なぜ実写版『リトル・マーメイド』は中国で大コケしたのか?
Culture 2023.08.03
文/シャノン・パワー
世界でヒットした実写版『リトル・マーメイド』も中国市場では苦戦した ©2023 DISNEY ENTERPRISES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
<多様性への「政治的公正」が馴染まない? ディズニーが中国市場に食い込み続けるには「迎合」だけでなく、常に変わり続ける中国社会の変化を見極めなくてはならない>
当初の期待値が高ければ高いほど、外れたときの失望は深い。ディズニー映画の実写版『リトル・マーメイド』がそうだ。
巨大市場の中国では日本より2週間も早く5月26日に公開されたが、最初の週末の興行収入はわずか370万ドル前後。同時公開のアメリカだけで1億1700万ドル、全世界で4億1300万ドルも稼いだのに比べると、なんとも寂しい数字だ。
事は1つの作品の失敗にとどまらない。「多様性重視」に舵を切って以来、ディズニーは国内外の保守派の反発を買って、なにかとトラブル続き。「おいしい」はずの中国市場も、そうした価値観には背を向けている。
『リトル・マーメイド』に関して言えば、主役の人魚姫アリエルに黒人歌手ハリー・ベイリーを起用したことに対し、中国の映画ファンが人種差別的な拒否反応を示したとの見方がある。だが、不人気の理由はそれだけではない。
いわゆる「ゼロコロナ」政策の3年間、外界から途絶されていた中国の人々は外国、とりわけ欧米の映画への関心を失ったという指摘もある。
新型コロナウイルスを「チャイナ・ウイルス」と呼んだ一部の政治家の無神経な言説も、中国人の心を傷つけた。
今年の上半期で見ると、中国市場で興行収入1億ドルの大台に乗った欧米の映画は、「ワイルド・スピード」シリーズの第10作『ファイヤーブースト』のみ。ちなみに5年前には、年間11本のハリウッド映画が1億ドル超えを記録していた。
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中国人が抱いた違和感
「黒い肌の人魚姫」に中国の人が違和感を抱いたのは事実らしい。共産党系の大衆紙「環球時報」の英語版は社説で、「白雪姫と同様に人魚姫のイメージもみんなの心に焼き付いている。だから今回の配役には人々の想像力がついていけない」と指摘した。
しかし英ケント大学教授で中国のネット事情に詳しいオスカー・チョウに言わせると、問題は肌の色だけではなかった。
今回の実写版『リトル・マーメイド』は仕上がりが「安っぽく」、中国のファンがディズニー映画に寄せる「高い期待値」に達しなかった。そのせいで急速に失望感が広まった可能性が高いという。
「ディズニーが何かクリエーティブで革新的な試みをしたのは理解できる」と、チョウは言う。しかし「それが成功したとは思えない」。
中国のファンが黒い肌の人魚姫に拒否反応を示したとすれば、ディズニーは「多様性重視」路線の見直しを迫られるだろう。
昨年来、同社は「リイマジン・トゥモロー(明日を想像し直す)」のスローガンを掲げ、今後はディズニー作品に登場する主要キャラクターの50%を「公平に代表されていない集団」から選ぶとしている。
だが中国政治と大衆文化に詳しい英ノッティンガム大学のジョナサン・サリバンに言わせると、そうした「政治的公正」へのこだわりは中国社会になじまない。
「私の知る限り、問題はハリー・ベイリーの人種そのものではない。そうではなく、ただなじみのあるキャラクターが『政治的公正』の名の下で変更されたことに不満を抱いている」と、サリバンは本誌に語った。
「ファンタジー映画にも政治的な思惑を込めるのなら、そしてそれで成功したいのなら、(現地の)国民感情に合わせる必要がある。最近の中国映画を見れば分かるが、彼らが見たいのは『戦狼』みたいな自画像だ」
ちなみに2015年の『戦狼』(邦題は『ウルフ・オブ・ウォー/ネイビー・シールズ傭兵部隊 vs PLA特殊部隊』)はアメリカ主導の傭兵部隊をやっつける中国軍特殊部隊の活躍を描いた中国映画だ。
昨年11月、ディズニー本社のCEOにロバート・アイガーが復帰した。かつて中国市場を開拓するのに成功した功労者だ。上海と香港にディズニーランドをオープンするという困難な事業を中心になって推進したのも彼で、「ディズニー史上最大規模の投資」の1つだったと自著で振り返っている。
20年にディズニーを去ったアイガーが、なぜ急に戻ってきたのか。当然、中国市場への「テコ入れ」を目指してのことと考えられている。
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国産映画が大ヒット
しかし、現在のディズニーを取り巻く経営環境は厳しい。期待のストリーミングサービス「ディズニープラス」のコストは膨れ上がる一方で、収益はウォール街の予想を下回っている。
そこでアイガーは真っ先に約7000人の人員削減に踏み切った。目標は全体で55億ドルの経費節減だ。
「ゼロコロナ」解除で上海ディズニーランドには客足が戻ったが VCG/GETTY IMAGES
