我が愛しの、ジェーン・バーキン 長い間、近くにいた自分だけが知るジェーンの素顔。

Culture 2024.06.11

ジェーンが最も信頼し、常に寄り添ってくれていた兄、親友、マネージャー。公私ともに長い時間を一緒に過ごした人たちから、知られざるエピソードを聞いた。


常に一緒だった年子の妹は、
いまも私とともにある。

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アンドリュー・バーキン

脚本家・映画監督・フォトグラファー

Andrew Birkin
映画『小さな恋のメロディ』(1971年)のプロデューサー、姪シャルロット主演の映画『セメント・ガーデン』(93年)の監督・脚本など。

ジェーンは年子の妹でした。幼い頃、私たち一家は田舎のファームに住んでいたのですが、ジェーンと私は常に一緒でした。当時の私は彼女がそばにいないのは考えられなかった。ジェーンは家族の中心でもあり、特に父のお気に入りでした。

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「ジェーンとふたりの写真が撮りたかった」。母ジュディ・キャンベルの鏡台の前に立つジェーンとアンドリュー。1964年撮影。

彼女との思い出は尽きません。その中で特に忘れられないのは、普段はほとんど怒ることがなかった父が、品行が悪かった私を厳しく叱った時のことです。ジェーンは私たちのいた部屋に走り込んで、父を止めようと握りこぶしで父を叩いたのです。もちろん彼は悪くないのですが。そんな彼女の誠実さをいまでも決して忘れることはできません。9歳か10歳の頃でした。

人前でのジェーンはプライベートの時とまったく違いはありませんでした。私はこれまでたくさんの俳優たちとともに仕事をしてきましたが、ジェーンほど、どんな人といても自然で自分のままにいられる人をほかに知りません。

彼女のいちばん素晴らしい点は、他人を思いやる心でした。誰かのための行いはどんなことでももちろん素晴らしいのですが、ジェーンは積極的に行動していました。たとえば道でホームレスの人を見かけた時でも決してそのまま通り過ぎることはせず、とても自然に優しさを込めて手を差し伸べていました。

彼女はある意味、いまでも私とともにいると感じています。でももしも叶うならば、また彼女と一緒に無邪気な子ども時代に戻って、冒険や探検をして、楽しい時間をともに過ごしたいです。

『Serge Gainsbourg & Jane Birkin L'album de famille intime 』

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バーキン家の歴史を振り返りながら、ジェーンとセルジュ・ゲンズブールの暮らしを1000点以上のアンドリューの写真と文で解き明かした渾身の一冊。兄に向ける自然な表情のふたりが印象深い。
アンドリュー・バーキン著 Albin Michel刊 39ユーロ

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華やかな舞台の裏を支え続けた、
ビジネスパートナー。

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オリヴィエ・グルーズマン

Visiteurs du Soir代表

Olivier Gluzman
40年以上、音楽・演劇のプロデュース、俳優のマネージメントを手がける。2002年よりジェーンのマネージャー兼プロデューサーとしてツアーにも同行。

ジェーンとはコンサートのために約40カ国を一緒に旅したので、何でも話し合える仲だった。ほぼ毎日、時には1日に何度も電話で話していた。常に前向きで、無頓着に見えてすべてを自分がコントロールしないと気が済まないところもあり、とにかくいつも好奇心旺盛だった。舞台に立つ前は極度に緊張して、「会場に誰が来ているか知りたくない、その人がいると思うとあがってしまうから」と言っていた。開演前に日本茶を飲むこととパスタを食べるのが習慣だった。コンサートに自分が招待するのは、家族以外はホテルの客室係やタクシーの運転手、門番とかで、ほかのアーティストたちは有名な招待客が多いのに、彼女はいつもそうだった。

娘のケイトを亡くしてから「もう舞台には立てない」と言っていたけれど、それでもコンサートをすると彼女を元気づけようと大勢のファンが来てくれてとても感動的だった。自分の誕生日を祝わなくなっていた70歳の誕生日、クレルモン=フェランでのコンサートが終わって暗くなった会場に、サプライズでパリからシャルロットやルー、当時パートナーだった作家のオリヴィエ・ロラン、親しいジャーナリストのロール・アドレーを招いていて、ジェーンを呼んで一斉に照明をつけ、みんなで誕生日おめでとう!と言ったらとても喜んでくれた。大切な思い出になった。

ある時は、1週間でテルアビブ、ガザ、ベツレヘムを回ってコンサートをしたことがある。国境を越えて、政情を超えて、彼女のファンは待っていてくれた。どんな人にも誠心誠意で接していたので、どこへ行っても人々から愛されたし、彼女もみんなに愛を与えていた。いつも自然だったし、相手がホームレスでも、偉い人でも構わない。彼女の態度は変わらなかった。

最後に僕が会ったのは、彼女を棺に入れた時だった。二度とあのような人は現れないだろう。メルシー、と言ったよ。

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ともに2008年10月、ジェーンのコンサートでベイルートに行った時のスナップ。

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ふたりの時間を大切にした、
10代からの親友であり姉妹。

