上野水香、私の愛するバレエ人生。

Culture 2023.04.02

東京バレエ団のプリンシパルの任を果たした上野水香は、4月からゲスト・プリンシパルとして舞台に立つ。この新たな飛翔を前に、バレエ人生や今後について語ってもらった。素直に淀みなく語る彼女。何事にも真摯に向かい合って生きてきた感性豊かな女性の、言葉による肖像画が出来上がった。

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1961年にモーリス・ベジャールが振り付けた「ボレロ」を、上野水香が初めて踊ったのは東京バレエ団に移籍した2004年。その後ベジャール自身から直接指導を受けるチャンスに彼女は恵まれた。第72回芸術選奨文部科学大臣賞を22年に彼女が受賞した際に、長年踊ってきた「ボレロ」で新境地を拓いたことが受賞理由のひとつに挙げられている。「白鳥の湖」同様、彼女のバレエ人生をともに歩んだ作品である。©Shoko Matsuhashi

規則正しい3拍子のリズムがクレッシェンドで強度を増してゆく。ラヴェル作曲の「ボレロ」を音楽にモーリス・ベジャールの振り付けを踊る上野水香。そのリズムとひとつになっていた彼女の鼓動と観客の鼓動が円卓上で弾け、20年在籍した東京バレエ団のプリンシパル・ダンサーとしてのステージが熱狂の中で終了した。

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ボレロとの出合い、葛藤。

「キャリアの中で最も回数多く踊っている作品がこれでしょう。若い頃から、踊れたらいいなと思っていました。昔パトリック・デュポンの日本公演のビデオを擦り切れるほど繰り返し見て、家でひとりで踊って、踊り終えてハァ~って(笑)。私は作品のスピリットを理解している、これこそ私が表現すべきものだ、私は絶対にこれを踊るべきだ、となんの根拠もなく思い込んでいたのです」

彼女が東京バレエ団に2004年に移籍した直後、それが実現した。

「でも振りを教わって舞台に上がったものの、あれ、何か違う、こんなはずじゃない、と。私が出すべきボレロになかなか到達できない時期が長く続きました。そんなに良くもないのに“日本人女性で唯一できる”といった形容がつけられ、あんなに踊りたかった作品なのに、またあの葛藤と闘わねばならないのか、やりたくない! って。自信もなく、踊るたびに違う、と長く苦しんでいた。それが4~5年くらい前、私があの時思い描いていたのはこれだったのか、というのがようやくわかってきました。偉大なダンサーたちが過去に踊ったイメージが大勢の人の記憶に残っていて、それに比べると水香って……となる、みたいな考えも足枷かせになっていたけれど、あるところで『私は私でいい』と思えたら少し楽になれた。そしてコロナ禍の後、バレエ団の公演『HOPE JAPAN』で、スピリチュアルな力があり希望や力を与えられる演目だから『ボレロ』をやろう、となって。私も観客たちも、コロナ禍を超えて同じ場所にいることに意味がある、これを踊ってみんなと時間を分かち合うんだ! というシンプルな気持ちで、自分のダンスに没入したら、逆に自分のものというのがより浮き彫りになって出てきた、という体験をしたんです。客席も熱狂して喜んでくれて、会場がひとつになって。ああ、これが『ボレロ』の力、これが自分なんだ! と。感染防止対策ゆえ声を発せられない会場でも感動を伝えたい、と客席のみんなが立ち上がり、身体を前方に乗り出すようにして……こうして感動を伝えてくれたことに、私も感動。これだ、だから私は踊り続けているんだ、と思えました」

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公演『上野水香オン・ステージ』前、パートナーを務めるマルセロ・ゴメスが所属するドレスデン・バレエ団で4日間、彼と踊る作品のリハーサルが行われた。

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日本で踊ることへのこだわり。

東京バレエ団で踊り続けたから到達できた「ボレロ」。それを憧れのオペラ・ガルニエで踊ることが究極の夢と語る。パリ・オペラ座に惹かれるのは大好きなシルヴィ・ギエムゆえだそうだが、自身は海外のカンパニーへの入団は考えず、モナコのバレエ学校を卒業後、迷うことなく日本で踊ることを選んだ。

「その理由は極めてシンプルです。日本人の自分なのだから日本のお客さまに見てもらい、好きになってもらって、バレエを広めてゆく存在になりたいと、潜在的にずっと思ってたからです。幼い頃からテレビで森下洋子さんが海外に招聘されるニュースなどを見て、日本発世界へってかっこいいな、って。これは日本のバレエに関わる人へも関わらない人へもアピールとなる。ああ、自分もそうなれたら、と夢に描いていました。だから当時の私には日本を選ぶことが、とても自然だったのです」