中国市場も様変わりしている。19年のディズニー映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』は中国で6億1400万ドルもの興行収入を上げたが、最近の『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』や『アントマン&ワスプ:クアントマニア』といった大作は、中国での興行収入が1億ドルに届いていない。
こうした変化の背景には米中間の政治的緊張や新型コロナのパンデミック、国産映画の人気などがある。
「米中関係は冷え込み、愛国的な感情が高まっている。西洋文化の魅力や、その実益に関する疑念も今までになく高まっている」と、サリバンは言う。
今の中国人はハリウッド映画よりも国産映画を楽しんでいる。朝鮮戦争でアメリカ軍に反撃する中国兵を描いた21年の映画『1950 鋼の第7中隊』の興行収入は9億ドル弱で、中国で最もヒットしたアメリカ映画『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』の4倍以上だった。
ディズニーの『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は昨年の最大のヒット作で、全世界で23億ドルも稼いだが、中国での興行収入は朝鮮戦争ものの続編『1950 水門橋決戦』に遠く及ばなかった。
チョウによれば、中国の人々はコロナ禍で自国が悪者扱いされたと考え、内向きになっている。「世界中から批判されたので、今は自分たちを誇らしく思えるものを見たがっている」
中国の映画市場は28年までに81億1000万ドルに達する見込みだ。これは22年実績のほぼ2倍に相当し、世界一の規模となる。
市場調査のマーケット・リサーチ社によれば、中国各地で映画館の数が増えている上に、料金はまだ安い。また若年層の消費行動にも変化が見られる。
同社のリポートには、中国の輸入映画市場が急拡大するなかで「既に中国の映画ファンの嗜好はハリウッドの作品作りに影響を及ぼしている」との指摘もある。
この点はサリバンも同意見で、中国人の好みに合わせた映画作りを始めなければハリウッドは中国での成功を維持できないとみる。
「もはや中国にディズニーの出番はない、とまでは言わないが、今はハリウッド全体が中国市場の特異性に気付いている。以前なら一部のシーンの手直しだけで間に合った。しかし今の中国市場は、もっとオーダーメイドの作品を求めている。そうしないと観客の好みの変化についていけない」
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中国市場を諦めない
過去には「一部のシーンの手直し」が物議を醸したこともある。ディズニーも他の製作会社も、中国市場に参入するために自己検閲をしていると非難されたものだ。
例えばディズニーは1997年、若き日のダライ・ラマ14世の苦闘を描いた映画『クンドゥン』(監督マーティン・スコセッシ)を製作したせいで中国政府に嫌われ、一度は国内市場から締め出された。このときは当時のCEOマイケル・アイズナーが謝罪して矛を収めた。
そして98年の『ムーラン』の公開を許可してもらうために持ち出したのが、中国国内にディズニーランドを造るという壮大な構想だった(それを実現したのが現CEOのアイガーだ)。
ちなみに13年のパラマウント映画『ワールド・ウォーZ』も、一部のシーンを手直しさせられた。人間をゾンビに変えるウイルスの起源を議論する場面に、中国を名指しする箇所があったからだ。
パラマウントはこの箇所の削除を決めたが、それでも中国での公開は許されなかった。こんな調子だから、誰もが頭を抱えている。しかしハリウッドが、そしてディズニーがこのまま中国市場から撤退するとは思えない。
「どうすれば中国市場に受け入れられるか。今はその道を模索している段階だと思う」と語るチョウは、失地回復のためにディズニーが次にどんな作品を送り出すかを楽しみにしている。
チョウのみるところ、ディズニーには優秀な人材が山ほどいるし、伝統に裏打ちされた強固なブランドもある。だから必要に応じて映画作りの路線を変えることは十分に可能だ。
一方で、イデオロギー色の強い映画にこだわる中国共産党の姿勢がそんなに長く続くとは考えにくい。
「中国は常に変わり続けていて......決して安定はしていない。だからどんなにクリエーティブな人や業界でも、中国で長期プランを立てるのには苦労するものだ」
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ディズニーランドで歌うハリー・ベイリー
「リトル・マーメイド」「パート・オブ・ユア・ワールド」|ハリー・ベイリーがディズニーランドで歌唱/ディズニー・スタジオ公式
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「リトル・マーメイド」中国版の主題歌(Yichun Shan)
Yichun Shan - 你的世界 (选自《小美人鱼》)/ DisneyMusicAsiaVEVO