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ガブリエルが監督したジェーンのドキュメンタリーフィルム『マザー・オブ・オール・ベイブス』(2003年)を映画祭で上映した時のふたり。photography: Toni Anne Barson/WireImage

ガブリエル・クロフォード

フォトグラファー

Gabrielle Crawford
数多くの写真、映像撮影を行う。ジェーンの写真を撮り続け、写真展も開催。2004年には『アラベスク』コンサートのプロデュースを担当した。

出会いはスウィンギング・ロンドンと呼ばれた時代の1964年のロンドンのナイトクラブ。そこで私はDJをしていた。ふたりとも将来の夫 ──ジェーンはジョン・バリー、私はマイケル・クロフォード── と一緒だったけれども、私たちの間にはたくさんの共通点があるとわかり、すぐに意気投合。以来58年間、お互いがベリー・ベスト・フレンドだった。彼女は私のフォトグラファーとしての仕事への多大なサポートをしてくれて、私は彼女が健康を害した時、できる限りのことをした。

ふたりのかけがえのないひとときは朝食の時間だった。世界のどこにいても誰にも邪魔されることなく、パジャマのままコーヒーとクロワッサンを間に挟んで、たくさんおしゃべりした。話題の中心は、いつもお互いの子どもたち。私は彼女の娘たちを心から大切に思っていたし、ジェーンは私の子どもたちの第二の母として誕生日やクリスマスには必ずプレゼントを送ってくれた。

もちろん議論もした。私は「健康にもっと気を配って、少しはリラックスする時間を持って」と言っていつも彼女を怒らせた。そして「才能あふれる自分をもっと信じて」とも言い続けていた。やると決めた事柄には100%力を出し切る人だった。大震災直後の日本に行くと決心した時、私はとても心配したけれども彼女は「大丈夫よ」と言って旅立って行った。

私には3人の兄弟がいるけれども、ジェーンはたったひとりの姉であり妹。彼女が去ったいま、私の人生はもう決して以前と同じには戻らない。もしも彼女に再び会うことができるのならば、強く抱きしめて「今度こそ十分に身体を休めて」と言う。そして「あなたの子どもたちをこの先もずっと愛して守っていくから」と、あらためて彼女に誓う。

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2011年11月、ガブリエルが撮影したジェーンの写真展を東京・渋谷で開催。作品は受注販売され、その収益の一部は、東日本大震災の被災者に寄付された。

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アートや映画、演劇に、
一緒に出かけ、情熱を注いだ。

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ミシェル・フルニエ

元文化省演劇部門ディレクター

Michel Fournier
カナダに生まれ、1969年渡仏。フランス文化省職員となり演劇部門を担当。国内外でフランスの文化・芸術の保護、振興策を推進。2015年、定年退職。

僕がジェーン・バーキンと初めて会ったのは1987年で、彼女はバタクラン劇場でのコンサートの準備をしていました。僕の親友のアメリカ人ピアニスト、ジェフ・コーエンの自宅で、彼の伴奏で2カ月間リハーサルをしていたのです。同時期にジェーンの母ジュディや末娘ルーとも知り合いました。僕らの共通点は69年(編集部注:実際にはジェーンは68年)からパリに住み始めたこと。僕はカナダから来ました。ジェーンの親友で写真家のガブリエル・クロフォードとも知り合い、僕らはとても仲のいいトリオになった。ジェーンも僕も、アートや演劇、映画など才能ある人たちの作品に情熱を傾けていた。美術館や展覧会、映画に一緒に頻繁に出かけたし、劇場にもよく行きましたね。オデオン座、ナンテール・アマンディエ劇場、ラ・コリーヌ国立劇場、オペラ・バスティーユ、ロン=ポワン劇場......どこへでも。アヴィニヨン演劇祭、アルル国際写真フェスティバル、エクス=アン=プロヴァンスのオペラフェスティバルに遠征もしました。ジェーンが絶対に見逃さなかったのは、パトリス・シェロー演出の舞台とピナ・バウシュ。演出家アリアーヌ・ムヌーシュキンとは個人的に親しかったようで、太陽劇団にも行っていましたね。

2023年7月初旬にも、ジェーンの兄アンドリューと3人でサラ・ベルナール展をプティ・パレで鑑賞しています。亡くなる前日、電話で話していたら不意に「激痛なのでかけ直す」と言われてそのままになってしまった。

僕の個人的な話ですが、パートナーのポールとの結婚式を、ジェーンが自宅の庭に親しい友人だけを招いて祝ってくれた夜のことは忘れられません。病身だったのに。彼女の人間としての偉大さを再認識しました。感謝の気持ちでいっぱいです。

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2018年、3区のフローリスト、ルイ・ジェロー・カストールの新種のバラのお披露目に、ジェーンと愛犬ドリーと。

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2017年1月27日、ジェーンが開いたミシェルとポールとの結婚式。ガブリエルが撮影した3ショット。

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ウサギのぬいぐるみはジェーンからのプレゼント。

●1ユーロ=約169円(2024年6月現在)

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▶︎ジェーン・バーキン、永遠のファッションアイコンの魅力を紐解く。

*「フィガロジャポン」2024年3月号より抜粋

text: Miyuki Sakamoto (Andrew Birkin, Gabrielle Crawford)

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