ホーキング博士のふたりの妻。

Culture 2018.03.31

stephan-hawking-et-sa-premiere-epouse-jane-wilde.jpg

ホーキング博士と最初の妻ジェーン、『ホーキング、宇宙を語る出版前に。(1988年)photo : Abaca

「もうひとりのアインシュタイン」と称されたホーキング博士が76歳でこの世を去った。 不治の病を患いながらも、宇宙論に革命をもたらし、2度結婚し、3人の子どもをもうけた。

ジェームズ・マーシュ監督の映画『博士と彼女のセオリー』(2014年)を観た方はすでにご存知だろう。22歳の時、神経が衰える難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病し、電動式の車椅子での生活が強いられるようになったが、後々知られるように、ホーキング博士はふたりの女性との関係を持った。

英ケンブリッジ大学に入学して間もなく、1962年、キャンパス内のパーティでジェーン・ワイルドと知り合う。当時、ホーキング博士は宇宙論を専攻し、ジェーンは中世スペイン詩を学んでいた。ホーキング博士がALSと診断されるたった1カ月前のことであった。余命2年を宣告されるが、ジェーンは当時のことを2015年のテレグラフでこう語っている。「私は若かったし、エネルギーに満ちあふれ、とにかく前向きだった。彼にベストを尽くしたかったし、愛する可能性に満ちた人のために2年間を捧げることはやさしいことだと思っていたわ」

勇敢な母、ジェーン・ワイルド

1964年に彼らは婚約し、その後結婚し、ロンドン北部のセント・オールバンズに移った。1967年にロバート、1970年ルーシー、1979年にティモシーの3人の子どもをもうけた。ジェーン・ホーキングは昼夜専業主婦であり、母であり、看護婦であった。後に何度となく、自殺を考えたことを認めている。「時に人生が酷くて心身ともに疲れ果てていました。川に身を投げることを考えていましたが、子どものことを考えてためらいました」

ホーキング博士が物理学者として世界的に知られることになった著書『ホーキング、宇宙を語る』(1988年)によって事態はさらに悪化した。「あまりにも短期間に新しい人々が、我々の人生に入ってきて、日常生活は耐えられないものとなったわ」とジェーンはテレグラフに語った。ホーキング博士はこの時点で、診断された余命よりも、25年長く生きていた。ホーキング博士は、研究対象のブラックホールにいっそう夢中になり、一方でジェーンはホーキング博士の世界を徐々に受け入れられなくなっていった。1990年別居し、5年後には離婚した。

【関連記事】
女性監督が世界に贈る愛の物語『しあわせの絵の具』
各テーマ曲にも注目を。アカデミー賞4冠『シェイプ・オブ・ウォーター』

>>評判のよくない看護婦、エレイン・メイソン

---page---

評判のよくない看護婦、エレイン・メイソン

1995年、ホーキング博士は、看護婦のエレイン・メイソンと再婚をする。彼女は担当看護婦のひとりで、その元夫はホーキング博士の発話のためのコンピューターを設計している。ジェームズ・マーシュの映画の中で、ホーキング博士はまだジェーンとの婚姻関係にある時期にエレインと出会っており、親戚たちは皆、その出会いに不快感を示している。

この2回目の結婚では、世間を困惑させるニュースに注目が集まった。親戚や家族の中には、継母であるエレインが、ホーキング博士の3人の子どもと接触させないようにしていたと述べる者もいて、全身麻痺のホーキング博士に対し、2003年頃から精神的また肉体的虐待を行っていたと告発している。ホーキング博士の謎に包まれた深刻な傷や太ももや大腿骨の怪我については、ジョークを交えて正当化している。「壁にぶつかって衝撃を受けた。『壁の勝利だ』」と「ヴァニティ・フェア」は紹介した。

博士の娘ルーシーは、継母による博士への虐待を訴えたが、法律上、訴えは被害者が行わなければいけないため実現しなかった。「父は、エレインとの人生に干渉しないように私に言ったわ。でも一方で虐待に関しては否定しなかったの」そのように娘のルーシーは、アメリカの雑誌の中で回想した。結婚から11年後の2006年、エレイン・メイソンは突如博士に離婚を求めた。噂では不倫が原因だとか。

【関連記事】
カメラがとらえた9歳のケイト・ミドルトンの姿。
メーガン・マークルの熱愛表現が許される理由。

texte : Marion Galy-Ramounot(madame.lefigaro.fr), traduction : Hanae Yamaguchi

Share:
  • Twitter
  • Facebook
  • Pinterest

BRAND SPECIAL

Ranking

Find More Stories