style of THE FIRST LADIES スタイリストはいるの? 実はおしゃれなフランス大統領夫人たち。【後編】

Culture 2022.02.13

観察され、分析され、感嘆され、批判され……世論に火をつけることさえある、ファーストレディのワードローブ。政治の世界のドレッシングルーム、秘密の裏舞台に潜入!

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ジャクリーヌ・ケネディへの憧れ。

エリゼ宮のスタイルが大きく変わるのは、もっと後のことだ。正確に言えば、2007年5月16日。この日、セシリア・サルコジが、夫のニコラ・サルコジの大統領就任式にあたって、スターの雰囲気をたたえてエリゼ宮入りした。アイボリー色のプラダのサテンのドレスに身を包んだ彼女はセンセーションを巻き起こし、テレビで盛んに報道された(6)。

とうとうフランス国民は自分たちの“ジャッキー・ケネディ”を見つけたのだ。ジャッキーは、フランスの大統領すべての絶対的なファンタジー。アメリカのメディアはセシリアの大胆なチョイスを褒め称えた。セシリアがモード好きだったこと(彼女は学生時代にスキャパレリシャネルのモデルを務めていた)は語るまでもない。彼女はまた、自分の服装にアドバイスは頼んでいないと断言している。

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(6)Cécilia Sarkozy|2007年、夫の大統領就任式でのセシリア・サルコジは、サテンのアイボリーカラーのグラムールなプラダのドレス。これまでとは違うファーストレディのイメージ。

「自分の車を自分で運転し、ショッピングも自分ひとりでします。自分のスタイルも暮らしも変えるつもりはありません」と宣言。ニコラ・サルコジとの別離は目に見えていた。

「セシリア以前のファーストレディたちは皆、カトリックのブルジョアか貴族出身者だった」とロベール・シュナイダーは分析する。

「ダニエル・ミッテラン以外は、家庭の母や一家の女主人として夫に仕えるように育っていた。セシリアはモダンな女性で、互いに連れ子のいる再婚家庭だったのですが、5カ月後にはドアを蹴って出ていきました。任期中の国家元首と離婚した初めての女性です。その後のファーストレディはいずれもモダンな女性で、夫とは別の世界を持ち、働いて、経済的にも自立しています」

セシリアが出て行き、ニコラはジャッキーを失った。でも別のジャッキーを手に入れる。ジャッキー役を演じるにはさらに完璧な妻。ミュージシャンでトップモデルのカーラ・ブルーニは、彼にとって魅惑の切り札となった。フランスの新しいファーストレディは、海外で大評判になった。彼女もまた、エリゼ宮にスタイリストを必要としなかった。モードは彼女の自然な環境であり、パリのデザイナーは全員知っている。彼女のエージェントで昔からのコラボレーターであるヴェロニク・ランパッゾがエリゼ宮でのアドバイザーとなり、そのスケジュールとワードローブをともに管理することになった。

「エリゼ宮のマダム翼にあるサロン・ポーランをカーラのクローゼットと試着室にしました。スケジュールによって、2カ月分の服を取り寄せてラックに整理しておきます。想像と違って、カーラはプライベートのワードローブはほとんど何も持っていないのです。いつも同じジーンズとTシャツを着ていて、ショッピングには全然興味がありません。最終的に、私たちはまるでモード撮影と同じようなやり方で、来るべき訪問スケジュールの必要性に合わせて一緒に服を選んで借用していました」

当時ディオールのデザインを担当していたジョン・ガリアーノは、カーラについて「僕の理想の女性の身体を体現している」と言っていたが、カーラ・ブルーニのお気に入りはディオールだけでなく、シャネル、ジャンポール・ゴルチエ、エルメスランバンルイ・ヴィトンサンローラン、アライアだった。

「それほど知名度の高くないクリエイターも選んでいました。ローラン・ムレ、アレクシ・マビーユ、ブシュラ・ジャラール、ヴァネッサ・スワードのアザロなどです」とヴェロニク・ランパッゾはリストアップする。

「いつもブランドから服が送られてきました。例外は英国訪問の時で、この時はディオール、シャネル、サンローランに仮縫いに行きました。スペイン訪問の時には、アライアの素晴らしいロングドレス。ナイトブルーのビロードのドレスでしたが、これもアライアのところに出向きました。アズディン・アライアはこう言ったのです。『ファーストレディだろうがなんだろうが来るしかないね。バイク便で送るなんてことはしないからね!』」

プライベートのワードローブは、いつも同じジーンズとTシャツ。ショッピングにも興味がない。──カーラ・ブルーニ

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(7)Carla Bruni-Sarkozy(左)|モードをよく知るカーラ・ブルーニ=サルコジは、ファーストレディ時代にはディオールを着ることを好んだ。写真は2008年、英国への公式訪問での装い。

ヴェロニク・ランパッゾは「借りた服はすべて返却した」ときっぱり。ただし、カーラ・ブルーニのサイズに合わせて特別に手が加えられたディオールの2着のドレスだけは、ジョン・ガリアーノからプレゼントされたという。一点は流れるようなラインのビュスチエドレス。色はボルドーで、後に競売にかけられ、収益はエイズと闘うフランスの非営利団体AIDESに寄付された。もう一着はペールグレーのベルテッドコートドレス(7)。小さなカクテル帽と合わせて、英国女王への公式訪問で着用したものだ。これはロシアでの展覧会に向けて出発したきり途中で紛失され、二度と戻ってこなかった。スティーヴン・ジョーンズのデザインによる帽子は旅を続け、世界中の展覧会に時折姿を見せている。