実際に彼女はフランス人振付家ローラン・プティに愛され、ミラノのスカラ座で客演したり、また海外のガラ公演に招かれるなど日本のバレエ界を代表する存在に成長した。

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ゲスト・プリンシパル。

東京バレエ団では45歳で契約満了。その規定はもちろん知っていたが、強く意識したのは7~8年くらい前のことだ。その後自分はどうなるのか、と考えているうちに45歳となる日が近づき、「バレエ団が私を必要としていないなら退団も理解できるけれど、規定の年齢がきたからという理由で20年間私が大切にしてきたバレエ団とぷっつり切れる終わり方はナンセンスじゃないか、と疑問に思っていました。それに対して、ゲスト・プリンシパルという形で今後も繋がる形を考えてくださったバレエ団に感謝しています。『上野水香オン・ステージ』を区切りと考え、今後はゲスト・プリンシパルというポジションを生かして大事に踊っていこうと思ってます」

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これまでチャンスの少なかったドラマティックな作品への意欲、ほかのカンパニーで踊れることへの期待を彼女は語る。新たなタイトルを得て解放されて楽になる面もある。同時に解放されて今後のことが不安になるという面もあるが、「これまでどおり、目の前に見えてることを一生懸命にやっていくのだろうって思う。でも、なぜ踊っているのか、と考えた時に、『好きだから』というだけではなく、私が踊ることを喜んでくれて、もっと見たい! と言ってもらえて。このように私の周囲が動いてるように感じるんです。私の何かに誘われて、その人の人生も動いていく。40年のバレエ人生で、幾度となくそんなふうに感じることがありました。踊らされている、というと妙に聞こえるかもしれないけれど、自然な流れに乗ってここまで来ました。今後も、自分の元にやってくる流れを大切に、それに従うことをベースにし、その上で何ができるのか、何をクリエイトしていくか、というように人生を創っていきたいと思っています。ここまで踊り続けて、『上野水香オン・ステージ』ができるのは、自分のバレエ人生の夢が叶う瞬間でもあります。舞踊生活40周年とバレエ団在籍20周年が重なったことには何か意味があって、この公演を終えると今後の自分に対する指南のようなものが見えてくるのではないかと……」

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将来への不安、45歳。

ほぼ同年齢であるパリ・オペラ座ダンサーのエレオノーラ・アバニャートや大先輩のアレッサンドラ・フェリたちが踊り続けているのを見るのは、なんとも心強いことだ。

「エレオノーラはとても気遣いのある女性です。彼女の踊りにも優しさや温かみが感じられて素敵だなあって現役時代に見ていました。昨年11月に日本で、ローラン・プティが振り付けた『病める薔薇』を踊った彼女には年齢を重ねたことによる深い表現力が感じられました。フェリさんも『女性には年齢それぞれの美しさがある。それを表現するべきだと私は思っている』と語っていて、それには同感します」

45歳が近づく中、新型コロナ禍ゆえの踊れない時期があったのは、どれほど辛かっただろう。

「そう、ちょうどその2~3年くらい前から自分のバレエが上り調子になっているって感じられていたので、ここで休むのは絶対にイヤ! って本能的に思って、練習を続ける方法を考えました。日頃私は車で移動しています。だからスタジオを借りてやれば誰にも会わずにできる、って。この期間中、そうしてひとり踊り続けていました」

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踊りに打ち込む一方で、ゲスト・プリンシパルの話が出る前、いつか訪れるステージに立たない自分の未来を考えた。そして生まれたのが、彼女がプロデュースするブランド、Piuprima(ピウプリマ)である。

「これまで美、身体に向かい合ってきた私の感覚を生かして、美脚のためだったり、何か喜んでもらえる商品を提案できたらと思って。ブランドが発展し軌道にのれば、私がたとえ踊らなくなってもこれがひとつの表現の場となるでしょう」

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ドレスデンでのリハーサル。過去にガラで組み、水香にとって素晴らしいパートナーであることを実証したマルセロ・ゴメス。音感も合い、良いインスピレーションをくれる彼のおかげで前進が感じられ、理想とするシルヴィ・ギエムとシャルル・ジュードが踊った「シンデレラ」に近づいている、とリハーサル中に実感したそうだ。ふたりへの指導は、パリからコーチのジャン=ギヨーム・バールがリモートで行った。

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夢のシンデレラ。

『上野水香オン・ステージ』プログラムはこれまでの集大成にとどまらず。自分を冠にした公演ゆえに、新しい作品をプラスしたいという意向から、「シンデレラ」のパ・ド・ドゥを加えた。

「挑戦と思われがちだけど、これは長いこと踊りたいと憧れていたからなんです。常々公言しているように私はギエムの大ファンで、彼女が踊った作品の中でいちばん好きなのが『シンデレラ』。音楽も良いし、昔のお伽話と30年代のハリウッドがドッキングした新しい世界観がすごくかっこいい。全幕で全員の振り付けを知ってるというくらい、ビデオを繰り返し見た憧れの極致の作品です。それでバレエ団が権利の交渉をしてくれたのです。衣裳がパリ・オペラ座から届き、ドレスデンでリハーサルをし、夢が実現にどんどん近づいていく実感がありました」

