼のもとを旧友のCIAエージェントのフィリックス・ライターが訪れ、誘拐されたロシア出身の細菌学者を救い出して欲しいと依頼するが、ボンドはそれを断る。住居に戻ろうとした矢先、ボンドはノーミと名乗る女性に声をかけられる。彼女はボンドに、自分がいまの007であることを明かし、ボンドが余計なことをしないよう牽制して出ていく。翌日、ボンドはフィリックスに連絡し、キューバに赴くことを決意する……。

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ジェームズ・ボンドを引退するということ

前作『スペクター』のエンディングから繋がったオープニングとなり、またダニエル・クレイグが初主演した『カジノ・ロワイヤル』からすべて連続したストーリーラインが繋がることになった。これまでのシリーズでも一部の登場人物や、ボンドが一度結婚して妻テレサを失っているなどの設定が踏襲されることがあったが、完全な連続もののストーリーとなったシリーズはこれが初めてだ。物語は衝撃的な結末を迎え、ダニエル・クレイグは007からの引退を宣言。プロデューサー陣も次のジェームズ・ボンド役俳優を探していることを公言している。

観客たちはボンド俳優の続投を望んでしまうが、俳優たちはプレッシャーや、ジェームズ・ボンドとしてのイメージがつきすぎることを嫌がるようになる。

ショーン・コネリーは『007は二度死ぬ』の来日時の記者会見で降板宣言をし引退、しかし熱狂的な要請で『ダイヤモンドは永遠に…』で復帰、さらに外伝『ネバーセイ・ネバーアゲイン』で再度007を演じることになる。

ジョージ・レーゼンビーは当時のマネージャーのアドバイスにより007の続投に興味を失い引退宣言、しかし後にドラマシリーズで007を思わせる役どころを多くこなすことになる。

ロジャー・ムーアは『ムーンレイカー』撮影後にいちど引退宣言をするが撤回、その後3作に出演するがヒロインの母親が自分より年下と知り、57歳で引退を決意。

ティモシー・ダルトンは出演した2作の他にも出演契約があったが、製作陣の訴訟トラブルによって続編がストップ。続編が決まった段階で「あと6作の出演を」というオファーを固辞し引退することに。

ティモシー・ダルトンは4作品の出演後も意欲的だったが、交渉は上手くいかず降板することに。

ダニエル・クレイグはスカイフォール撮影後からボンド役からの引退を語ることがあり、『スペクター』でも撮影直後には引退を仄めかすインタビューを行なっていた。撮影期間の長期化や撮影中の怪我が絶えないなど原因は多々あるが、それでも『スペクター』出演後に「何かを終わらせなければならないと感じた」と言い、本作への出演を決定。

ダニエルは自身の納得がいくように本作では共同プロデューサーも兼任。主演俳優がここまで作品に携わるのは初めてのこととなった。

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007とイアン・フレミング

世界で最も成功したスパイ小説007シリーズを生み出したイアン・フレミングは1908年、ロンドンの富裕層が住むメイフェア地区で、保守党議員の父ヴァレンタイン・フレミングと母イヴリン・ビアトリースの次男として生まれた。ヴァレンタインの父はイギリスでも有数の証券銀行会社の創設者であり、一家は働かずとも暮らせるほどの資産家だった。

イアンが9歳の時、父ヴァレンタインは第一次世界大戦で陸軍少佐として西武戦線で死亡。当時軍需大臣を務めたウィンストン・チャーチルはタイムズ紙に追悼文を寄稿するほどの友人だったという。未亡人となったイヴ・フレミングは他の男性と婚姻関係を結ばないことを条件にフレミング家の遺産を相続、非常に教育熱心な母として振る舞うようになる。

イアンは13歳でイギリスの名門男子校イートン校に入学するが、生活態度の悪さや女性問題で退学。母親は規律の厳しいサンドハースト王立陸軍学校にイアンを入学させる。好きでもない軍人になったことに自暴自棄を起こした彼は19歳で売春婦と関係し性病に罹患、軍人のキャリアは早々に閉じることになった。

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得意の外国語を活かして外務省に入省しようと、イアンは19歳からオーストリアの私立校、ミュンヘン大学、ジュネーブ大学と渡り歩きドイツ語やフランス語、ロシア語学習を進めていく。同時にゴルフや登山、カースポーツにも熱中し、スイスの地主の娘モニークと恋に落ち、婚約する。結果、2度の外務省試験に失敗、母イヴは試験の失敗はモニークのせいだと責めたて、最終的には婚約は破棄されることになってしまう。

イヴはロイター通信社の社長に働きかけ、イアンは23歳にして副編集長兼ジャーナリストとして取り立てられた。ヒトラーの台頭を取材にミュンヘンを旅したり、モスクワにわたってスパイ容疑で勾留されたイギリス人の記事を書き、イギリス世論を扇動するなどかなり精力的に活動を続ける。

だが落ち着いた堅実な生活を望む母親から家業の金融業界に就くよう請われ、27歳にして不本意な銀行業、そして株式仲買人への転職を果たす。自分にこの仕事は向いていないと悟るイアンだったが、これまでにない給与と得意先とのゴルフに熱狂し、休暇はカジノやスキーのためにフランスのリゾート地に出かけるのが趣味になる。この時以降、何人もの人妻たちをガールフレンドにするようになり、責任感の薄い女遊びが始まったと考えられている。

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第二次世界大戦が始まると、『タイムズ紙』の特派員としてロシア情勢を探る仕事に従事。これが海軍情報部を統括していたゴドフリー少将の目に留まり、面会の末ゴドフリー少将の個人秘書として海軍情報部で中佐として働き始めることになる。

相続力豊かなイアンはたちまち頭角を表し、遺体に偽の情報を持たせて敵地に送り込み情報を撹乱する「ミンスミート作戦」、スペインが連合国側に反旗を翻した際の諜報網を作成する「ゴールデンアイ作戦」など重要な作戦を立案していった。

戦後、37歳になっていたイアン・フレミングは『サンデータイムス』の国際担当部長として、80人を超える現地ジャーナリストの窓口を担った。同時に年2ヶ月の休暇が約束され、イアンは多くの時間をジャマイカに購入した別荘「ゴールデンアイ」で過ごすことになる。

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イアンが44歳になった頃、戦前から交際していたロザミア子爵夫人アン・オニールがイアンの子を妊娠、流産してしまう。アンの離婚、そして再びの妊娠により、イアンはジャマイカでとうとう結婚を決意する。

目前に迫る結婚式の憂鬱を振り払うべく、イアンは戦時中から構想していた「すべてのスパイ小説を超える、最高のスパイ小説」の執筆に取り掛かった。これまで享楽的に過ごしてきた日々、世界の歓楽街の情景、海軍で得た知識や世界情勢……。イアン・フレミングの人生すべてが、小説の題材となった。

執筆開始から2ヶ月、結婚式から数週間後、フレミングの処女作『カジノロワイヤル』が世に生み出されることになった。今日、それが「すべてのスパイ小説を超える、最高のスパイ小説」として読み継がれ、ファンをいまなお熱狂させていることは書くまでもないだろう。

『BOND60 007 4Kレストア』
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