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カーラのエレガンスと慎み深さ。

「カーラ・ブルーニ=サルコジはいい生徒でした」とヴェロニク・ランパッゾは言う。

「ショービズ界の出身だけに、余計に控えめにしようと務めていた。彼女はフランスにふさわしくあるために、エレガントで非常にクラシック、そして慎ましさを表現しようとしました。デコルテや短いスカート、セクシーすぎる装いはもってのほかでした」

エレガンス、富、非凡さ―美しきイタリア女性は、すでにすべてを持っていたのだから、それ以上加える必要はない。海外では、オードリー・ヘップバーンやダイアナ元妃、あるいはジャッキー・ケネディになぞらえられた。

ヴァレリー・トリールヴァイレールがパートナーのフランソワ・オランド大統領とともにエリゼ宮にやってきた時も、同じことが求められた。エレガント、でも挑発的ではいけない。しかし、政治ジャーナリストの彼女は、前任者とは違ってモードを熟知していたわけではない。そこで彼女はスタイリストを頼むことにした。これが唯一、公式にファーストレディのスタイルコーチの役割を果たしたことを公言する人物だ。彼の名はアモール・ウニ。アンチシャンブル24というスタイリングエージェントを構え、パリを訪れる大スターのスタイリングを請け負っている。ビヨンセ、リアーナ、ジェイ・Z、カニエ・ウェスト、あるいはマドンナなどがパリでコンサートを行う時の舞台衣装は彼の仕事だ。でも、ヴァレリー・トリールヴァイレールとはどんな関係があったのだろう? 彼は、彼女が番組を持っていたテレビ局Direct 8でもスタイリングを担当していたのだ。

「エリゼ宮に入った時、彼女は僕に、何を着たらいいかと尋ね続けました。プロの手を借りるほうが安心だったのだと思います。服装が日常的な悩みの種になってはいけませんから」

“普通”の大統領に対して、ヴァレリー・トリールヴァイレールも“普通”のファーストレディに(8)。「シックな普通のファーストレディ」とアモール・ウニはきっちりと規定する。

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(8)Valérie Trierweiler|ヴァレリー・トリールヴァイレールは「普通のシック」にこだわった。スタイリストのアドバイスを受けつつ、日常的なワードローブとこの写真(2013年)のようなディオールのドレスも着用。

「彼女はパートナーの大統領に対してだけでなく、自分の出身である庶民的な階層にもふさわしいことを望んだからです」

ブランドのルックも派手な小物もなし。12年5月15日、エリゼ宮の中庭のレッドカーペットを歩くファーストレディは、アポストロフの黒いクレープのワンピースに、タラ ジャーモンの白いコートの控えめな出で立ち。いずれも日常的なブランドだ。とはいえソワレには、ディオールやサンローランのシンプルなロングドレスを纏った。「ファーストレディに服を貸し出すのは海外でも脚光を浴びることですから、ブランドは彼女に服を提供するのを喜びました。だからどのブランドも服を選ばせてくれたし、その後、もちろん返却しました」

エリゼ宮にファーストレディの服装について、禁止事項はあるのだろうか?

「ありません。悪趣味以外はね。でも海外への出張や公式訪問の際には、執行部から非常に細かい書類が届きました。たとえば中国では、白は喪の色だから避ける、黄色はエロティックな色とされるのでNGなどです」

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自由で解放されたブリジットの姿。

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21年4月16日、ブリジット・マクロンはウクライナ大統領夫妻をエリゼ宮に迎えた。この時着用したのは、巨大モノグラムがデザインされたルイ・ヴィトンのミニドレス。

エリゼ宮のブリジット・マクロンの執務室は、ファーストレディは自分の好きな服を着ていいと断言する。

「もちろん、公式ディナーには招請国のドレスコードがあり、たいていの場合ロングドレスかカクテルドレスですが、それ以外はエリゼ宮による決まりはありません。何を着るかを決めるのはブリジット・マクロン本人だけです」とピエール=オリヴィエ・コスタ。

ノースリーブ、膝上丈、スリムジーンズ……背が高くブロンドで、ほっそりしてエレガントなブリジットは、なんでも着こなす。批判する者に立ち向かい、彼女のスタイルを称賛する人(その数は多い)を喜ばせながら。フランス国民の間で、彼女の人気は高い。

「彼女は、ファーストレディは張りぼて、というイメージを変えてしまった」とアンヌ・フュルダは言う。

「ブリジット・マクロンは、50歳以上のフランス女性にとって、リベンジを表現する存在でもある。彼女は自分の年齢でも、若い女性のようにおしゃれをする権利があるし、60歳を超えてもなお魅惑的であることを体現しています」

元フランス語教師から、いまや国の象徴的存在となった彼女のイメージは、エリゼ宮の仕事に貢献する注意深い代表者よりも、自由で、慣習から解放された女性。ある意味で、フランスのエスプリを体現しているのだ。

*「フィガロジャポン」2021年12月号より抜粋

text: Marion Dupuis (Madame Figaro)

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