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踊りは神様からのギフト。

マルセロ・ゴメスが在籍するドレスデン国立歌劇場バレエ団で『オン・ステージ』のためのリハーサルを終え、彼女は1993年に奨学金をもらったローザンヌ国際バレエコンクールの50周年記念のガラに参加した。公演に集まったダンサー中、最年長受賞者だったそうで「長老です!」と笑いながらも、「あれから30年間違いなく踊り続け、主役として20年以上、いまも踊り続けている。こうして経験してきたものは自分の中に確実に備わっているはずです」と力強い。上を見上げて経験を積み、研鑽を続け、気がついたら上には誰もいず、自分だけひとり。この状況に彼女はローザンヌで踊る「瀕死の白鳥」を重ね合わせた。

「数年前にロベルト・ボッレと『アルルの女』で参加したクレムリン・ガラで、ウリヤナ・ロパートキナがこれを踊りました。彼女はその数カ月後に引退するほど身体の故障があったけれど『瀕死~』なら踊れると。毎回素晴らしいのだけど、この時は彼女の存在そのものが何かバリアのようなもので囲まれた高みに在り、美しいだけではなく、引退への思いや苦しみ、これまでの自分のバレエ人生への情熱など、そうしたことが重なりあった表現で凛としていて実にかっこよくて感動しました。このように、“あの人は何かを感じさせてくれる”というアーティストであれたらいいと、いま思っています」

5歳で始めてから40年の上野水香のバレエ人生。その間に、ダンスが逃げ道となったり、心の支えとなったこともあったに違いない。

「はい。友だちとなじめない自分、学校が好きじゃない自分がいて、バレエが私に力を与えてくれ、踊っていれば嫌なことが忘れられた。踊っていればハッピー、踊っていると人が寄ってくる。こういう意味でダンスは神様から私へのギフトだったのかなと。それが現在まで続いて、40年経っていた。やめよう、やめたほうがいい、と思うことがあっても、結局は踊りに戻ってゆくという運命の流れ。バレエの神様がいて、踊りなさいと言ってくれてるんだ、って感じています」

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「努力は裏切らない」。『オン・ステージ』の東京公演を終えた直後、自身の公式ブログに彼女はこう綴った。ダンス人生40年の結晶を手にした彼女の実感であり、これからの自分へのメッセージとも読み取れる。シンプルで、なんと美しい言葉だろう。

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「シンデレラ」

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パリ・オペラ座の「シンデレラ」の衣裳は森英恵が担当した。1月、パリから東京に届いた衣裳を前に感激。「照明があたると桜色になるドレス。前にビジューがびっしりと縫い付けられていて、とても美しい!!」と。それに似た稽古着とロンググローブでリハーサル。『上野水香オン・ステージ』では、マルセロがあいにくと肋骨を痛めてしまったが東京の最終日2月12日はふたりで「シンデレラ」を敢行した。©Hidemi Seto

「白鳥の湖」

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東京バレエ団プリンシパルとしての最後の公演『上野水香オン・ステージ』より。柄本弾と「白鳥の湖」。20年前に初主演し、彼女のバレエ人生をともにした作品だ。2006年にはパリ・オペラ座のエトワール、ジョゼ・マルティネスと全幕を踊っている。©Shoko Matsuhashi

「チーク・トゥ・チーク」

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「チーク・トゥ・チーク」は初役のマルセロ・ゴメスと。同世代のふたりが成熟した大人ならではの粋を作品に吹き込み、陽気で洒落た空気が舞台を包んだ。©Shoko Matsuhashi

「シャブリエ・ダンス」

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「シャブリエ・ダンス」も息の合うパートナーの柄本弾と。©Shoko Matsuhashi

「瀕死の白鳥」

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マルセロとドレスデンでのリハーサルを終え、2月5日に開催されたローザンヌ国際バレエコンクール50周年記念ガラに出演。「瀕死の白鳥」ではしなやかで長い腕が力強く、儚く白鳥の羽ばたきを舞い、美しくも悲しい最期へと。©Prix de Lausanne 2023, Gala of Stars © Gregory Batardon

Profile
15歳でローザンヌ国際バレエコンクールのスカラシップ賞を受賞し、モナコのプリンセス・グレース・アカデミーで2年学ぶ。牧阿佐美バレヱ団を経て、2004年にプリンシパルとして東京バレエ団に入団。23年4月より同バレエ団のゲスト・プリンシパルとなる。自身のブランドPiuprimaのプロデュースもスタート。
『上野水香オン・ステージ』を追いかけたドキュメンタリー番組「情熱大陸」(TBS系)が4月2日(日)に放映される予定。なお、『上野水香オン・ステージ』全国ツアーは今後、6月16日に川口総合文化センター・リリア メインホール、6月18日に岡山シンフォニーホール大ホールにて上演される。

*「フィガロジャポン」2023年5月号より抜粋

【合わせて読みたい】
▶︎「舞台に立ったら、脚が自然に上がったんです」バレエダンサー上野水香が語る『新章 パリ・オペラ座』の魅力。
▶︎元パリ支局長がオペラ座をとりまくパリのバレエの「いま」をリポートする連載「パリとバレエとオペラ座と」。

photography: Julie Ansiau editing: Mariko Omura

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